2018年次総会「心配してはいけない。私があなたの神である」 - デービッド・スプレーン

テキスト

身近で悲しい出来事が起きたらどうでしょうか?

考えてみてください。

あなたや、あなたの愛する人に、人生を180度変えるようなことが起きたら、果たして穏やかな気持ちでいられるでしょうか?

答えはイエスです。

どうしてそう言えるのでしょうか?

4つの理由を考えてみましょう。

その答えはわずか1つの聖句に記されています。

イザヤ書に注目しましょう。

41章を開いてください。

穏やかでいられる4つの理由が書かれています。

イザヤ 41:10です。

いいでしょうか。

「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいるからである。周りを見回すな。わたしはあなたの神だからである。わたしはあなたを強くする。わたしはあなたを本当に助ける。わたしはわたしの義の右手であなたを本当にしっかりととらえておく」

この話の間はこの箇所を開いたままにしておきましょう。

さらに詳しく考慮していきます。

さて、この言葉が書かれてから100年以上のち、実に悲惨な出来事が生じました。

バビロンの王がエルサレムを襲撃したのです。

聖書はこの王について次のように述べています。

「彼は若者にも処女にも、年寄にも、老衰した者にも同情を覚えなかった。彼はまことの神の家を焼き、エルサレムの城壁を取り壊した。その住まいの塔をみな、彼らは火で焼き、またその好ましい品物もみな焼き、壊滅させた」。

ところが、生き残った者たちがいました。

でも、これから話すのは、すでにバビロンにいたダニエル、エゼキエル、シャデラク、メシャク、アベデネゴといった人物のことではありません。

そうではなく、この時生き残ったユダヤ人たちに何が生じたかを思い描いてみてください。

どうぞ情景を目に浮かべてみてください。

彼らは鎖につながれ、エルサレムのがれきの中を連れられていきます。

まだ火がくすぶっています。

その中にいる彼らの様子が見えますか?

やもめが一人息子のなきがらを抱えているところに、1人の兵士が近づいてきます。

息子を捨てて立ち上がるようにとやもめに命じます。

でも彼女は立ち上がれません。

息子を手放すこともできません。

大切な一人息子です。

すると、兵士は一振りで彼女を殺します。

この様子を見ていた人たちは、自分の行く末が不安になります。

忠実な民はどうしたでしょうか?

きっとエホバの言葉を繰り返したことでしょう。

イザヤによって語られた言葉を、何度も、何度も。

「心配してはいけない。心配してはいけない。

わたしがあなたの神である。わたしはあなたを強くする。

あなたをしっかりととらえておく」。

時代を越えて、この言葉はエホバの民の大きな励ましの源となってきました。

現代のわたしたちにとっても、この言葉は強さの源となるのです。

イザヤ 41:10をさらに詳しく調べて、悲しいことが起きても心配しすぎなくてよい4つの理由に注目しましょう。

その1つ目の理由は何でしょうか。

エホバは「わたしはあなたと共にいる」と述べています。

エホバは「わたしは」と言っているのです。

「心配してはいけない。あなたには知恵がある。あなたなら解決できる」と述べているわけではありません。

エホバがわたしたちと共にいるので、心配する必要がないのです。

エホバを100パーセント信頼すること、それが穏やかな気持ちを持つためのベストな方法です。

今日のプログラムの中で繰り返し話されている点ですね。

でも、エホバが注目しているのは、主権の立証のようなスケールの大きな問題だけだと思いますか?

あなたの問題はどうですか?

エホバはイスラエル人たちにこう約束しています。

では今度は43章を開きましょう。

2節に注目します。

エホバはあなたに語りかけています。

「あなたが水の中を通って行こうとも、わたしはあなたと共におり、川の中を通って行こうとも、それがあなたの上にみなぎりあふれることはない。あなたが火の中を歩こうとも、あなたは焼き焦がされることなく、炎があなたを焦がすこともない」

エホバはここで、問題が生じない、とは述べていません。

あなたの行く手を阻む川があるのです。

でも、エホバはその川があふれることを許しません。

火がありますが、エホバはあなたが炎に包まれることを許しません。

エホバは火や水を制する力をお持ちです。

そのエホバが、わたしたちと共にいてくださるのです。

どんな試練を受けても、エホバを信頼するなら忠誠を保つことができるのです。

でも、エホバが行なってくださることはほかにもあります。

エホバは試練に直面した時にも、穏やかさを与えてくださるのです。

そのことは良子という姉妹の経験からよく分かります。

良子は医師たちから余命数か月を宣告されました。

でもエホバが良子と共におられました。

どのようにでしょうか?

病気を奇跡的にいやしたのでしょうか?

そうではありません。良子の娘はこう述べています。

「母は驚くほど落ち着いていました。穏やかな気持ちでいられるようエホバが助けてくださったのだと思います」

皆さんもきっと、このような神からの平和を味わってきたことでしょう。

それによって試練を忍耐できた経験を幾つもお持ちのはずです。

では、もう一度イザヤ 41:10に戻って、穏やかさを保てる2つ目の理由を考えましょう。

エホバは、「周りを見回すな。わたしはあなたの神だからである」と述べています。

「周りを見回す」と訳されている語は本来、危険を察知して後ろを振り返ることや、常に警戒している状態を意味しています。

では、そのようにすることにメリットはあるのでしょうか。

米国の作家マーク・トウェーンの名言を思い出します。

「長い人生の中で幾つも大変な目に遭ったよ。ほとんどは頭の中でね」

なるほど、そのとおりだと思いませんか?

起きるだろうと思ったことが、実際には起きなかった、というのは良くあることです。

要点が分かるでしょうか?

どんな迫害が起きるだろう、こんな迫害が起きたらどうしよう、そんな想像をしてもプラスにはなりません。

なぜでしょうか?

わたしたちは神を知っており、エホバがどんなことをしてくださるかを知っているからです。

自分のためにエホバがしてくださったことを考えてください。

エホバはこれまでも助けてくださいました。

そうであれば、これからも助けてくださいます。

新しい38番の歌詞にありましたね。

「神はあなたをいつも守り、強い人にしてくださる」

確かにそのとおりです。

真理を知って最初に生じた試練は何でしょうか。

エホバの証人と聖書を学んでいくうちにどうやって家族にその話を切り出そうかと、きっと悩んだことでしょう。

上手く切り出せるよう、ぴったりの言葉を教えてくださいと、エホバに祈ったことでしょう。

でも、うまくいきませんでした。

まるで火の中を歩いているように感じたでしょう。

では、それであなたは焼け焦げてしまいましたか?

そんなことはありません。

あなたは今日もエホバに仕えています。

エホバはあなたを助けたのです。

エホバは穏やかさを与え、忍耐できるようにしてくださいました。

今は家族ともっと良い関係になっているかもしれませんね。

あなたが宗教の話題を持ち出さない限り。

エホバはあの頃も、そして今でも助けてくださっています。

あれ以来もっと大変なことを経験してきたので、今振り返ってみると最初の試練をそれほど大変だったと感じていないかもしれません。

そうだとしても、あれはやはり試練でした。

あなたはそれを切り抜けたのです。

そうして信仰が強くなったからこそ、のちにもっと大きな試練も乗り越えることができました。

エホバはあなたの信仰を少しずつ強めてくださっています。

エホバが問題を取り除いてくださるとは限りません。

問題に対処するために何か行動を取るとき、そのための知恵を祈り求めてください。

自分でできることが何もないときは、心の平和を祈り求めてください。ともかく祈るのです。

問題を解決する上で次に重要な点は、問題について心配しないことです。

では、10節に戻って、エホバからの3つ目の保証の言葉に注意を向けましょう。

「わたしはあなたを強くする。わたしはあなたを本当に助ける」という言葉です。

この「強くする」には、どういう意味がありますか?

厳密には、より強くするということです。

午前中わたしたちは将来の幾つかの段階で、恐ろしい事態が生じうると学びました。

話を聞きながら、「わたしが迫害を耐えられるとは思えない」とお感じになったかもしれません。

この考え方の問題点にお気づきですか?

「わたしが迫害を耐えられるとは思えない」

エホバが視野に入っていません。

1人で迫害に立ち向かう必要はありません。

エホバを視野に入れてください。

エホバはわたしたちを強める、と言ってくださっています。

自分自身も知らない内面の強さを、エホバは与えてくださいます。

これは今まだ持っていない強さです。

迫害を経験していない今、迫害に対処できるほどの強さはないかもしれません。

でも、その時には必ず、エホバが必要な強さを与えてくださいます。

エホバは「あなたを強くする」のです。

では10節の最後の一文について考慮しましょう。

「わたしはわたしの義の右手であなたを本当にしっかりととらえておく」というエホバの言葉です。

「ものみの塔」2016年7月号に、この聖句の説明が載せられています。

以前は、自分とエホバが手をつないで歩いている、と考えていましたね。

でもそうではありませんでした。

なぜそう言えますか?

13節でエホバは、「あなたの神エホバは、あなたの右手をつかんでいる」と言っています

10節の終わりではどうですか?

「わたしはわたしの義の右手で、あなたを本当にしっかりととらえておく」

もしエホバの隣を歩いているなら、わたしたちの右手はエホバの左手を握っていることになるでしょう。

もしくは、わたしたちの左手がエホバの右手を握っているのかもしれません。

エホバは、「そうではない。わたしはわたしの義の右手で、あなたの右手をつかむ」と言っているのです。

どんな情景が浮かびますか?

あなたは倒れていて起き上がれません。

エホバ神が右手を差し出しています。

あなたはどうしますか?

倒れたままでいるのではなく、自分の右手を伸ばし、起き上がれるように助けてもらいましょう。

今、うつ病と闘っていますか?

もしくは、大切にしていた奉仕の務めを失い、立ち直れないでいますか?

エホバに向かって自分の右手を伸ばし、助けてもらいましょう。

エホバは右手として長老を用いるかもしれません。

エホバがだれを用いるにしろ、その助けは、あなたが助けを受け入れることを望まない限り得られないのです。

将来何が起きても穏やかでいられる、4つの理由を考えました。

エホバは、「わたしはあなたと共にいる」と言っています。

「わたしはあなたの神……である」

「わたしはあなたを強く」する。

さらに、「わたしはわたしの義の右手であなたを本当にしっかりととらえておく」と言っています。

素晴らしい保証の言葉です。

1年間、これらの言葉を深く考えていくことになります。

この話を聞いてもうお気づきになりましたね。2019年の年句は、これです

「心配してはいけない。私があなたの神である」

動画リンク

JW BROADCASTING で見る(別ウィンドウ)