啓示 12:17によると、神に仕える人は皆、戦っています。
この会場にいる皆さんもそうです。
実際、天に行くよう選ばれた人たちを支持している世界中の兄弟姉妹は皆、戦っています。
ご一緒に啓示 12:17を読んでみましょう。
こうあります。
「それで竜は女に対して激怒し、彼女の子孫のうちの残っている人たち、すなわち、神のおきてを守り、イエスについて証言する務めを与えられている人たちと戦うために去っていった」
どんな気持ちになりますか?
モリス兄弟だったらこう言うでしょう。
「元気を出して! 状況は悪くなる一方だから」
この戦いでどんなことを予期すべきでしょうか?
戦いには憎しみ、それも激しい憎しみが付きものです。
イエスもそのことを述べています。
弟子たちは嫌われるだけでは済みません。
イエスは何と言いましたか?
マタイ 24:9をご一緒に読んでみましょう。
マタイ 24:9。
「その時、あなたたちは苦難を味わい、殺されます。私の名のために、全ての国の人々から憎まれます」
どんなことを予期すべきですか?
イエスが述べたように、「全ての国」の人々から憎まれます。
エリトリアやロシアだけでなく、「全ての国」です。
ほかにも予期すべきことがあります。
ある有名な言葉に、「戦争で最初に犠牲者になるのは真実だ」というものがあります。
そうしたことを神に仕える人たちが経験する、とイエスも述べています。
読んでみましょう。
マタイ 5章です。
マタイ 5:11。
こうあります。
「私のために非難され、迫害され、[次に注目してください]悪意のあるうそをいろいろ言われるとき、あなたたちは幸福です」
何が分かりますか?
私たちは戦っています。
「全ての国の人々から憎まれ」ることを予期しています。
人々から「悪意のあるうそをいろいろ言われる」ことも予期しています。
こうしたことを踏まえて、次の質問を考えてみましょう。
誰を恐れるべきですか?
有名な政治家、フランクリン・ルーズベルトはこう言いました。
「私たちが恐れるべき唯一のものは、恐れそのものだ」
全く正しい言葉とはいえませんが、一面の真理を含んでいます。
恐れは、大敵対者である悪魔サタンが使う強力な武器です。
この武器で私たちを攻撃します。
どんな危険がありますか?
恐れたりおびえたりすると、敵の思うままに操られてしまう可能性があります。
使徒パウロがヘブライ 2章で述べたことからその点が分かります。
ご一緒に読んでみましょう。
ヘブライ 2章です。
14節から読んでみます。
「それで、『子供たち』が人間なので、イエスも人間になりました。それは、自分の死により[この点に注目してください、自分の死により]、死をもたらす者である悪魔を除き去るため、また、死への恐れゆえに、生涯ずっと奴隷の状態だった人全てを[どうしますか]自由にするためでした」
パウロはキリスト・イエスという贈り物を与えてくれたエホバを賛美しています。
なぜでしょうか?
キリスト・イエスの贖いの犠牲に信仰を持つ全ての人が自由になることを、知っていたからです。
何から自由になるのでしょうか?
「死への恐れ」による奴隷の状態から自由になるのです。
これが重要な意味を持つのはなぜでしょうか?
死を恐れる人はいつもおびえているので、他の人に操られ、コントロールされてしまうことがあります。
例えば、第2次世界大戦後に行われたニュルンベルク裁判について考えてみましょう。
残虐の限りを尽くしたナチ党員が裁判にかけられました。
その中には男性も女性もいましたが、「なぜこんなにひどいことができたんですか」という質問に対して、こう答えました。
「そうするしかなかったんです。命令に従わなければ殺されたからです」
彼らは操られ、コントロールされ、非常に残虐な行為をしてしまいました。
死を恐れていたからです。
私たちの素晴らしい神エホバに全く頼り、神の子であるイエス・キリストの贖いの犠牲に信仰を持つなら、パウロがフィリピ 1章で述べたのと同じ気持ちを抱けます。
ご一緒に読んでみましょう。
フィリピ 1:28です。
こうあります。
「反対者たちを全く恐れていないということです。こうした事柄は、反対者たちが滅び、皆さんが救われることの証拠です。それは神からのものです」
エホバとキリストの贖いの犠牲に信仰を持つなら、私たちは自由になります。
反対者を恐れることはありません。
迫害に対する恐れを克服する上で、助けになることがほかにもあります。
それは次の大切な点を忘れないことです。
エホバは敵のできることに限度を設けている、ということです。
コリント第一 10章のこの言葉を覚えておられるでしょう。
コリント第一 10:13をご一緒に読みましょう。
パウロはこう述べています。
「皆さんが受けてきた誘惑は、多くの人が同じように経験してきた誘惑です。神は信頼できる方で、皆さんが耐えられないほど誘惑を受けるままにはしません。出口を設けて、誘惑に耐え切れるようにしてくださいます」
これはエホバ神の約束です。
エホバは敵のできることに限度を設けています。
1600年代に書かれた本に、有名な挿絵があります。
そこには目的地に至る道と、道の両側にいるライオンが描かれています。
その挿絵のキャプションには、こう書かれています。
「ライオンは鎖でつながれているが、通行人は鎖を見ていなかった」
要点は何ですか?
私たちは新しい世界への途上で、ライオンに出くわすかもしれません。
でもどんなことを思い出すべきですか?
どのライオンも鎖につながれています。
ですから、私たちが目を向けるべきなのは、ライオンではなく鎖です。
エホバが私たちを愛していること、自分の民を愛していること、私たちに永続的な害をもたらすことをサタンやその手先に決して許さないことを考え続けるなら、反対者たちへの恐れは消え去ります。
ライオンに出くわしても、ライオンを見続けてはなりません。
鎖を見てください。
では、最初の質問に戻りましょう。
「誰を恐れるべきですか」
聖書はこう答えています。
詩編 111編です。
詩編 111:10です。
こうあります。
「知恵はエホバを畏れることから始まる。神の命令を守る人は皆、深く洞察する。神は永遠に賛美される」
誰を恐れるべきですか?
私たちの素晴らしい神エホバに健全な恐れを抱くべきです。
宇宙の全能の神を悲しませたくない、という気持ちを持ちましょう。
エホバへの畏れはコンパスのように働き、どこに向かうべきか、何をすべきかを教えてくれます。
どれほど強い反対を受けるとしても、どんな形の反対を受けるとしても、私たちが神を畏れているなら、何をすべきかがはっきり分かります。
そう思いませんか?
これは単なる理論ではありません。
この話で考えてきたことを、世界中の兄弟姉妹が実践しています。
これからビデオをご覧いただきます。
ロシアで迫害を受けている兄弟姉妹の心のこもったコメントを聞くことができます。
私たちが迫害を恐れる必要が全くないことも分かるでしょう。
ある家で集会を開いていた時、急に2つのドアが開き、覆面をした警察官たちが踏み込んできました。
怖かったです。
あっという間の出来事でした。
大きな音がして、「全員床に座れ!」と命令されました。
手錠を掛けられ、車に乗せられ、刑務所に連れていかれました。
怖かったです。
刑務所にどれぐらいいることになるか、何が起きるか分からなかったので、怖かったです。
尋問中、これから信仰が弱くなって、みんなをがっかりさせたらどうしよう、と思いました。
勾留中、一番不安だったのは、刑務所で何が起きるか、誰にどんなことをされるのか、自分はどうすべきかが分からなかったことです。
看守が刑務所での生活がどれほどひどいかを話し始めました。
私はダニエルを支えた天使の挿絵を思い出し、この看守の後ろにも天使がいるんだと想像しました。
おかげで気持ちが落ち着き、恐怖心がなくなりました。
エホバが助けてくれました。
初めて裁判に行った時、兄弟たちは拍手して私をサポートし、愛を表してくれました。
一緒にいてくれて本当に心強かったです。
真剣に熱烈に祈ることで、恐れを克服できました。
イザヤ 30:15が支えになりました。
平静を保ち、エホバに頼ることが一番大切だと気付きました。
とても気が楽になりました。
エレベーターで1階に連れていかれました。
ドアが開くと、大勢の兄弟姉妹がそこにいて、拍手で出迎えてくれました。
それを見て感動し、涙が込み上げてきました。
翼が与えられたような気がしました。
「大勢の証人たち」が一緒にいるんだと思いました。
エホバに、「冷静さや勇気や知恵を与えてください。あなたのお名前に非難をもたらすことがないよう助けてください」と祈りました。
するとすぐに「神からの平和」に包まれて、穏やかな気持ちになりました。
状況は変わりませんでしたが、恐れは消えていました。
恐れの気持ちはありましたが、夫婦で毎日伝道に行くようにしました。
自分のことではなく、他の人を助けることに思いを向けると、恐れは消えていきます。
恐れを克服する助けになったのは、希望を持つことです。
エホバと同じ見方をし、先のことを考えるようにしました。
もうこれで終わりだと考えるのではなく、通過点にすぎないと考えるようにしました。
「今日は今日で生きよう……真っ新な明日が来る」という歌詞を思い出して、恐れを乗り越えることができました。
まだ起きていないことを心配するのではなく、実際に起きた問題に対処することが大切です。
恐れについて考えてみました。
誰でも恐れを感じることはあります。
恐れを感じたとしても、恥じる必要はありません。
でも大切なのは、恐れを克服できるか、コントロールできるか、ネガティブな気持ちを抑えられるかということです。
怖いと感じたときには、エホバに祈りました。
「勇気をください。何も恐れないでいられるよう助けてください」と祈りました。
自分に言い聞かせます。
「エホバ以外の誰も、何も恐れるんじゃない!」
愛する兄弟姉妹、皆さんのサポートに心から感謝しています。
皆さんの手紙や気遣いや祈り、本当にうれしいです。
深く感謝しています。
これからもベストを尽くします。
ベストを尽くしてエホバに仕えます。
永遠にそうします。
兄弟姉妹、私たちも迫害を受ける時が来ます。
エホバに頼り、反対者への恐れを克服してください。
どのライオンも鎖でつながれていることを、忘れないでください。
ライオンではなく、鎖を見てください。
エホバ神への健全な恐れを抱いて行動してください。
皆さんは、私たちの素晴らしい神エホバ以外には誰も恐れないことを決意していますか?
では、「誰を恐れるべきですか」?