2017年次総会「司会者の話」 - ジェフリー・ジャクソン

テキスト

皆さんへの質問で始めたいと思います。

実はこうお尋ねするよう、統治体から指示されています。

もしスモーリー兄弟が祈りの中で、「あなたのお名前が立証されますように」と祈っていたらどう思われますか?

どんな反応をなさいますか?

「ジーン兄弟、そんな間違いをするなんて」と思いますか?

確かにこれまで長い間、エホバのお名前が神聖なものとされ、神の主権が立証される、と述べるように注意してきましたね。

ですが、エホバのお名前が立証されるという表現は、本当に間違っているのでしょうか?

1965年の「目ざめよ!」では、間違っているだろうと答えています。

1995年の「ものみの塔」でははっきりと、エホバのお名前に疑問を抱く人はいないのだから、お名前を立証する必要はないと再び強調されました。

しかし、この論題をさらに調査したところ、理解の調整が必要なことが分かりました。

ではここから連想される語句について考えてみましょう。

まず「神聖なものとする」とはどういう意味でしょうか?

「神聖な状態にする」とか、神聖なものとして扱うという意味です。

エホバのお名前が神聖なものとされることを祈るのはまさに適切です。

イエスが「お名前が神聖なものとされますように」と祈るよう教えられたとおりです。

大丈夫です。そこは変更ありません。

では「立証する」という語句はいかがでしょうか?

これは普通、疑いを晴らす、ある行為の正しさを証明するという意味があります。

非難を受けている人の真実さや正しさを証明するのです。

それでは「名前」という語句はいかがでしょうか?

単に見分けるものとか、ラベルとかいう意味でしょうか?

聖書中の用法はそうではありませんね。

ほとんどの場合、その人の評判について述べています。

見分けるための名前やラベルではありません。

例えば箴言 22:1では、「名は豊かな富にも勝って選ばれるべきもの」とあります。

この場合の「名」とは、その人の評判のことです。

では少しご一緒に考えてみましょう。

サタンが人類史を通じてずっと批判しているのは、いったい何でしょうか?

まず、エホバの評判、つまりエホバのお名前です。

次に、エホバの主権に服する者たちの忠節、言い換えればエホバが正当な主権者かという点です。

そのため、エホバの評判と支配の仕方の両方とも、立証される必要があるのです。

サタンはエホバのお名前を汚そうとして、様々な手段を用いてきました。

その1つは、エホバが許すことをなさらない厳格な神だと人々に信じ込ませることです。

キリスト教世界の諸教会では、神が火の燃える地獄で人々を苦しめると信じています。

また聖書を読むと、サタンはエホバがうそつきで、被造物から良いものを差し控えているとほのめかしているのが分かります。

この場合、エホバのお名前、つまり評判には、疑いを晴らされる必要が、言い換えれば立証される必要があるのです。

まとめると、エホバの主権が立証されなければならないのは確かですが、愛の神であるという評判つまりお名前も、同じように立証されなければなりません。

ですから、エホバの主権とお名前が立証されることと、エホバのお名前が神聖なものとされることは、結びついている、と言うことができます。

ここまでお聞きになって、「何が言いたいのだろう」と思われるかもしれません。

簡単に言うと、エホバのお名前が立証されるよう祈るのは間違っていないということです。

エホバの評判への疑いが晴らされなければならないことは確かだからです。

わたしたちもその一端を担えるというのは素晴らしいことです。

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