希望は、わたしたちがクリスチャンとしての強さを保つために全く不可欠です。
希望がないなら力もありません。
箴言 18:14にはこうあります。
「人の霊は病苦に耐えることができるが、打ちひしがれた霊についてはだれがこれを忍ぶことができようか」
脚注には「完全な絶望をだれが耐え忍べよう」とあります。
要点は何でしょうか?
希望がないなら力もないのです。
さらに、希望がわずかであれば力もわずかとも言えます。
箴言 24:10にはこうあります。
「あなたは苦難の日に自分が失望していることを明らかにしたか。あなたの力は乏しくなる」
希望がわずかなら、力もわずかです。
ですから、クリスチャンとしての希望を決して失ってはならない理由が、すぐにお分かりになると思います。
ヘブライ 6:19には、希望はわたしたちの「魂の錨」 、脚注にはわたしたちの「命の錨」とあります。
では皆さん、希望とは何ですか?
よく用いる言葉ですが、実際にどんな意味でしょうか?
聖書の中で用いられている「希望」と訳される幾つかの語には、元の言語で、切に待つ、良いことへの期待という意味があります。
ですから、希望とは単に何か良いことを願うことではありません。
その良いことが実現すると信じる根拠をも含むのです。
例えで考えましょう。
わたしたちが試練に遭うとき、友が助けに来てくれたらいいのにと思うかもしれません。
その友が、今まで何度も何度も助けに来てくれたことがあるならどうでしょうか?
その希望は単なる願望ではなく、その友が必ず助けに来てくれるという揺るがぬ理由なのです。
それが真の希望です。
良くなってほしいという願望ではなく、わたしたちがそれを得ることを信じる真の根拠こそが、真の希望なのです。
では皆さん、希望を失わせるどんな原因がありますか?
言うまでもないことですが、この体制で全く問題なしで過ごすことはできません。
そうではないでしょうか?
大抵の人は年を取るにつれて、体が弱くなるのを感じます。
50歳を過ぎると、それまで馴染みがなかった言葉を覚えます。
EKG、MRI、HDL、LDLといった用語です。
もしご存じないなら…やめておきます。
自分の健康問題に加え、配偶者や高齢の親など、家族が抱える健康問題にも対処していかなければなりません。
さらに、愛する人を失くすという経験にも対処しなければなりません。
ベネズエラに住んでいるならどうですか?
国の情勢の悪化に伴い、8月10日の報告によれば、これまでになんと47人、47人もの兄弟姉妹が殺害されています。
その他のむごい犯罪の被害にあった人たちも多くいます。
兄弟たちのことを思うとき、わたしたちの胸は張り裂けそうです。
テキサス、メキシコ、カリブ諸島に住んでいるならどうですか?
最近の甚大な自然災害のことを覚えておられるでしょう。
住む家や崇拝の場所、持ち物を全て失った兄弟たちがおられます。
ロシアに住んでいるならどうですか?
17万5000人の兄弟たちはもはや自由にエホバを崇拝できません。
もしわたしたちがこれらの消極的な事柄ばかり考えているなら、王国会館は嘆きの壁になってしまうでしょう。
そうではありませんか?
でも皆さん、エホバの民はそのような精神を示してはいません。
今この会場においても、地上のどこにおいても、エホバの民はそのような精神を示していないのです。
わたしたちは、どんな困難を経験しているとしても、決してあきらめません!
そうではありませんか?
なぜ、そうなのでしょうか?
イザヤ 40章にその答えがあります。
ご一緒に26節から読んでいきましょう。
天を見上げるようにと預言者は言っています。
こうあります。
「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは、その軍勢を数によって引き出しておられる方であり、その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえにその方はまた力が強く、それらの一つとして欠けてはいない」
要点は何ですか?
希望の源であり、わたしたちが信頼する方エホバは、「満ちあふれる活動力」をお持ちであり、「力が強」いとあります。
28節をご覧ください
「あなたはまだ知るようになっていないのか。聞かなかったのか。地の果てを創造された方、エホバは、定めのない時に至るまで神である。神は疲れ果てることもうみ疲れることもない。その理解は探り出すことができない」
エホバは宇宙における究極的な力の源であられます。
疲れたり、うみ疲れたりはされません。
ではこの方を待ち望むわたしたちにはどんな益がありますか?
29節をご覧ください。
「神は疲れた者に力を与えておられる。活動力のない者にみなぎる偉力を豊かに与えてくださる」
これは、わたしたちの身体的な力と何か関係がありますか?
言い換えると、エホバは何らかの方法でわたしたちの身体を強くされるのでしょうか?
そうではありません。
30節にはこうあるからです。
「少年は疲れ果てることもあり、うみ疲れることもある。また、若者も必ずつまずくであろう」
ですから、エホバからいただく助けは身体的な力のことではありません。
年齢や体力とは無関係です。
ではどうすれば、無限の力の源であられるエホバから力を得られますか?
そのカギは31節にあります。
「しかし、エホバを待ち望んでいる者は、再び力を得る」
これは興味深い表現です。
問題、圧力、迫害、禁令、投獄、自然災害
このリストはさらに続きます。
こうした問題や困難のことばかり考え続けるなら、どうなってしまいますか?
さながらバッテリー切れのように力を全て失ったと感じるでしょう。
しかし、わたしたちの偉大な神エホバに目を向けるならどうなりますか?
エホバがどれほど愛してくださっているかを思い出すならどうなりますか?
エホバが何度も助けてくださったこと、わたしたちが必要とするものを必要な時に与えてくださったことを思い出すならどうなりますか?
31節にあるように、すぐに「再び力を得」始めます。
力が戻ってくるのを感じるのです。
さらに、わたしたちが葉を全て落として枯れた木のように見えるとしても、どうなるでしょうか?
新芽を出して生気を取り戻します。
それはエホバからの力によるのです。
どんな結果になりますか?
31節の後半です。
「彼らは鷲のように翼を張って上って行く。走ってもうみ疲れず、歩いても疲れ果てることがない」
皆さん、要点は何ですか?
希望がないなら力もない。
希望がわずかなら力もわずか。
エホバを待ち望むなら無限の力!
そうではありませんか?
エホバを待ち望むなら、わたしたちは歩き、走り、飛ぶことができます。
エホバへの希望を決して失わないなら、高く空をかけることさえできるのです。
言っておきたいのですが、これは通俗心理学などではありません。
ポジティブな考え方のおかげでもありません。
この美しい地球のどこへ行っても、エホバの民に会う機会がある時、わたしはエホバがご自分の民の力を新たにされていくのを目の当たりにしています。
直面している状況によって彼らが圧倒されることは決してありません。
エホバからの力のおかげで、堅く立ち続けているのです。
ベネズエラの愛する兄弟たちはどうですか?
その国で今もつづく騒乱から影響を被っているにもかかわらず、2014年に2万6252人が正規開拓者として奉仕しました。
そして今年2017年の5月には、こうしたあらゆる問題にもかかわらず、正規開拓者の数は過去最高の3万4353人に達しました。
これは8000人以上の増加です。
どう思われますか?
愛する兄弟たちはこれを自分の力で成し遂げているのではなく、エホバを待ち望んでいるので、力が新たにされ、力を再び得ているのです。
災害救援地域の兄弟たちはどうですか?
JW Broadcastingの報告の中でブロー兄弟が、トルトラ島の兄弟たちについて話されたことを覚えておられるでしょう。
兄弟たちが何十年も使ってきた王国会館は、崩壊して使用不可能になりました。
それでも兄弟たちは何をしましたか?
毎日、王国会館に来ては駐車場に座っていました。
なぜでしたか?
なぜなら、エホバからの助けがその場所から始まることを確信していたからです。
それが失望に終わることはありませんでした。
ブロー兄弟は、王国会館を再建してトルトラ島の愛する兄弟たちを支援する取り決めが設けられていると確証してくださいました。
ロシアの愛する兄弟姉妹たちはどうですか?
では、本当に難しい状況に直面していても、兄弟姉妹の霊が高揚するように、エホバがどんなことをなさったかどうぞご覧ください。
高齢の人から幼い子供に至るまで、いろいろな背景を持つ人たちがみな、世界的なエホバの民に対するこの措置に関して感じていることを、ロシアの当局に何とか伝えたいと思いました。
これはわたしたちの兄弟関係をより一致させる効果がありました。
プーチン氏が、届く手紙を全部開けて一体どうするかはわたしには分からないけど、この手紙を書くことで、終わりの日に組織全体がエホバの主権を擁護していることは分かるでしょう。
このキャンペーンに参加できてとてもうれしいです。
言葉や場所は違っていても、わたしたちはエホバへの愛によって結ばれています。
ロシアではエホバのしもべは少数派とみなされているかもしれませんが、わたしたちは世界的な兄弟関係にあります。
その一員として、この手紙を書くキャンペーンにぜひ参加したいと思いました。
きょうだいたちがおうこくかいかんにいけるようにしてくださいって、しゅしょうにかきました。
ロシアせいふに、「エホバのしょうにんとこどもたちはいいひとたちです。どうかエホバをすうはいできるようにしてください」ってかいています。
「わたしたちは、あらゆる面で圧迫されながらも、動きが取れないほど締めつけられているわけではなく、困惑させられながらも、逃れ道が全くないわけではなく、迫害されながらも、見捨てられているわけではなく、倒されながらも、滅ぼされているわけではありません」
兄弟姉妹たち、2018年に、どんな試練がわたしたちを待ち受けているかは分かりません。
でも分かっていることがあります。
エホバへの希望を決して失わないなら、「再び力を得る」のです。
したがって、統治体は2018年の年句にイザヤ 40:31を選びました。
「エホバを待ち望んでいる者は再び力を得る」
そうです、愛する兄弟姉妹、わたしたちの偉大で、素晴らしい神、エホバへの希望を決して失わないなら、わたしたちは宇宙における究極の力の供給者であられる方に、いつでも近づくことができるのです。