2020年次総会 「あなたは正しい人であり続けますか」 - ケニス・クック・ジュニア

テキスト

今は裁きの時です。

人間の不完全な裁きのことではありません。

ここでお話しするのは、天の王国の王、イエスの完全な裁きのことです。

イエスはこの裁きについて、マタイ 24, 25章の「終わりの時代」についての預言の中で述べています。

何が起きるかを述べた後、最終的な裁きについて3つの例え話を使って説明しました。

マタイ 25章にある最初の2つの例え話は、天に行くよう選ばれた人たちの最終的な証印に関するものです。

これらの例え話は、大患難が始まる少し前に実現します。

次に、3番目の例え話でイエスは他の人々に注意を向けています。

最初の4つの節を読んでみましょう。

31節からです。

「人の子は栄光を帯びて全ての天使と共に来ると、その時、栄光の座に座ります。全ての国の人々が彼の前に集められ、人の子は、羊飼いが羊をヤギから分けるように、人々を分けます。そして羊を自分の右に、ヤギを自分の左に置きます。それから王は右にいる人たちに言います、『さあ、私の父に祝福された人たち、世が始まって以来あなたたちのために用意されている王国を受けなさい』」

「王国を受けなさい」

これは、王国が治める地上のパラダイスのことです。

いつ実現しますか?

イエスが栄光を帯びて来て、その時生きている人々を裁いた後です。

イエスはこの裁きによって、人々が比喩的な意味で右と左に分けられると言いました。

羊をヤギから分けるのです。

イエスは、自分の右にいる人たちを「正しい人たち」と呼んでいますが、自分の左にいる人たちを「災いを宣告された人たち」と呼び、永遠に滅ぼします。

最初の2つの例え話は、大患難の前に下される裁きに関するものですが、この3番目の例え話はどうでしょうか?

イエスはいつ、正しい羊と、災いを宣告されたヤギを見分け始めますか?

1995年の「ものみの塔」では、羊とヤギを分ける最終的な裁きが行われるのは、大患難の間にイエスが栄光を帯びて来る時だと説明されました。

これは裁きのプロセスがその時まで始まらないという意味ですか?

そうではありません。

なぜそう言えますか?

例えで考えましょう。

最高裁判所の判決について考えましょう。

判決が言い渡される日がやって来ます。

では、裁判所はその日から証拠を調べ始めるのでしょうか?

いいえ、裁判所は、その時までに資料を読み、準備をし、口頭弁論を聞き、過去の似たような判例を調べます。

これにはかなりの時間がかかります。

裁判所の決定は法廷で言い渡されるか一般に公開されるまで最終的なものとは見なされません。

要点は何ですか ?

人間の最高裁判所が全ての事実を聞き、関係する状況を考慮するのであれば、イエスはなおのこと人々を公平に裁くため、今の時間を賢明に使っているのではないでしょうか?

イエスは大患難の時までに、誰がヤギのようか、または羊のようかが分かっています。

なぜですか?

考えてみてください。

私たちでさえ、人々がどんな決定をしているかがある程度分かります。

聖書にもそのことが予告されています。

マラキ 3章です。

そこに記されている預言が描写しているのは、1世紀と現代の状況です。

18節にはこう記されています。

私たちは「正しい人と悪い人、神に仕える人と仕えない人の違いを目にすることになる」

私たちに違いが分かるのであれば、イエスにはもっと多くのことが分かるはずです。

イエスは何を見ますか?

私たち一人一人の態度、行動、話すことに注目しているに違いありません。

例えば、良い知らせにどのように応じるかを見ています。

また、自分と共に天の王国で奉仕することになる兄弟たちをどのように支えているかも、観察しています。

マタイ 25:35-40で、イエスは自分の兄弟たちが多くの試練に遭うと言いました。

そして、自分の兄弟を助ける人たちが羊と見られると言いました。

自分の兄弟たちに対してしたことは、自分に対してしたことと見るとも言いました。

キリストの兄弟たちは大患難の間、試練に遭うことでしょう。

では、今どんな支えを必要としていますか?

キリストの兄弟たちに今善いことを行う方法の1つは、兄弟たちが成し遂げようとしている伝道活動を支えることです。

イエスはそれを見ています。

ほかに何を見ているでしょうか?

マタイ 12:36, 37でイエスは、 人の語る言葉も裁きの際の判断材料になると述べました。

マタイ 12:36, 37のイエスの言葉に注目しましょう。

「あなた方に言いますが、人は自分が語る無益な言葉全てについて、裁きの日に責任を問われます。あなたは、自分の言葉によって正しいと認められ、自分の言葉によって有罪とされます」

イエスは、私たちの言葉を聞いているということですか?

その通りです。

私たちが良い知らせを伝える際に話すことも聞いています。

イエスは「責任を問われます」と言いました。

ですから、問題になるのは、以前に話したことです。

その点はマタイ 25:34-40で羊のしたことが、また41-45節でヤギのしたことが過去形で述べられていることからも分かります。

例えば、40節で羊のような人たちにこう言っています。

「これら私の兄弟のうち最も目立たない人の1人にしたのは[過去形です]、それだけ私にしたのです」

何が分かりますか?

正しい羊と見てほしいなら、キリストの兄弟たちを支える必要があります。

いつそうしますか? 今です!

大患難が始まる時にも、その後も、最後まで羊のような者であり続けなければならないのです。

「人の子[が]栄光を帯びて……来る」時に、イエスとの良い関係を築こうとしてももう手遅れです。

イエスは、格言 20:8で述べられている王のようです。

こうあります。

「王は座に就いて裁きを行い、よく見て全ての悪をふるい分ける」

この聖句からすると天の王イエスは、誰がヤギのようかをすでによく見てふるい分けています。

何を見ていますか?

態度や、行動や、話すことです。

エホバと王国に仕えることを拒み続ける人がどう裁かれるかは、大患難が始まる時にすでにはっきりしています。

なぜそう言えますか?

聖書には、大患難の間にエホバに仕え始める人がいるとは述べられていないからです。

むしろ啓示 6:16, 17によると、良い知らせに従わないことにした人たちは、助けを求めて人間がつくったものに頼ります。

政治体制や商業体制など、山のように強く見えるものに向かって逃げていくのです。

啓示 6:16によると、彼らはそうしたものに向かってこう叫びます。

「われわれにかぶさってくれ。王座に座っている方の顔から、また子羊の憤りからわれわれを隠してくれ」

でも、そうした人間の体制には彼らを救う力はありません。

彼らはどうなりますか?

ヤギのような人たちの多くは大患難の早い時期に滅びるでしょう。

今の諸政府が間違った宗教を攻撃し、滅ぼす時にです。

さらに多くの人は、他のヤギのような人に殺されます。

エゼキエル 38:21にある通り、「全ての人の剣は自分の兄弟に向けられる」のです。

最後に、残っているヤギのような人たちは全て、ハルマゲドンで天使の軍勢によって滅ぼされます。

羊のような人たちはどうですか?

立派な羊飼いイエスは、羊のような人が誰かを、大患難が始まる前から知っています。

彼らがエホバへの揺るぎない愛を大患難の間ずっと示すか見ています。

そしてハルマゲドンが始まる直前に裁きの座に座り、一人一人が羊かヤギかを最終的に判断します。

その時生きている全ての人を裁くのです。

注目すべきことに、この3つ目の例え話でその時ヤギと見られる人たちは、イエスを主と呼びます。

でもイエスは、彼らが自分の兄弟たちを支えなかったと言います。

ですから羊のような人であっても、終わりまで耐え忍び、勇気を出してキリストの兄弟たちを支え続けないなら、ヤギと見られることになります。

イエスを主と呼んでも、救われません。

もうキリストの兄弟たちに善いことを行えません。

その時までには、天の王国でイエスと共にいるはずだからです。

もちろん、ヤギにはその時生きている全ての国の神の敵たちも含まれます。

この最終的な裁きには重要な目的があります。

何ですか?

その時生きている全ての人の目に、イエスの正しい羊が誰かが明らかになります。

そして彼らは新しい世界に入ります。

ですから、正しい人であり続けるよう、努力してください。

そうすれば、イエスの右に置かれるでしょう。

聖書の約束によれば、羊のような人たちはエホバと王イエスに揺るぎない愛を示し続けるなら、永遠の命へと導かれます。

彼らは勇気を出して、キリストの兄弟たちの活動を支えなければなりません。

今も、大患難の間もです。

どんな勇気が必要ですか?

オネシフォロが示したような勇気です。

パウロはこの忠実なクリスチャンについて、テモテ第二 1:16-18で述べています。

ご一緒に読んでみましょう。

16節からです。

「主がオネシフォロの家の人たちに憐れみを示してくださいますように。オネシフォロは何度も私の気持ちを爽やかにしてくれて、私が拘禁されていることを恥じたりはしませんでした。それどころか、彼がローマにいた時には、私を懸命に捜して見つけてくれました。主により、彼が定めの日にエホバからの憐れみを受けますように」

オネシフォロは天に行くよう選ばれたクリスチャンだったと思われます。

でも、全てのクリスチャンが倣うべき手本です。

パウロを訪ねるだけでも逮捕され、殺される可能性がありました。

それでも、パウロを見つけ、パウロの気持ちを爽やかにしたのです。

羊のような人全ては、大患難の間、オネシフォロのような勇気を示さなければなりません。

まとめです。

イエスは今、全ての人の行動や、態度や、話すことに注目しています。

完全な裁判官イエスは大患難の時までに、誰が羊のような人か、ヤギのような人かを見分けています。

そしてイエスの例え話によると、ハルマゲドンが始まる直前に、イエスはその時地上で生きている全ての人に最終的な裁きを下します。

そして自分の右に正しい羊を置きます。

あなたはその時正しい人の中にいますか?

その祝福を受けたいなら、世の中で起きていることによって心を乱されないでください。

抗議活動によって心を乱されないでください。

中立の立場をしっかり保ちましょう。

政治家の約束に心を乱されないでください。

中立の立場をしっかり保ちましょう。

「平和だ 安全だ!」という宣言に心を乱されないでください。

中立の立場をしっかり保ってください。

しかし、神の律法には進んで従い、しっかりと王国を支持しましょう。

イエスから羊のような人と見られるのは、世の人々のようにならないようにしている人だけです。

大患難が始まる時にも、終わる時つまりハルマゲドンの時にもです。

そして、イエスの兄弟たちを支え続ける人たちだけが、イエスの右に置かれます。

イエスが最終的な裁きを下し、羊とヤギを分ける時です。

今、言葉と行動によって、どちらになりたいかを示してください。

では、時間があるうちに、「いつまでも幸せに暮らせます」という新しい出版物を使い、終わりが来る前にさらに多くの人が正しい人になれるよう、助けていきましょう。

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