時は、1922年9月8日、オハイオ州シーダ―ポイントでのことです。
ラザフォード兄弟は集まった聴衆を前に、今も忘れられないこの言葉を語りました。
「ご覧なさい、王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに、王とその王国を宣伝し、宣伝し、宣伝しなさい」
それはラザフォード兄弟による行動を促す呼びかけでした。
この短い言葉から、ラザフォード兄弟が非常に重要なある事柄を理解していたことが分かります。
その時、聴衆の中にいた忠実な男女、またそれ以降、彼らと共に歩んできた他の大勢の人々は、エホバのことを広く伝える代理者になるということです。
彼らは神の王国の良いたよりの伝道者また教え手になるのです。
それは基本的な事柄ですが、でも、天の父エホバに関して驚くべきことを明らかにしています。
エホバは全能であられ、たった1人のみ使いによって、一晩に18万5000人を殺すことができました。
エホバはこの伝道の業を成し遂げるために、どんな奇跡的な手段をも用いることができます。
でも、エホバが用いられたのはどんな手段でしたか?
皆さんやわたしのような、不完全な普通の男女を用いて、歴史上かつてなされたことのない、最も偉大な宣べ伝える業を成し遂げておられるのです。
これは、使徒パウロがコリント第一 1章で書いた事柄を思い起こさせます。
ご一緒に開いて読んでみましょう。
コリント第一 1章26節で、使徒パウロはこう述べました。
「兄弟たち、あなた方が自分たちに対する神の召しについて見ていることですが、肉的に賢い者[や]強力な者[や]、高貴な生まれの者が多く召されたのでもありません。むしろ、神は世の愚かなものを選んで、賢い人々が恥を被るようにされました。また神は、世の弱いものを選んで、強いものが恥を被るようにされました。また神は、世の卑しいものや見下げられたもの、無いものを選んで、有るものが無になるようにされました。それは、肉なる者がだれも神のみ前で誇ることのないためです」
おそらく、コリントの人々は新たに始まった運動のために、エホバが重要な家柄の中から世の高い知恵を持つ、強力な人々を選んでお用いになると考えたかもしれませんが、エホバはそうした手段を用いられませんでした。
エホバは「無学な普通の人」と呼ばれた人々を用いられました。
どんな目的のためですか?
ご自分を大いなる者とし、その全能性を広く知らせるためです。
エホバはこの膨大な業を成し遂げるために、不完全な人々を用いることがおできになるので、だれも成し遂げられた事柄に関して誇ることができません。
ラザフォード兄弟が宣べ伝えるよう励ますこの言葉を語ったのち、兄弟たちは忙しくなりました。
1912年にバプテスマを受け、シーダーポイントでその話を聞いていたメルビン・サージェント兄弟はこう語りました。
「主の組織内にいる私たちの仲間は、考えうるあらゆる方法で人々の注意を命の音信に向けようとしてきました。私たちが用いたのは標語、全面広告、ラジオ、サウンドカー、携帯用蓄音機、大規模な大会、プラカードを掲げた人々の情報行進、そして家から家を訪問する、奉仕者の増大する軍勢です」
そのとおりです!
皆さんの中には、これらの活動に参加したり、道具を用いたりした方もおられることでしょう。
今日はどうですか?
今日、わたしたちには業を成し遂げるのに助けとなる、素晴らしい道具があります。
それは、以前なら想像もできなかったものです。
jw.org、JW Libraryアプリ、JW Languageアプリ、JW Broadcastingです。
そして今や幾百もの言語で入手できる多くの文書があります。
でも兄弟たち、これらの道具がどれほど優れていようと、どれほど多くの道具が作られようと、一つの基本的な点を忘れてはなりません。
道具には使う人が必要です。
それは皆さんすべてが、つまり神の王国の良いたよりの伝道者すべてがきわめて重要であり、この業を成し遂げるために絶対に必要とされているということです。
そう思われませんか?
統治体として旅行する際に、皆さんが大胆に家から家の伝道を行なっておられることがよく分かります。
空港や公共の場所や駅でたくさんの文書カートを目にします。
皆さんは素晴らしい業を成し遂げておられ、その熱心な伝道活動は称賛に値します。
使徒パウロがコリント第一 15章58節で述べた通りです。
「こうしてわたしの愛する兄弟たち、あなた方の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから、堅く立って、動かされることなく、主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」
皆さんはまさにそうしておられます!
「主の業においてなすべき事をいっぱいに」持っています。
でも、この点も考えてみましょう。
わたしたちは「労苦が無駄でない」ことを知っていますが、時々、誤った考えを抱いてしまうことはないでしょうか?
実際には労苦が無駄になっていると考え始めることはないでしょうか?
では、そのような誤った結論に至りかねない、3つの状況について、考慮してみましょう。
最初の状況です。
高齢になって健康上の問題が増えると、こう考え始めるかもしれません。
「自分のできることはわずかになってしまった。良いたよりの伝道にはもうほとんど貢献できなくなってしまった」
そのようにお感じになるのであれば、わたしたちが今日行なった新しい歌の本の発表について考えると励みが得られます。
わたしたちは、コーラスの歌声を聴くのが好きではないでしょうか?
ところで、 コーラスの歌声を美しいものにしているのは何だと思われますか?
わずか数人が出す、他の人の声を圧倒するほどの大きな力強い声によるのでしょうか?
いいえ、コーラスの美しさは、一緒に出される調和の取れたすべての声によって生まれるのであり、それがエホバを賛美する美しい音楽となるのです。
何が学べますか?
自分の声が大きくても、あるいは非常にソフトで小さくても、わたしたちすべてはエホバを賛美するために地球全土で歌われている、素晴らしいコーラスに貢献できるのです。
そしてスプレーン兄弟が分かりやすく話してくださったように、コリント第二 8章12節の原則を、思いにしっかりとめておかなければなりません。
使徒パウロはこう述べました。
「進んでする気持ちがまずあるなら、持っていないところに応じてではなく、持っているところに応じて特に受け入れられるのです」
これはさまざまなタイプの与えることに適用できます。
お金や物を実際に寄付することに適用できます。
しかし自分の時間やエネルギーや能力の用い方にも適用できます。
この良いたよりの伝道のために与えるすべてのことに適用できます。
それで問題は何を持っていないかではありません。
何を持っているかが重要です。
声が出せますか?
声が強いか弱いかにかかわりなく、それを用いてください。
エホバの賛美のために用いるのです。
手話を用いて会話ができるなら、自分の手を用いて、神の王国の良いたよりについて他の人に伝えてください。
最近ある兄弟が、インドに住む聖書研究生に関する経験を送ってくれました。
その研究生は耳が聞こえず、生まれつき腕がありませんでした。
どのように会話ができるのか、想像できますか?
足で行なう手話を学んだのです。
そのようにして会話をし、自分を表現できるのです。
素晴らしいことですね。
エホバを賛美するために、自分にあるものを用いることができるのです。
統治体として、わたしたちは皆さんに深く感謝しています。
それは皆さんの声が大きくて強かろうが、あるいはかなり弱かろうが、一生懸命努力しておられるからです。
皆さんすべてに、そして、神の王国の良いたよりを宣べ伝えている皆さんの働きに感謝いたします。
では労苦が無駄になると考えるかもしれない、2番目の状況について考慮しましょう。
これは、「あの人はわたしよりはるかに良い仕事をする」と考えるときに起こり得ます。
「あの人は自分より多くの事ができる」
自分を他の人と比べたがるのは人の自然の傾向です。
しかし この点で神の言葉にはどんな助言がありますか?
ガラテア 6章4節を読んでみましょう。
ガラテア 6章4節
「むしろ各人は、自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他の人と比べてではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」
そうです、自分にできること、また自分が業に貢献できる事柄に目を向けるべきです。
この点で現代の歴史の中に見いだせる、素晴らしい一つの模範をご紹介したいと思います。
それはアドルフ・ウェーバー兄弟の模範です。
ウェーバー兄弟はペンシルバニア州アレゲーニーでバプテスマを受けました。
それはずっと前の1890年のことです。
ずいぶん昔です。
どんな人でしたか?
彼はスイス人の木こりでした。
アメリカに来てから、ラッセル兄弟の庭師として働きました。
ラッセル兄弟と共に働いたことから、聖書に関する深い知識を得ました。
しばらくして、ウェーバー兄弟はヨーロッパに戻って、フランス語の区域で宣べ伝えたいとの強い願いを抱くようになりました。
兄弟はどんな人でしたか?
「年鑑」から引用します。
わたしはウェーバー兄弟を個人的にはよく知りませんが、こう述べられています。
「ウェーバー兄弟は農民風の地味な人物でした」
「ふれ告げる」の写真を見るとそれがよく分かります。
でも、同時に「年鑑」はこうも述べています。
「英語とフランス語とドイツ語に通じた、敬虔で円熟したクリスチャンでもありました」
事実、兄弟は、「聖書研究」や他の初期の出版物をフランス語に翻訳しました。
スイスに戻るとすぐ、ウェーバー兄弟は非常に忙しくなりました。
兄弟はフランス語の宗教新聞や雑誌に、「聖書研究」第1巻やラッセル兄弟の他の本の宣伝広告を掲載しました。
その結果、人々はラッセル兄弟の出版物を注文するようになり、フランス語の「ものみの塔」誌を予約し始めたのです。
ウェーバー兄弟は大規模な伝道キャンペーンを始めました。
スイス中に冊子を配布したのです。
フランスやベルギーに出かけ、文書を注文したり「ものみの塔」誌を予約したりした人に会いました。
その間、木こりや庭師の仕事をして生計を立てたのです。
ではこのすべての努力はエホバに祝福されましたか?
はい、この区域全体で、スイス、フランス、ベルギーにおいて、多くの人が交わりはじめ、エホバへの奉仕を始めたのです。
その後何が生じましたか?
1912年、ラッセル兄弟はヨーロッパ中を旅行し、スイスのジュネーブにフランス語の事務所を開設することにしました。
そして幾人かの候補者を検討した結果、ラッセル兄弟は、業の世話をするのにふわさしい、より高い教育を受けた兄弟たちがいることに気づきました。
ウェーバー兄弟はどう感じましたか?
基礎を据える点で懸命に働いたこの謙遜な兄弟は、今や責任者の立場を交替するよう求められたのです。
ウェーバー兄弟は快く受け入れました。
「年鑑」によると、兄弟は喜んで、高い教育を受けた兄弟たちに立場を譲りました。
兄弟は落胆して、あきらめましたか?
自分を他の人と比べたでしょうか?
いいえ。「年鑑」によれば兄弟は引き続き良い精神を保ちました。
そして、フランス語が話される地域の会衆と、孤立した兄弟たちを訪問する奉仕を引き続き行ないました。
その後どうなりましたか?
結末をご存じですか?
数年後、責任者の立場に就いたこれら高い教育を受けた兄弟たちに何が生じましたか?
皆、不忠実になったのです。
その後どうなりましたか?
ウェーバー兄弟が呼ばれました。
この愛すべき謙遜な兄弟に戻っていただくことが必要でした。
ウェーバー兄弟は兄弟たちを強め、励まし、再調整を施す仕事を喜んで行ないました。
兄弟は多くの問題を経験しましたが、1947年に地上での歩みを終えるまで、兄弟たちを強め、励まし続けました。
どんな教訓が得られますか?
ウェーバー兄弟はガラテア 6章4節の真理を実証しました。
自分の業が何かを示しました。
より小さい者として満足し、自分の能力と霊性を他の人を励ますために用いました。
他の人と比較することばかりに自分の時間を使うのではなく、自分の持っているものをエホバをたたえることに用いました。
兄弟の働きは無駄ではありません。
昔、兄弟が業を始めた区域において、今や10万を優に超える人々がエホバのみ名を賛美しているのです。
この地味で謙遜なアドルフ・ウェーバー兄弟から、何と強力な教訓を学べるのでしょう。
では、労苦が無駄になると思えるかもしれない、3番目の状況について考えましょう。
皆さんの中には、ベテルで何十年も非常に長い間奉仕してきたものの、野外での割り当てを受けた方がおられることでしょう。
中には巡回監督として70歳に達した方もおられます。
今、正規あるいは特別開拓奉仕を始めたかもしれません。
そうした状況にある皆さんは、自分たちの労苦が無駄になったと感じるべきですか?
決してそうではありません!
率直に言いますが 、もし可能ならベテルにいるすべての兄弟たちは野外に戻るべきです。
できるなら、そうすべきです。
と言うのは、イエスはマタイ 9章37節で何と述べられましたか?
「確かに、収穫は大きいですが、働き人は少ないのです。それゆえ、収穫に働き人を遣わしてくださるよう、収穫の主人にお願いしなさい」
そうです、野外では働き人が必要なのです。
野外に戻っていま開拓奉仕を行なっている、これらの愛すべき兄弟姉妹たちは、素晴らしい業を成し遂げています。
ギレアデ学校で訓練を受けた特別全時間奉仕者が、組織を強め、安定させているのと同様、野外に戻ったこれらの兄弟たちは、会衆に力を与え、強める影響力を発揮しています。
彼らは自分たちの経験、円熟した見方、また、長年のベテルや旅行する奉仕を通して学んだ、多くのすばらしい教訓を分け与えているのです。
統治体は野外から多くの手紙を受け取っています。
たくさんの感謝の手紙です。
最近受け取った手紙をご紹介します。
1人の姉妹は統治体にこう書きました。
「特別全時間奉仕者として奉仕した兄弟たちを、野外に遣わしてくださり感謝しています。難しい決定を下されたのだと想像するばかりですが、会衆にこのような愛すべき兄弟たちをお迎えできるのは、言葉では言い表わせない祝福です。本当にエホバがくださった宝です。会衆にこのような兄弟たちがいることは祝福です! 本当にありがとうございます!」
1通だけご紹介しましたが、こうした言葉はアメリカを始め世界中で、これら良い資格を備えた奉仕者たちを迎えた会衆が、同様に述べていることでもあります。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは、野外の割り当てを受けたすべての皆さんをどれほど愛しており、どれほど敬意を抱き、どれほど皆さんの働きに感謝していることでしょう!
「[皆さんの]労苦は 無駄ではないのです」!
この時代にエホバの組織の一部に所属できるのは胸の躍る経験です 。
1922年の小さな始まりから、今日まで成し遂げられたことを見るのは素晴しいことです。
今や800万人以上の良いたよりの伝道者がいるのです。
わたしたちの崇高で素晴らしい神エホバは、普通の、不完全な人々を用いて、膨大な宣べ伝える業を行なうことになさいました。
わたしたちには、その方と共に働くという、素晴らしい特権が与えられました。
兄弟たち、最終的に業が成し遂げられたと言える時まで、わたしたちと一緒に引き続き宣べ伝える決意でおられますか?
では、わたしたち皆は、「主の業においてなすべき事を、常にいっぱいに持」ち、自分の労苦が決して無駄にはならないという確信を示していきましょう。