私たちには大切にしているものがたくさんあります。
例えば、家族や友人を大切にしています。
宣教を大切にしています。
そして、何よりもエホバへの崇拝を大切にしています。
私たちは生きている限りそうします。
すでに見たように、困っている兄弟姉妹を助けます。
自然災害や政情不安や、厳しい反対を経験している兄弟姉妹の助けになろうとします。
それに加えて、宣教で会う人々も大切にします。
人々を深く愛しているからです。
その点でイエスは手本を示しています。
マタイ 9:36-38には、人々を気遣うイエスの気持ちが表れています。
マタイ 9:36からです。
「群衆を見て、かわいそうに思った。羊飼いのいない羊のように痛めつけられ、放り出されていたからである。そこで弟子たちに言った、『収穫は多いですが、働き手は少ないのです。それで、収穫のために人を遣わしてくださるよう、収穫の主人にお願いしなさい』」
イエスは人々をかわいそうに思いました。
なぜそう思ったのでしょうか?
人々を心から気遣い、愛していたからです。
私たちも人々を愛しています。
困っている人や苦しんでいる人に優しい気持ちを抱きます。
私たちもイエスのように人を愛し、大切に思い、時にはかわいそうに思います。
そして、ぜひ助けになりたいと思います。
できるなら、その人が聖書の言葉に心を動かされて、エホバの望むことを行うようになってほしいとも願っています。
キリストに従うには、人々を大切に思い、助けなければなりません。
この話では、思いやりを示しつつ、宣教を最後まで行う大切さと、人々が神に献身するよう助ける方法について学びます。
2020年の年句も発表されます。
レット兄弟がおっしゃったように、「引き続きよくお聞きください」
でもその前に、過去の出来事から学べる聖書の原則を考えてみましょう。
宣教活動で会う人々を気遣い、助けていくのに役立つでしょう。
昔から、エホバは自分に仕える人々に、他の人を気遣うべきことを教えてきました。
イスラエル人には、家畜のことも気遣うよう教えました。
例えば、イスラエル人がエジプトを出る時にエホバから与えられた命令について考えましょう。
出エジプト 12:5, 6です。
目で追ってください。
文脈を見ると、エホバは過ぎ越しの犠牲について、指示を与えていることが分かります。
3節によると、犠牲にする羊は、その月の10日に選ばなければなりませんでした。
この点を思いに留めて5節をご覧ください。
「羊は傷のない1歳の雄であるべきである。羊の代わりにヤギでもよい。この月の14日までその羊を世話し、イスラエルの会衆全体は、夕暮れ時にそれをほふらなければならない」
羊を選ぶだけではなく、「14日までその羊を世話」する必要があったのはなぜでしょうか?
その答えが分かると、2つの原則が浮かび上がってきます。
宣教にも当てはまる原則です。
1つ目の原則です。
傷のある羊はエホバに犠牲として受け入れられませんでした。
5節には「羊は傷のない1歳の雄であるべき」と述べられています。
傷のない羊を選んだものの、世話を怠って羊にけがを負わせるなら、その羊はもはや、エホバに犠牲として受け入れられませんでした。
原則は、犠牲を受け入れられる状態に保つ、ということです。
もうすぐほふるのだから世話をしなくてもいい、などと考えてはなりませんでした。
この原則は宣教にも当てはまります。
2つ目の原則です。
このエホバの指示には思いやりが表れています。
数日後に犠牲にされるからといって、羊をいい加減に扱ってはなりませんでした。
後で考えますが、この点も宣教に当てはまります。
この2つの原則を覚えておきましょう。
エホバは、思いやりを示しつつ、価値あるものを最後まで大切に扱う手本を示しています。
その最も良い例は、地上で宣教を行うイエスを最後まで支えたことです。
エホバは、祈りに答えることによってイエスを支えました。
それでイエスは、「父よ、私の願いを聞いてくださり感謝いたします」と述べました。
エホバは言葉によってもイエスを支えました。
バプテスマの時には天から、「これは私の愛する子、私はこの子のことを喜んでいる」と語り掛けたのです。
イエスは力づけられたことでしょう。
イエスが死を前にして苦悩していた時もエホバは天使を遣わしてイエスを慰めました。
その天使はイエスの親しい友だったに違いありません。
このように宣教期間の最初から最後まで、エホバは、「神の[犠牲の]子羊」であるイエスを大切にしました。
こうした原則は、私たちが与えられている仕事を行う際にも役立ちます。
考えてみてください。
宣教活動は間もなく終わります。
しかし、もうすぐ終わるからといって、手を抜いていいわけではありません。
むしろ、終わりが近づくにつれ、私たちはこの活動をますます真剣に行います。
終わりまで、この「賛美の犠牲」を大切なものとして扱うのです。
エホバがこの活動は終わったとはっきり言われるまさにその日まで、真剣に行います。
では実際に何を行うべきでしょうか?
マタイ 28:18-20のイエスの言葉から、何を行うべきかが分かります。
では、その聖句を開いてみましょう。
マタイ 28:18からです。
「イエスは近づいて、こう話した、『私には天と地における全ての権威が与えられています。それで、行って、全ての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し、私が命令した事柄全てを守るように教えなさい。私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです』」
このイエスの言葉によると、宣教を行う時に何を目指すべきでしょうか?
イエスが言ったように、全ての国の人々をキリストの弟子とし、教え、そしてバプテスマを施すことを目指すべきです。
イエスのこの言葉は単なる命令ではありません。
「私は命じる、行きなさい」とは言いませんでした。
「私には……全ての権威が与えられています。それで、行[き]なさい」と言ったのです。
イエスの真の弟子はこの言葉が単なる命令ではなく、確信を与える命令であることを理解しています。
神から権威を与えられたイエスがこの重要な活動を監督していることが分かるからです。
そのイエスが私たちと共にいるのです。
私たちはそのことを全く確信しています。
私たちはイエスの命令に従って、もっと多くの人がバプテスマを受けてキリストの弟子になるよう、助けたいと思います。
では、今聖書を学んでいる人をどのように援助できるでしょうか?
この点を考えることは大切です。
なぜなら、毎年多くの人がバプテスマを受けているものの、バプテスマを受ける人の年ごとの数はあまり増えていないからです。
もちろん、多くの人がバプテスマを受けているのは本当にうれしいことです。
とはいえ、終わりが来る前に、さらに多くの人がこの重要な行動を取れるよう、どうしたら助けられるでしょうか?
では、心を動かすためにできる、4つのことを考えましょう。
できることはたくさんありますが、今日は4つだけ取り上げます。
(1)エホバに注意を向けます。
(2)祈りについて教えます。
(3)集会に出席するよう助けます。
(4)問題に対処する方法を教えます。
最初の点です。
心を動かすためにエホバに注意を向けましょう。
エホバが研究生を深く愛し、気遣い、世話していることを感じられるように助けるのです。
「聖書が教えていること」などの本を使って研究するときには、よく準備して、いろいろな疑問に聖書が何と答えているかを強調しましょう。
神は私たちのことを気に掛けているのか、苦しんでいる人のことをどう思っているのか、神の友になれるのか、といった疑問です。
その答えは自分の生活に関係がある、ということに気付かせましょう。
生活を向上させ、エホバと親しくなるのに役立つ聖書の原則を教えましょう。
2番目の点です。
心を動かすために、祈りについて教えましょう。
毎回の研究で、心を込めて具体的に祈りましょう。
研究生はどんな祈りをささげることができるかを学べます。
他の人には言えない気持ちでも、エホバには全て打ち明けることができる、ということを教えましょう。
また、「あなたが愛することだけを愛せるように助けてください」と祈ることもできます。
エホバはこうした祈りを必ず聞かれます。
私たちを気遣っているからです。
そのことを研究生にはっきり教えましょう。
3番目の点です。
集会に出席するよう助けることによって、心を動かしましょう。
なるべく早く集会に招待します。
集会で見聞きすることは研究生の心を動かし、進歩を促すからです。
できるだけ早いうちに「王国会館においでください」の動画を見せて、集会に来るよう温かく招待しましょう。
必要なら、交通手段も手配してください。
私も初めて集会に行った時、車に乗せてもらいました。
今も感謝しています。
最後の点です。
問題に対処する方法を教えることによって、心を動かしましょう。
それには、誰かに感情を害されたときの対処法を教えることも含まれます。
そのように問題に備えさせるなら、研究生は聖書の原則が本当に助けになることを実感し、エホバの愛を感じるでしょう。
エホバがいっそう身近になるに違いありません。
それで、JW Library アプリや、「エホバの証人のためのリサーチガイド」、jw.org などのツールの使い方を教えて、問題に対処できるよう助けましょう。
研究生をそのように訓練しておけば、さまざまな問題に対処し、他の人とうまくやっていくことができるでしょう。
これら4つのことを行っていくなら、私たちはエホバから託された務めを真剣に果たしていることになります。
エホバとイエスの願いは、まだ時間が残されているうちに、できるだけ多くの人が献身しバプテスマを受けることです。
ですから、エホバとの関係を強めようとしない人との聖書レッスンに時間を浪費しないでください。
「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人」を助けることに努力を傾けましょう。
エホバの祝福を求めながら、そのような人を真剣に助けてください。
このように考えると、2020年の年句は実にふさわしいものです。
マタイ 28:19。
「行って、人々を弟子とし、バプテスマを施しなさい」
先ほどアレクサも日々の聖句を読んでくれましたが、今日2019年10月5日の日々の聖句もマタイ 28:19です。
ただの偶然です。
来年は期待しないでください。
この年句を思いに留め、心を込めて宣教に携わり、人々を助けてください。
今日学んだ原則を忘れずに、最後まで真剣にこの務めを果たしましょう。