今日ここにおられる皆さんは、今年の地区大会のプログラムは非常に素晴らしかったとお感じになられたに違いありません。
おそらく、一番多かったコメントは、「この大会によって大患難に、よく備えることができました」というものでしょう。
わたしたちもそう感じています。
大患難やイエスの言葉の重要性について考えると、想像力が大いにかき立てられて、いろいろな質問が生じます。
大患難はどれくらい続くのでしょうか?
自分はどんな影響を受けるだろうか?
薬は手に入るだろうか?
飼っている猫はどうなるだろう?
これらの興味深い質問の答えは、一言で言えば、分かりません。
しかし、疑いなくはっきり分かっていることがあります。
ペテロ第二 2章9節を開いてみましょう。
この言葉は将来の大患難の勃発に関して、わたしたちに確信を与えてくれます。
ペテロ第二 2章9節です。
「当然エホバは、敬虔な専心を保つ人々を、どのように試練から救い出すかを知っておられるのです」
兄弟たち、わたしたちはエホバを知っており、その方の記録を知っています。
聖書を学んだわたしたちは、どんなことが生じようとも、将来に何があるか詳細を知らなくても、エホバは義なる人を救い出す方法をご存じであることを信じています。
そして、わたしたちは、エホバが、たびたび予期せぬことを行なわれたことを見てきました。
聖書を調べてみると、それがたびたび強調されているのが分かります。
そのような信仰や確信を強めてくれる聖句が2つあります。
調べてみましょう。
最初のものはエフェソス人への手紙にあります。
エフェソス 3章20節です。
エフェソス 3章20節
霊感のもとに使徒パウロはこう述べています。
「わたしたちのうちに働かせておられる力により、わたしたちが求め、また思うところのすべてをはるかに超えてなしうる方に」
これは素晴らしい表現です。
執筆部門でこのような表現を用いると、校正者が間違いなく訂正するでしょう。
でも、これは霊感の表現です。
まず英語の「[非常に]はるかに」という言葉についてです。
校正者は「はるかに」だけで十分と言うでしょう。
でもここでは、「[非常に]はるかに」とあります。
でもそれで終わりではありません。
パウロは霊感を受けてこう述べています。
英語では、「[一層非常に]はるかに」となります。
そして、さらに「求めまた思うところのすべてを超えて」とあります。
要点がはっきりしているのではないでしょうか?
要点は何ですか?
エホバはわたしたちの期待を超えてなしうる方だということです。
興味深いことに、エホバは、わたしたちが祈り求めたことだけを行なわれるわけではありません。
問題を解決するためにわたしたちが考えつくことのすべてを超えて、エホバが行なってくださるのはうれしいことです。
時に問題の出口が見いだせないことがあるのも事実です。
圧倒されることがあっても、このことを忘れてはなりません。
エホバは「わたしたちが求めまた思うところのすべてを、はるかに超えてなしうる」力を持っておられるのです。
2番目の聖句はフィリピ 4章6節です。
こうあります。
「何事も思い煩ってはなりません。ただ、事ごとに祈りと祈願をし、感謝をささげつつあなた方の請願を、神に知っていただくようにしなさい」
そして、ここに注目してください。
「そうすれば、一切の考えに勝る神の平和が、あなた方の心と知力を、キリスト・イエスによって守ってくださるのです」
お気づきのとおり、今日のプログラムでは、わたしたちの持つ貴重な所有物とは、エホバとの個人的な関係であるという点がたびたび強調されてきました。
エホバを信頼すべきです。
神の平和はエホバに祈り、信頼することによって得られるものですが、ここには何とありますか?
「一切の考えに勝る神の平和」とあります。
他の翻訳はこう述べています。
「すべての夢に勝る」
「人間のすべての計画を圧倒する」
「想像よりもはるかに素晴らしい」
などです。
わたしたちは将来生じることの詳細すべてを知る必要はありません。
わたしたちは愛ある神エホバが、素晴らしい仕方で物事を行なってくださることを知っています。
そうです、エホバは予期せぬ事柄を絶妙な仕方で行なってくださいます。
驚くべきことです。
聖書を読むとそのことが繰り返し出てきます。
エステルとモルデカイの時代のハマンについて考えてみましょう。
ハマンは大金持ちで影響力があり、ある計画がありました。
神の民すべてを集団虐殺で滅ぼしたいと願っており、その計画は成功するかに見えました。
しかし、ハマンはエホバのお考えを知りませんでした。
エステルとモルデカイは持ち場に着いています。
どんな結果になったでしょうか?
ユダヤ人が殺害され、完全に根絶されようとしたまさにその日、代わりに敵たちが殺されたのです。
これらの出来事を読むと、エホバが多くの予期せぬ事柄を行なわれたことが分かります。
個人的にわたしは6章が好きです。
この策略のさなかにあって、エホバは準備しておられました。
眠ることができなかった王に関する記述です。
興味深いですね。
ハマンは自分にとって最悪の時にやってきました。
ハマンは誤解して王が自分を祝福すると思ったのです。
その結果は?
王の衣を着て馬に乗ったモルデカイの前を歩き回り、大いに恥をかかされました!
エホバのやり方です!
そうしなくてもよかったのですが、考えてみると、それこそエホバの絶妙なやり方です。
エホバは、これからもご自分の民のために同様のことを行なわれます。
最近、わたしたちは、ヒゼキヤに関する素晴らしいドラマを見ることができました。
そのドラマによって当時実際に何が生じたかを、思い描くことができたのではないでしょうか?
ヒゼキヤはその出来事が生じるまでの間に何をしたでしょうか?
都市を補強したり、アッシリア人が水を得られないように井戸を埋めたり、考え得るあらゆることを行ないました。
しかし、そのどれも必要ではありませんでした。
ヒゼキヤはエホバが予期せぬことを行なわれることなど知らなかったのです。
映像に天使が出てくるなど、思ってもみませんでしたね。
素晴らしい映像でした!
ここでもエホバは再び、予期せぬ事柄を行なわれました。
エホバがそうなさるとはだれも考えませんでした。
しかし、エホバは物事を制御しておられたのです。
聖書を調べると、たびたびそのことが強調されているのが分かります。
後ろからエジプト人が迫っているときの、モーセとイスラエル人と一緒に紅海の岸辺にいるとしましょう。
エホバによって紅海が分けられるなど、一体だれが想像できたでしょうか?
全く予想外の出来事です!
イスラエルの後を追いかけて行くエジプト人の愚かさも予想外です。
それはエホバの民のすばらしい勝利に終わりました。
エホバの行ないに関しては、予期せぬ出来事を予期してください。
使徒パウロがフィリピの兄弟たちに霊感のもとに述べた事柄を振り返り、その言葉を述べた状況や背景について少し考えてみましょう。
基本的に使徒パウロが述べたのは、「思い煩わず祈りなさい。エホバは予期せぬことを行なわれるから」ということです。
パウロはこの時、机に向かう研究者のように、自分にもよく分からないことについてあれこれ分析していたのでしょうか?
そうではありません!
その時、西暦60年から61年ごろ、使徒パウロはローマで投獄されていました。
すでに多くの様々な試練を経験していたのです。
試練に遭うとはどういうことかを知っていました。
それでもフィリピの兄弟たちに手紙を書いたということは興味深いことです。
少し記憶を整理してみましょう。
使徒 16章の記録をご覧ください。
パウロがフィリピの兄弟たちに手紙を書く10年ほど前に、何が生じましたか?
パウロは小アジアにいました。
パウロは聖霊が宣べ伝えることを許す場所を見いだそうとしていました。
ある場所に行ってはダメと言われ、別の場所に行ってもダメでした。
やがて、トロアスに到着し、そこである夜、マケドニア人の男性を見ます。
その人は何と言いましたか?
「マケドニアへ渡って来」てください!
パウロはそれがエホバの指示であるに違いないと考え、直ちにマケドニアに渡って行く計画を立てます。
これがヨーロッパにおける伝道の業の開始です。
パウロは最初にネアポリスの港に到着し、その後フィリピに向かいました。
すぐに幾らかの成果が見られました。
幾人かが音信を受け入れたのです。
しかし、間もなく何が生じましたか?
すでに今日述べたように、記録によると、パウロとシラスは打たれたのち投獄されました。
あなたがパウロであったなら、背中に痛みを感じながら獄に座り、自分を励ますための歌を歌いながら、こう考えたかもしれません。
「エホバはどういうおつもりなのだろう? 自分は小アジアのどこででも宣べ伝えることができた。そして、幻は『マケドニアに来てください』と述べた。活動に至る大きな戸口が開かれていると思ったのに、今、自分は獄にいるのだ。エホバはなぜここに導かれたのだろうか?」
わたしたちの多くはおそらくそのように考え始め、がっかりしていたかもしれません。
エホバの指示に従って問題が生じたように感じたことがあれば、だれでもパウロの状況を理解できるでしょう。
しかし、その夜に何が生じましたか?
地震が生じ、獄の戸が開き、牢番とその家族が真理を受け入れました。
エホバはここでも、絶妙なやり方をされました。
行政官たちはパウロに謝罪したのです。
パウロは、「いや、あなた方が出向いて来て連れ出すべきです」と言いました。
エホバのやり方です!
この記述から何が分かりますか?
こんな想像をしてみました。
パウロはルデアに別れを告げます。
間違った想像かもしれませんが、行政官たちがルデアの家の前に立って、パウロが別れを告げるのを待っています。
それからパウロを市の外までエスコートします。
これはエホバの方法であると同時に実際的な方法でした。
というのは、おそらく医師のルカがフィリピに残って、会衆を設立することになったからです。
疑いなく行政官たちは、その後クリスチャンたちに悪いことを行なわないよう、慎重になったことでしょう。
要点は何ですか?
時に逃れ道がないように感じることがあります。
しかし、繰り返し何度も何度も学んでいるように、エホバは物事を完全に逆転させることができるのです。
あれはどうだろうか、こうしてくださるかもしれない、といろいろと推測しますが、結局振り返ってみると、エホバが物事を導かれた方法に感銘を受けるばかりです。
エホバはすべてを制御しておられるのです。
地区大会の日曜日のプログラムを思い出します。
短いビデオによる、シンポジウム形式の話がありました。
大患難のことを扱ったものでした。
皆が地下室で何をしているか理解するのに、少し時間がかかったでしょう。
ドアがノックされるころには、それが大患難の最中だということに気づきはじめました。
開いたドアの向こうに警察や軍隊がいて、兄弟たちに向かってやって来るのを興奮しながら見ました。
み使いが彼らを一掃するのを期待していました。
天から火が下るでしょうか?
場面はそこで終わりました。
なぜでしょう?
分からないからです。
でも、確実なことがあります。
エホバがいてくださるなら、人を恐れる必要はありません。
確かにわたしたちは、大患難のすべての詳細までは分かりません。
将来何が起きるか、明確には分かりません。
しかし、分かっているのは、天の愛ある父エホバがすべてを制御しておられるということです。
エホバには絶妙なやり方があります。
それで、予期せぬことを予期しましょう。