2021年次総会「神聖な道」 - デービッド・H・スプレーン

テキスト

信じられません。

そうとしか言いようがありません。

バビロンで捕囚にされていたユダヤ人が、釈放されて故国のイスラエルに戻ることができるというニュースが伝わってきました。

どうして信じられないことなのでしょうか?

バビロンが捕虜を釈放することはなかったからです。

でもバビロンは征服され、新しい支配者が、ユダヤ人に故国に帰ってもよいと言ったのです。

こんなことを可能にできるのはエホバだけです。

それで、家族の頭は決めなければなりませんでした。

バビロンを去るか、そこに残るかです。

こう思いますか?

「答えは決まっている。簡単に決められたはずだ」

でも、ちょっと待ってください。

ほとんどのユダヤ人は、バビロンで生まれました。

その親の世代も、ほとんどはバビロンで生まれた人たちです。

ほかの場所で暮らしたことはありません。

住み慣れた場所です。

幾つかの記録によると、ユダヤ人の中には裕福になった人たちもいました。

宝石などのぜいたく品の売買をしていたユダヤ人もいたことが記録に残っています。

ある人はこう言ったかもしれません。

「私は行けない。バビロニア人と一緒に仕事をしているし、売り上げも上がっている。イスラエルではうちの商品は売れない」

こう言う人もいたでしょう。

「息子はバビロニア人の女性と結婚した。子供が生まれたばかりだ。私たちのかわいい初孫だ。置いてはいけない」

そのままバビロンにとどまっていれば安定した生活を送れます。

でもバビロンでは、エホバを崇拝する面でかなり制約があります。

首都のバビロンだけで異教の神殿が50もあったといわれています。

でも、エホバの神殿はありません。

レビ族はモーセの律法に十分に従うことができません。

できることが限られていました。

バビロンにいれば安定した生活ができましたが、エルサレムに行けばエホバを自由に崇拝し、エホバとの絆を強めることができます。

エホバを愛するユダヤ人はためらわずに決定しました。

バビロンを去って、イスラエルの約束の地で清い崇拝を回復させたいと願っていたからです。

それで、旅をすることができる人たちは、バビロンを去ってエルサレムに向かいました。

その中のほとんどの人たちは、廃虚となった都市を見たことがありません。

エホバは、ユダヤ人がエルサレムまでできるだけ楽に行けるようにすると約束しました。

その点を確かめ、頭の中でイメージを描けるよう、4つの聖句を読みます。

それぞれの聖句を読むと、エホバの考えを詳しく知ることができます。

1つ目は、イザヤ 40章3節と4節です。

ご一緒に読みたいので少しお待ちします。

イザヤ 40:3, 4の有名な言葉です。

「荒野で叫ぶ声がする。『エホバの道を整えよ!私たちの神のために砂漠を通る真っすぐな街道[砂漠を通る真っすぐな街道]を造れ。全ての谷を埋め、全ての山と丘を低くするように。でこぼこの地面を平らにし、険しい土地を谷あいの平原にしなければならない』」

この聖句を読むたびに、ケアリー・バーバー兄弟のことを思い出します。

兄弟はこの聖句が好きだったんだと思います。

祈りの中でよくこの聖句の言葉を引用していました。

懐かしい思い出です。

この聖句には、「砂漠を通る真っすぐな街道」という表現があります。

ラマポのプロジェクトで働いている兄弟姉妹は、整地作業がどんなものかご存じと思います。

今回のプロジェクトでこの仕事をしなければならないとしたらどうでしょうか?

「砂漠を通る真っすぐな街道を造り、山があれば平らにし、谷があれば埋めなければなりません」

大変な仕事です。

ラマポも大きなプロジェクトですが、ここまで大きな整地作業は必要ないですね。

この整地作業は大変な仕事でした。

でも真っすぐな街道ができれば、旅はずっと楽になります。

山を登ったり、谷を下ったりする必要はありません。

ずっと早く到着できます。

このように、 真っすぐな街道ができることになっていました。

バビロンとエルサレムの間にです。

では、別の点についても考えましょう。

イザヤ 57:14

14節。

「こう言う声がする。『道路を造れ!道を整えよ![次に注目してください]私の民の道から障害物を取り除け』」

2つの点が分かりました。

砂漠を通る真っすぐな街道ができます。

そして全ての障害物が取り除かれます。

ほとんどの街道には名前があります。

有名な人の名前が付けられたり、数字が付けられたりします。

では、この街道には名前がありますか?

あります。イザヤ 35:8, 9を開いてその名前を見てみましょう。

この話では、大切な点を理解するために、聖句をたくさん開きます。

イザヤ 35:8, 9

「そこには街道ができる。[次に注目してください]『神聖な道』と呼ばれる道である。汚れた人がその道を通ることはない。それはその道を歩く人のためのものであり、愚かな人が入ってくることはない。そこにライオンはおらず、どう猛な野獣が来ることはない。そのようなものはいないのである。救い出された人たちだけがそこを歩く」

何という名前ですか?

何という名前の街道ですか?

「神聖な道」です。

素晴らしい名前ではないでしょうか?

ガラガラヘビや、熊や、キツネや、ピューマなどはいません。

そういう動物はこの街道には入れません。

皆さんがどんなに好きでもです。

さらにこの特別な街道について何が分かりますか?

私たちは道路で、隣を走っている車のドライバーがどんな人かを知りません。

危険なドライバーが運転しているかもしれません。

お酒や薬物の影響を受けているかもしれません。

でもこの街道は、汚れた人が通ることはできません。

神の律法に従わない人は通ることができないのです。

この街道はバビロンからエルサレムに行くための道です。

ユダヤ人の中の汚れた人たちは、イスラエルに行きたいとは思わなかったでしょう。

偶像崇拝が盛んなバビロンでの生活に慣れてしまっていたのです。

彼らの父祖たちも偶像崇拝を行っていました。

それで、エホバから見て清くて正しい人たちだけが、バビロンからエルサレムに行くことができました。

もちろん、実際にバビロンからイスラエルまでの道が造られたのかどうか、はっきりしたことは分かりません。

比喩的な表現なのかもしれません。

でも、ある程度道を造った可能性もあります。

エホバはユダヤ人にこう言いました。

エレミヤ 31:21です。

エホバはかなり具体的な指示を与えています。

もしかすると文字通りに理解すべきなのかもしれません。

エレミヤ 31:21

こうあります。

「自分のために標識を置き、道しるべを立てなさい。街道に、通らなければならない道に注意を払いなさい。イスラエルの乙女よ、戻りなさい。あなたの町々に戻りなさい」

それで、最初にこの道を通った人たちは、できる限り障害物を取り除き、地面を平らにして、後から来る人たちが楽に歩けるようにしたことでしょう。

では、これらの聖句からどんなことを学べるでしょうか?

まず、砂漠を通る街道がありました。

また、障害物が取り除かれました。

そして、その街道は「神聖な道」と呼ばれました。

さらに、その街道には、道しるべがありました。

そこを歩く人が迷子になったり、他の道にそれたりしないようにするためです。

エホバはなぜ、その道をそれほどきちんと整えたいと思いましたか?

バビロンからイスラエルまでの旅ができるだけ楽になるようにするためです。

そうすれば、ユダヤ人は清い崇拝を回復させることができます。

うまくいきましたか?

大勢の男性や女性や子供たちがイスラエルに行くようにという呼び掛けに応じ、エホバの助けによって無事、目的地に到着できました。

でも、こう思うかもしれません。

「それは良かった。でも、自分とどんな関係があるんだろう?今の私たちにどう当てはまるんだろう?」

私たちに当てはまる点はたくさんあります。

イスラエルに戻ったユダヤ人よりはるかに大勢の男性や女性や子供たちが、「彼女[つまり 大いなるバビロン]から出なさい」という緊急な呼び掛けに応じているからです。

今の状況は昔のユダヤ人の状況とは異なります。

ユダヤ人はバビロンに残ってエホバに仕えることを選ぶこともできました。

でも私たちは、大いなるバビロンから絶対に出なければなりません。

私たちの命が懸かっているからです。

予型と対型を探そうとしているのではありません。

全ての詳細な点が実現していると述べているのでもありません。

でも、昔のユダヤ人に起きたことと、今起きていることには、いくらか類似点があります。

なぜなら私たちは、誰かと聖書を学び始めるとき、「神聖な道」に向かうよう助けているからです。

中にはその道を進み始めるものの、後戻りする人もいます。

一方、その道を進み続けて、献身しバプテスマを受け、キリストの弟子になる人もいます。

高速車線を走る人もいます。

早く進歩します。

ゆっくり進む車線を走る人もいます。

でも着実に進歩します。

進歩を続ける限り、聖書レッスンも続けます。

途中でトラブルが起きて、ロードサービスを必要とする人もいます。

今、「神聖な道」は 以前よりもずっと進みやすくなっています。

1つの大きな理由は、この比喩的な道の整地作業が何百年も前に始まっていたということです。

もう一度言います。

今、「神聖な」「街道」を進みやすくなっているのは、比喩的な整地作業が何百年も前に始まっていたからです。

大いなるバビロンが倒れるずっと前からです。

その道が開通するずっと前からです。

イメージしてください。

時は16世紀です。

あなたはシャベルを手にして、「神聖な道」の整地作業を始めようとしています。

でも、山のような問題があります。

人々が真理を知らないのです。

その山を切り崩すために最初にしなければならないのは、聖書が人々の手に渡るようにすることだ、と気付きます。

聖書は長年、ラテン語でしか入手できず、高い教育を受けた人しか読めませんでした。

聖職者の中にさえ、教会の礼拝を行うのに必要なラテン語しか知らない人たちもいました。

世界本部の聖書ミュージアムを訪れたことのある方なら、多くの国の翻訳者たちが聖書を一般の人々が理解できる言語に翻訳するために、自らの自由を犠牲にし命を懸けていたことをご存じでしょう。

そのような聖書を印刷するのも命懸けでした。

中には偽名を使っていた人たちもいます。

もし聖書を印刷しているところを見つかったら、捕まって処刑される可能性がありました。

大きな山をシャベルで少しずつ切り崩さなければなりませんでした。

聖書が1冊出るたびに、山が次第に平らになり、「神聖な道」ができていきました。

ウィリアム・ティンダルは、聖書が人々の手に渡るようにするため、自分が翻訳した聖書を何千冊も他の荷物に紛れ込ませて英国に送りました。

これには危険が伴いました。

ティンダルの翻訳聖書は英国で禁書になっていたので、その聖書を持っているだけで拘禁されたり、処刑されたりする可能性がありました。

敵たちは「神聖な道」の整地作業を必死でやめさせようとしました。

でもティンダルの聖書はますます印刷され、聖職者たちは処分し切れませんでした。

ところでティンダルは、1530年に翻訳した「創世記」に興味深い注釈を記しています。

こうあります。

「Iehovah は神のみ名である。ほかにそう呼ばれているものはいない。さらに、大文字のLORDという語のあるところでは、常にヘブライ語ではIehovahである」

当時も、エホバの名がある程度知られていたことが分かります。

聖書が手に入りやすくなると、聖書を学ぶ人も増えます。

聖書を学ぶと、自分が発見したことを人に伝えたくなるものです。

実際そうなりました。

1919年に大いなるバビロンが倒れる前の数十年間に、整地作業はさらに進みました。

何人もの人が聖書から学んだことをパンフレットや本の形で出版しました。

多くの人に知ってほしいと思ったからです。

それによって、山はさらに平らになっていきました。

例えば、聖書を研究していたヘンリー・グルーは、1835年ごろ魂の不滅性に関するパンフレットを執筆しました。

その中でグルーは、不滅性は生まれつき与えられているものではなく、忠実さの報いであることを聖書から説明しました。

グルーは匿名で執筆しました。

教会に反対されると思ったからです。

やがて実際に、教会から退けられます。

グルーはパンフレットを執筆しました。

2年後、やはり聖書を研究していたジョージ・ストーズは、列車の中でパンフレットを見つけます。

ヘンリー・グルーが書いた魂の不滅性に関するパンフレットです。

ストーズはそれを読んで、人間には不滅の魂はないことを確信します。

ストーズはどうするでしょうか?

シャベルを手にして整地作業を始めます。

「神聖な道」の整地作業です。

1842年には、「悪しき者は不滅か」という興味深いテーマで一連の講演を行います。

講演を行っただけではありません。

その後、講演の内容をまとめたものを出版しました。

発行部数は20万部に達しました。

「神聖な道」がかなり整地されたといえます。

でもストーズは、真理を全て理解していたわけではないことを認めていました。

1847年に興味深いことを言っています。

「我々が教会の暗黒時代から抜け出たばかりであることを忘れないようにしたいものだ。[次に注目してください]よって “バビロン的な装い”を……まだまとっていることに気づいたとしても……不思議はない」

その通りです。

当時はまだ、バビロンの影響が残っていました。

ご存じのようにジョージ・ストーズは、チャールズ・テイズ・ラッセルに影響を与えました。

ラッセル兄弟と仲間たちはどんなことをしたでしょうか?

彼らは、三位一体や魂の不滅性が間違った教えであることや、キリストの臨在が人間の目に見えないものであるという真理の第一発見者ではありません。

それまでに道の整地作業をしていた人たちの研究から学んだのです。

それで、聖書を翻訳し、印刷し、研究した人たちは、いわば整地作業をしていました。

ラッセル兄弟と仲間たちは、「神聖な道」の仕上げ工事を行ったと言えるかもしれません。

1919年には大いなるバビロンが倒れ、「神聖な道」が開通しました。

でもラッセル兄弟はいつ亡くなったでしょうか?

1916年です。

では開通式は見られませんでしたか?

そんなことはありません。

ラッセル兄弟は開通式を見ていたに違いありません。

天から見ていました。

ラッセル兄弟と仲間たちは地上での歩みを終えていたので、天から見下ろすことができたでしょう。

ラッセル兄弟たちは、「神聖な道」に初めて足を踏み入れる人たちを見た時、とてもうれしかったに違いありません。

本当に感動的な瞬間だったはずです。

そしてラッセル兄弟と仲間たちは今、この「神聖な道」のメンテナンス・プログラムに加わっている可能性もあります。

どんな道路にも継続的なメンテナンスが必要だからです。

「神聖な道」は開通しましたが、メンテナンスはその後も続いています。

何のためですか?

人々が大いなるバビロンをできるだけ簡単に見分け、大いなるバビロンからすぐに出られるようにするためです。

聖書を例にして考えましょう。

1919年にも翻訳聖書はありましたが、中には古い言葉が使われていて、分かりにくいものもありました。

また、ほとんどの聖書からは、神の名が取り去られていました。

でも今は 「新世界訳」があります。

本当に素晴らしい聖書ではないでしょうか?

聖書を買うために、家を担保にお金を借りる必要はありません。

16世紀にはそうだったかもしれません。

1919年以降には、聖書に基づく出版物がたくさん出版されたので、真理の道が歩みやすくなりました。

考えてみてください。

1919年に大いなるバビロンが倒れた時、ほかにどんなことがありましたか?

エホバは何を与えてくれましたか?

同じ年に「忠実で思慮深い奴隷」が任命されました。

その奴隷はすぐに行動しました。

多くの文書を出版し。真理の道が歩みやすくなるように努力しました。

忠実な奴隷は、1921年に新しい本を出版しました。

「神の立琴」です。

この本は関心を持つ人が聖書を学び、真理の道を歩みやすくするために用意されました。

この本はその時のニーズに合っていました。

1921年には、聖書レッスンを行える伝道者の数は少なかったからです。

ですから、分かりやすい内容のものが必要でした。

「神の立琴」の本は、当時としては分かりやすく書かれていました。

その頃、伝道者は数千人しかいませんでした。

でも、みんな一生懸命に奉仕しました。

「神の立琴」の本は22の言語で600万冊近く配布されたのです。

本当に驚くべき数です。

この点を考えると、「神聖な道」が開通してからすぐにメンテナンスの仕事が始まったことが分かります。

皆さんの中で、「神の立琴」で真理を学ぶようになった方は少ないと思います。

どなたかいらっしゃいますか?

いないようですね。

皆さんはどの本で真理を学びましたか?

どの本が「神聖な道」を見分ける助けになりましたか?

「真理は汝らを自由にすべし」ですか?

「神を真とすべし」

「とこしえの命に導く真理」

『永遠に生きる』

「知識」の本

「聖書が教えていること」

「いつまでも幸せに暮らせます」ですか?

「いつまでも幸せに暮らせます」は素晴らしい出版物ですね。

どの出版物も、人々を大いなるバビロンから自由にするために使われてきました。

「神聖な道」のメンテナンスが今も行われていることの強力な証拠です。

道路の整備が引き続き行われ、ますます良い状態になっています。

「いつまでも幸せに暮らせます」で誰かを教えていますか?

もしそうなら、「神聖な道」を教えていることになります。

それでサンダーソン兄弟も言っていたように、職場や学校の友達や親族など、思い付く人には誰にでも聖書レッスンを恐れずに勧めてみてください。

思いがけない人がレッスンを始めるかもしれません。

たとえ道路が歩きやすい状態になっていたとしても、その道に足を踏み入れるには勇気と努力が必要です。

ですから、手を取って助けを差し伸べましょう。

すでに何百万もの人がこの道を歩いていますが、終わりが来る前にさらに何百万もの人が歩き始めるよう願っています。

安全な旅をお祈りしています。

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