最初の話の主題は、「霊的パラダイスに感謝しましょう」です。
こうした特別な機会に、この主題が取り上げられるのはふさわしいことです。
では、お尋ねします。
いつ、エホバの民は大いなるバビロンへ霊的に捕らわれましたか?
最近学びましたが、それは西暦2世紀のある時点、「抑制力となって」いた使徒たちがすべて亡くなった後のことで、偽クリスチャンが会衆に入り込み、嘆かわしいキリスト教世界が誕生した時でした。
では、この捕らわれが終わったのはいつですか?
それは1919年です。
その年、油そそがれた真のクリスチャンは、捕らわれから出て、清い崇拝が回復されました。
今年は2018年ですから、エホバの民が自由を得てから99年、ほぼ100年になるということです。
では自由を得たことにより、わたしたちはこの100年間、どんな良い影響を受けてきましたか?
パラダイスにいるような深い喜びと平和をますます味わってきました。
もうこれ以上望みえない申し分のないパラダイスだった、エデンの園にいるかのようです。
では、エデンの園と現在の霊的パラダイスを比べて、どんな類似点があるかを考えましょう。
そうすれば、もうわたしたちはパラダイスにいる、という実感がわきます。
では、1つ目の類似点です。
エデンの園には、当然ですが土地がありました。
霊的パラダイスにも土地がありますが、それは何でしょうか?
「ものみの塔」1995年7月1日号は、「1919年、エホバは、油そそがれた残りの者を大いなるバビロンへの捕らわれから連れ出されました」と述べ、油そそがれた者たちのグループは新たに生まれた国民になった、と続けました。
その記事にも、地とは何か、という質問が出ています。
答えは、新たに生まれたその国民に授けられた活動の領域、預言が現代の霊的な成就を見る場所です。
つまり、油そそがれた者たちが、聖書預言を実現する活動領域のことです。
2つ目です。
エデンの園と同じように、霊的パラダイスにも美しい植物や樹木が植えられています。
アダムとエバがいたエデンの園は確かにそうですが、霊的パラダイスの植物や樹木とはだれのことでしょうか?
聖書は、それを神の民だと述べています。
コリント第一 3:9はこうです。
「あなた方[神の民]は、耕されている神の畑……です」
イザヤ 61:3も考えてみてください。
「彼ら[つまり神の民]は必ず義の大木、エホバの植えたものと呼ばれる」
エデンの園の植物や樹木のように、神の民も多くの実を結びます。
唇の実や霊の実です。
今ここにも、美しい立派な大木のような兄弟姉妹たちがおられます。
本当にうれしいことです。
3つ目です。
エデンの園のように、霊的パラダイスもたくさんの食物を生み出してきました。
エホバはイザヤ 65:13でこれを予告しており、対比してこう述べています。
「見よ、わたしの僕たちは食べるが、あなた方は飢える」
とりわけ今日、この差はますます明らかになっているのではありませんか?
世の人たちがあずかる「悪霊の食卓」と、わたしたちがあずかる「エホバの食卓」を比べてみてください。
世の人たちは、栄養のないジャンクフード、そして毒入りのものさえ食べていますが、わたしたちにはバラエティに富む食事が豊かに用意されています。
栄養があるだけではなく、とても楽しい食事が、出版物、集会、大会、jw.org、さらに最近ではJW Broadcastingで提供されています。
「エホバの証人の世界本部からJW Broadcastingでした」
こんなふうに、がんばっています。
4つ目です。
聖書によれば、エデンの園の外には川が流れていました。
4つの支流に分かれるほどですから、きっと大きな川だったに違いありません。
ですからエデンの園には、さわやかな水が豊かに流れていたことでしょう。
霊的パラダイスも同様に豊富な水があります。
エホバはこの点についても対比を用いて予告しておられました。
イザヤ 65:13でエホバは、「見よ、わたしの僕たちは飲むが、あなた方は渇く」と述べています。
わたしは、「ものみの塔」のライフストーリーで、このように語ってくれた アフリカの若者のことを思い出します。
「言ってみれば、今まで教会から『酸』を飲まされてきた自分が、今では命の水をふんだんに得ているように思えました」
この人は三位一体の教理や先祖崇拝などから自由になり、大変感謝しました。
エホバは真理の水を飲むよう、啓示 22:17でこう招いておられます。
「『来なさい!』……そして、だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」
この水は、永遠の命のための、エホバの備えすべてを表わしています。
5つ目です。
エデンの園と同じように、霊的パラダイスにも多くの動物がいて、皆無害です。
これがどういう意味なのか、その説明がものみの塔の出版物の1つ、「イザヤの預言」の中に書かれています。
まず聖句をお読みしましょう。
イザヤ 65:25です。
エホバは動物たちが害を及ぼさなくなることを予告しておられます。
「『おおかみと子羊が一つになって食べ、ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては、その食物は塵となる。これらはわたしの聖なる山のどこにおいても、害することも損なうこともしない』と、エホバは言われた」
新しい世ではこれが文字通り実現することでしょう。
ですが今でも霊的な意味で実現しています。
「イザヤの預言」の書籍は、そのことについて、こう説明しています。
「その霊的パラダイスに入って来る人々は、注目に値する生活上の変化を遂げます」
かつて獣のような性格をしていた人たちが、神の霊の助けを得て望ましくない特性を捨て、大きく変化することで、このイザヤの聖句が霊的に実現しているのです。
ですから、今皆さんとこうして共にいられるのは、本当にうれしいことです。
皆さん、以前はおおかみ、ライオン、熊、蛇のようだったとは思えませんね。
昔はそのようだった、ということです。
真理を学ぶ前の皆さんと夜道でお会いしたら、怖かったかもしれません。
皆さんも、もしわたしが真理のうちに育てられていなかったら、同じことをおっしゃるでしょう。
でも、平和を愛する仲間たちと共にいられるのはうれしいことです!
6つ目です。エデンの園と同じように、霊的パラダイスにもメンテナンスが必要です。
エホバは霊的パラダイスをメンテナンスされていると言えますか?
これがイエスの答えです。
ヨハネ 15:2をご覧ください。
「父[エホバ]は、わたしにあって実を結んでいない枝をみな取り去り、実を結んでいるものをみな清めて、さらに実を結ぶようにされます」
さて、実を結んでいない枝を取り去り、実を結んでいるものが、さらに実を結ぶようにするというのは、手入れ、つまりメンテナンスのことですね。
では、わたしたちもメンテナンスをすべきでしょうか?
「エホバのご意志を行なうための組織」の本にはこう書かれています。
「あなたは信仰によって、霊的パラダイスに導き入れられました。霊的パラダイスの益にあずかるあなたには、その維持[またはメンテナンス]に貢献する責任もあります」
この本は続けて、聖書の助言を当てはめることで、霊的パラダイスをメンテナンスできると述べています。
もう1つ、7つ目の類似点です。
霊的パラダイスにはエデンの園と同じように、境界があります。
エデンの園については「洞察」の本にこう書かれています。
「それは恐らく自然の障壁という境界によって囲まれた、一つの敷地だったようです」
そこは東側に入口があり、ご存じのようにケルブたちが配置されて、そこを守っていました。
霊的パラダイスにも境界があるでしょうか?
いくつか例があります。
排斥された人との交友をやめるようにという、コリント第一 5:11。これは踏み越えてはならない境界です。
大いなるバビロンから出なさいという、啓示 18:4。これも境界です。
イエスと同様に世のものとならないという、ヨハネ 17:14も境界です。
サタン悪魔はアダムとエバを、美しい楽園から境界の外へとおびき出すことができましたが、今では素晴らしい霊的パラダイスの境界から、わたしたちすべてをおびき出そうと躍起になっています。
ですが、わたしたちはここから出ないよう決意しています。
ここまでで7つの類似点を取り上げましたが、さらにあるでしょう。
確かに、エホバの民であるわたしたちの状況は、パラダイスそのものですね。
そして霊的パラダイスが実現しているということは、どういうことですか?
文字通りのパラダイスがまもなく、同じように実現することの証拠となるのです。