2016年次総会「エホバのもとに走る」 - アンソニー・モリス

テキスト

エホバはその聖なる言葉の中で、サタンの邪悪な体制の滅びを確信するわたしたちは、人々からあざけられるようになると警告なさいました。

聖句によると、「この約束された彼の臨在はどうなっているのか。すべてのものは創造の初め以来と、全く同じではないか」とあります。

つまり、何もかも同じで、変わっていないというのです。

本当にそうでしょうか?

ここアメリカでは、多くの銃撃事件がありますが、少し前にテキサス州ダラスで、ある男が警官たちを撃っているところがビデオで撮影されました。

人々はいったいだれが狙われているのかが分からず、危険から逃れるために走り始めました。

どこに逃げたらよいか分からず、安全なところを求めていました。

人々は安全を求めて走り回り、顔は恐怖におびえていました。

ビデオにその様子が映っています。

サタンの支配するこの終わりの日において、人々は世界中で恐れに捕らわれています。

どこが安全なのかを知りません。

でも、わたしたちは知っています。

箴言 18章を開きましょう。

これはこの年次総会の結びの話の主題が取られている聖句です。

箴言 18章10節です。

「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」

邪悪な者たちがいよいよ悪に進むため、エホバのもとに走り込んで保護していただく必要があります。

ひとたびエホバの塔に入ったなら、そこに留まります。

つまり信仰と従順のうちにエホバに目を向け、そのみ名にふさわしく忠実に歩むことの重要性を認めるのです。

この話の目的は、エホバのもとに走り込むよう皆を励まし、すでに走り込んだ人が、落胆しないようにすることです。

そして遅くならないうちに、エホバのもとに走り込むよう、人々を教えることです。

今や終わりが近づいていることは明白です。

なぜそう言えますか?

霊的に強めてくれるいくつかの基本的な真理を思い起こしてみましょう。

いくら復習しても、し過ぎと言うことはありません。

マタイ 24章ですが、なぜ終わりが近いとはっきり言えるのでしょうか?

マタイ 24章です。

イエスが神殿に生じる事柄について述べた後、弟子たちが個人的に近づいたことが3節に述べられています。

それは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、そしてアンデレです。

弟子たちはこう尋ねます。

「そのようなことはいつあるのでしょうか。あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」

この臨在とは、王として即位したイエスがこの地に来ることと関係があります。

今や際立っているのは、この時代の不法の増加です。

でも、留意すべきなのは単なる犯罪の増加ではなく、エホバの律法が軽視されていることです。

人々は律法を忘れています。

エホバの律法が軽視されています。

イエスは36節で、誰もその日と時刻を知らないことを強調した後、こう言われました。

37節です。

「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水前のそれらの日、ノアが箱船に入る日まで、人々は食べたり飲んだりめとったり嫁いだりしていました。そして、洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが、人の子の臨在の時もそのようになるのです」

それで、はっきりと昔のノアの時代と比較されていることが分かります。

彼らは注意しませんでしたが、今日も同じです。

毎年、多くの人がエホバ神に献身し、バプテスマを受けているのを見るのはうれしいことですが、実際には世界中の大半の人は気にも留めていないのが実情で、日常のことにかまけていて、関心がありません。

エホバのもとに来ようとはしません。

そのような変化をするつもりがありません。

時に忘れがちな事柄が創世記の6章の中に見いだせます。

エホバが行動を起こされた理由です。

創世記 6章です。

エホバが行動せざるをえないどんな状況があったかを、思い起こしてください。

それは、わたしたちの時代とも関係があります。

同じ理由で、まもなくエホバが行動を起こされるからです。

創世記 6章5節です。

「そのためエホバは人の悪が地にあふれ、その心の考えのすべての傾向が、終始ただ悪に向かうのをご覧になった」

次の意味深い言葉に注目してください。

11節です。

「地はまことの神の前に損なわれた」

それは「地[が]暴虐で満ちるようになった」からです。

今日も同様です。

「地は暴虐で満ちるようになった」

そして、エホバはそうした状態をそれ以上許すわけにはいかなくなりました。

13節です。

「そののち神はノアにこう言われた、『すべての肉なるものの終わりがわたしの前に到来した。彼らのゆえに地は暴虐で満ちているからである。いま、わたしは彼らを地と共に滅びに至らせる』」

「暴虐が満ちてい」たのです。

そうです、今日も同じです。

この地は暴力で満ちています。

でも、その状況ゆえに、エホバは行動されたのです。

暴虐が続いた後、7章1節で、「箱船に入りなさい」と言われました。

エホバは暴虐を終わらせたのです。

これは適切なことです。

1987年5月15日号「ものみの塔」20ページ18節は、ノアの洪水とわたしたちの時代との関係について、意味深いことを述べています。

「洪水で命を失った人々の中には、自分は今の社会に氾濫している暴力とは無関係な、『りっぱな』人間だと考えた人が多かったに違いありません。しかし単なる『りっぱさ』は彼らを救うものとはなりませんでした。それらの人たちは無関心な態度を示し、当時の悪を容認していました。エホバのもとに『走る』ことをせず、神の僕が語った時に聴き従わなかったことが万事を決定したのです。ですから彼らは生き残るために必要な措置を講じませんでした」

わたしたちには行なうべきことがあります。

宣べ伝え、教えることです。

人々は理解すべきです。

手後れにならないうちに今、エホバのもとに走るべきなのです。

イエスが敵のただ中で支配してきた何十年もの臨在期間中に、現在の暴力の程度は人を無感覚にならせるほどのものになってきました。

世界中どこに行っても暴力が見られます。

メディアやインターネットによって情報が広まったからではなく、実際に暴力が満ちあふれています。

現実がそうであることを忘れないでください。

ご自分の臨在とノアの日とを比べた際、イエスがほかにも結び付けたものがあります。

その点について、ルカ 17章をご覧ください。

これは終わり、つまりエホバが行動を起こされる時が、非常に近いことを明らかに示す2番目の点です。

これはエホバの裁きです。

ところで、ある国では、これからお話しする点は、憎しみをあおるものだと考える人たちもいることでしょう。

でも、わたしたちは決してエホバの言葉を水で薄めることなく、しっかりと付き従います。

これはイエスの言葉です。

イエスと論争したいなら、そうすればよいでしょう。

ルカ 17章で、パリサイ人は王国がいつ来るか知りたがっています。

ルカ 17章26節です。

ノアの日との関連を説明し、どのように箱船に入ったかを説明しました。

28から30節を読んでみましょう。

「また同じようにちょうどロトの日に起きたとおりです。人々は食べたり、飲んだり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりしていました。しかし、ロトがソドムから出た日に、天から火と硫黄が降って、彼らをみな滅ぼしたのです。人の子が表わし示されようとしている日も同様でしょう」

そのとおりです。

それは、イエスが大患難で表わし示されるときのことです。

エホバは性的堕落にも飽き飽きしておられます。

他の2人の聖書筆者は、この2つの出来事を結びつけているので、終わりがいかに近いかが分かります。

今の世界を見れば、それは明らかです。

ユダの手紙を開いて、注目してみましょう。

ユダは霊感のもとに、すでにエホバのもとに走った人々を励ましています。

ユダ 6節です。

ユダの手紙の6節を読みましょう。

「また、自分本来の立場を保たず、そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを、大いなる日の裁きのためにとこしえのなわめをもって、濃密な闇のもとに留め置いておられます」

ここに書かれているのは、不自然な性倒錯です。

ユダはそのことを述べていました。

エホバはユダに霊感を与えて、その点を書かせたのです。

これら不従順なみ使いは物質の肉体を身に着け、ご存じの通り、女と共に住み、子孫を生み出しました。

人間と悪霊の合いの子です。

大変難しい時代で、エホバにとってそれは卑しむべきものでした。

さて、ノアの洪水前に生じたこの出来事は、7節において、性的な倒錯と結びつけられています。

7節です。

「同様に、ソドムとゴモラ、およびその周りの都市も、ここに述べた者たちと同じように甚だしい淫行を犯し、不自然な用のために飽くことなく肉を追い求めたのち、永遠の火による司法上の処罰を受け、警告の例としてわたしたちの前に置かれています」

エホバは率直な言い方をしておられます。

世界中に見られる、この性的倒錯に、エホバは嫌気がさしておられるのです。

そして創世記 13章と18章が指摘しているように、エホバが、「苦情の叫び」が上がっている、と述べておられることを認めなければなりません。

ソドムとゴモラだけでなく、その周辺のすべての倒錯した者たち、およびこの苦情の叫びは、エホバが行動を起こされるには十分すぎるものであったのです。

わたしたちの時代はどうですか?

性的倒錯者

人々は自分たちがそうだとは思っていません。

わたしたちがそのように言うと、少なくとも彼らにとっては批判的で攻撃的に聞こえるのです。

わたしたちは人々を攻撃しているのではありません。

これは聖書の教えです。

エホバがそう判断なさるなら、わたしたちもその判断を支持します。

しかし、サタンの世の霊は、「洪水の物語やソドムとゴモラの話が本当だと信じるのは、ばかげている」と言います。

「あなた方は愚かだ」と。

でも、これらの話は真実です。

ペテロは霊感を受けてペテロ第二 2章を書いたとき、その点を非常に明確にしました。

ですから、エホバが霊感を与えて明確にしてくださったおかげで、終わりが近いことを理解できるのです。

ペテロ第二 2章4-6節です。

「まさに神が、罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず、彼らをタルタロスに投げ込んで、裁きのために留め置かれた者として、濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば、また、古代の世を罰することを差し控えず、不敬虔な人々の世に大洪水をもたらした時に、義の伝道者ノアをほかの七人と共に安全に守られたのであれば」

そして6節の重要な言葉です。

「また、ソドムとゴモラの都市を灰に帰させて罪に定め、来たるべき事の型を不敬虔な者たちに示されたのであれば」

それはすべての不敬虔な者たちの型です。

ノアの洪水やソドムとゴモラの日にエホバが行ない、彼らを裁かれたこと、それは型となっているのです。

それはエホバのもとに走らない者たちの結末です。

こうした聖書的な証拠、つまり、地が暴力と性的倒錯で満ちていることを考えると、大患難がまもなく始まることがはっきり分かります。

今後生じることをよく考えると、ジャクソン兄弟が大患難に関して述べたこととも関連していますが、わたしたちは心からエホバを信頼し、自分の理解に頼るべきではありません。

まもなく、だれも自分や愛する家族の安全を心配しなくなるというのは、なんと心安らぐことでしょう。

終わりの日の暴力はなくなります。

貴重なエホバの律法を堂々と無視するすべての性的に不道徳な者たちは、ソドムとゴモラの人々のように滅ほされるでしょう。

エホバはわたしたちの苦情の叫びを聞いておられるのです。

落胆しないでください。

すべての義なる崇拝者の皆さん、忘れないでください。

「エホバのみ名は強固な塔」です。

「義なる者はその中に走り込んで保護される」のです。

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