2021年次総会「私は⋯⋯決してあなたを見捨てない」 - サミュエル・F・ハード

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ステージに上がる前にエホバに祈りました。

こうお願いしました。

「どうか、私を見捨てないでください。ここで見捨てられたら話ができません」

エホバにそうお願いしたのは、愛する皆さんのために19分の話をするよう、割り当てられたからです。

19分を十分に使ってお話ししたいと思います。

今回、年次総会で聞いた話の中でも、幾つか理解の調整が含まれていました。

これからも理解の調整がさらに行われるかもしれません。

覚えておられるかもしれませんが、10年ぐらい前、私たちは将来起きることについてこう考えていました。

天に行くよう選ばれた人たちの一部がハルマゲドンを生き残り、ほかの羊の人たちとパラダイスで生活し、しばらくそこで過ごした後、天での命を受けると考えていました。

私たちは聖書を何度も読んでいます。

それでも、聖書に書かれているある事柄については、十分理解できないことがあります。

エホバが光を当てる時までは理解できません。

これから皆さんにお話しすることは、エホバが明らかにしたことです。

統治体ではありません。

地上のどんな人間でもなく、エホバ神が光を当てています。

では、次の聖句について考えましょう。

マタイ 24:29-31です。

何度も読んだことがある聖句です。

ご一緒に読んでみましょう。

以前は、この聖句を少し違う意味に理解していました。

29節から

「その期間の患難のすぐ後に[ここに注目してください。その期間の患難のすぐ後に]、太陽は暗くなり、月は光らず、星は天から落ち、天の力は揺り動かされます。その時、人の子のしるしが天に現れます。そして、地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ、人の子が力と大きな栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを見ます。そして人の子は、大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし、[次の点に注目してください]天使たちは、四方から天の果てから果てまで、選ばれた者たちを集めます」

何が分かりますか?

現在、私たちは天に行くよう選ばれたキリストの兄弟たち全てが、ハルマゲドンが始まる前に天にいることになる、と理解しています。

これが今の最新の理解です。

期待が高まります。

そう感じるのには理由があります。

幾つかあります。

でも、ほかの羊の中には次のような心配をする人もいます。

「この新しい理解によると、選ばれたクリスチャンは一人残らず天に行ってしまって、統治体も一番必要な時にいてくれないんですか? 一番大切な時に助けてもらえないんですか?」

どうぞ安心してください。

皆さんが見捨てられることは決してありません。

それがこの話のポイントです。

選ばれた人たちが天に行ってしまったからといって、皆さんが見捨てられたと感じる必要はないのです。

3つの点を取り上げます。

必要ならメモしてください。

1つ目に、選ばれた人たち全員が天に行った後、どんなことは起きないと言えますか?

そして2つ目に、そう言えるのはなぜですか?

どんな根拠があるでしょうか?

そして3つ目に、どんなことが起きますか?

では1つ目を考えましょう。

これから手短に、残念な例を考えます。

2つの例を取り上げ、どんなことは起きないか考えましょう。

1つ目の残念な例です。

エホヤダを覚えていますか?

非常に忠実な大祭司でした。

死んだ時、王たちと共に葬られ、異例の誉れを受けました。

生前、若いエホアシュ王を守りました。

エホアシュがエホバに忠実であり続けられるよう助けました。

でもエホアシュは、高齢のエホヤダが死ぬと間もなく、悪いことを行うようになりました。

悪い高官たちの言葉に耳を傾け、エホバから離れてしまったのです。

1つ目の残念な例です。

次に2つ目の残念な例を考えましょう。

使徒ヨハネは、自分が助けた人たちの成長をとても喜びました。

多くの兄弟姉妹を助け、忠実であり続けるよう励ましました。

でもヨハネが死んだ後、どうなったでしょうか?

ヨハネは生き残っていた唯一の使徒で、背教に対する最後の抑制力でした。

それで抑制力になっていたヨハネがいなくなると、間もなく、あることが起きました。

どんなことですか?

何が起きたでしょうか?

ヨハネは背教に対する最後の抑制力でした。

でも、そのヨハネはもういません。

ヨハネが地上での歩みを終えると間もなく、背教が瞬く間に広がっていきました。

山火事のようにです。

その後何十年かのうちに、クリスチャン会衆は捕らわれの身になってしまいました。

間違った宗教全体を表す大いなるバビロンに捕らわれてしまったのです。

残念な例について考えたのはなぜでしょうか?

こういう理由です。

もしかすると、兄弟姉妹の中にはこう考える人がいるかもしれません。

「選ばれた人たちが全員天に行ったら、どうなってしまうんだろう。大群衆はみんな途方に暮れてしまうのではないだろうか。もしかしたら、何か良くないことが起きるかもしれない。背教が生じるかもしれない」

どう思いますか?

すでにそういう兆候が見られていますか?

答えを言います。

いいえ、大群衆が背教することはありません。

決してありません。

聖書を調べるとそういうことが起きない、ということがはっきり分かります。

では、2つ目の点を考えましょう。

そのようなことが起きないと言えるのはなぜですか?

今私たちが生きているのは終わりの時代です。

古代イスラエルの時代ではありません。

ここにはイスラエル人の格好をした人はいません。

長い衣を着ている兄弟はいませんね。

あっ、あそこに1人!

いえ、冗談です。

そうですね。

今は時代が違います。

なぜこの点に触れたのでしょうか?

イスラエル国民は初めから悪い方向に向かっていました。

申命記 31:29で、モーセは神の導きを受けて反逆的なイスラエル人についてこう予告しました。

次のように書かれています。

「私の死後、皆さんがきっとひどいことを行い、私が命じた道からそれることを私はよく知っているのです」

この通りになりました。

1度だけではなく何度もです。

やがてエホバはイスラエル国民を退けました。

エホアシュ王も、ユダとイスラエルの他の多くの王たちと同じ道をたどり、悪いことをしました。

でも今の神の民はそうではありません。

また今は、ヨハネが死んだ1世紀の終わりごろの状況とも異なります。

どういうことでしょうか?

イエスはマタイ 13章の小麦と雑草の例えの中で、大規模な背教が生じることを予告していました。

またテサロニケ第二 2章でパウロが言っていることからすると、イエスの預言は1世紀にすでに実現し始めていました。

ペテロとヨハネも同じようなことを言っています。

西暦2世紀には、クリスチャン会衆は背教によって腐敗し、大いなるバビロンに捕らわれてしまいました。

イエスが予告していた通りになりました。

預言が実現したのです。

でも今、神の民は全く違う時代に生きています。

どんな時代に生きていますか?

聖書時代ではありません。

よくご存じのように、私たちが生きているのは特別な時代です。

1914年に始まりました。

この体制の「終わりの時代」です。

でも、それだけではありません。

なぜそう言えますか?

聖書は何と言っているでしょうか?

使徒 3:21です。

今の時代が「全ての事柄の回復の時」だとも書かれています。

「回復」という言葉に注目してください。

何が分かりますか?

今は「全ての事柄の回復の時」です。

清い崇拝が回復されてきたからです。

うれしいことです。

今後、エホバの崇拝は決して腐敗しません。

絶対に腐敗しません。

いつまでも続くのです。

このことを考えると、心温まる思いがします。

次に、イザヤ 54:17を読みましょう。

エホバはイザヤを通して次のように予告しました。

こうあります。

「『あなたを攻撃するために作られるどんな武器も役に立たず、裁判においてあなたを責めるどの舌も有罪とされる。これはエホバに仕える者たちが受ける財産であり、私が彼らを正しいと見なす』とエホバは宣言する」

考えてみてください。

「どんな武器」が「作られ」ても、決して「役に立た[ない]」のです。

これは私たちが受ける「財産」です。

エホバが書かせたこの預言は今、実現しています。

誰にもこの財産を私たちから奪うことはできません。

「今の体制の神」 サタンにもです。

2つ目の点を考えます。

選ばれた人たちが天に行った後、大群衆が問題に陥ることはないと言えるのはなぜですか?

エホアシュはエホヤダの死後、反逆しました。

2世紀のクリスチャンは使徒ヨハネの死後、背教してしまいました。

でも、大群衆がそのようになることはないと言えるのはなぜですか?

今の問題は、ページがめくれないことです。

答えを言います。

私たちが生きているのは、昔のイスラエルの時代でも、西暦2世紀でもないからです。

私たちはどんな素晴らしい時に生きていますか?

回復の時です・

「[私たち]を攻撃するために作られるどんな武器も役に立た[ない]」とエホバが保証している時代です。

3つ目の点です。

どんなことが起きますか?

その時のことを想像してみてください。

ちょっと時間をあげます。

はい、そこまで。

大患難が始まっています。

大患難が始まってまず滅ぼされるのは、大いなるバビロンです。

神の組織は何十年も前からこうした出来事に備えておくよう勧めてきました。

そしてついに自分の目で見ることになるのです。

その後、私たちが期待してきたことが生じます。

何ですか?

大患難の間、ハルマゲドンの戦争が始まる前に、まだ地上にいる選ばれた人たちが天に行きます。

その後、どうなると思いますか?

大群衆は羊飼いのいない羊のように混乱し、さまようことになるのでしょうか?

そうはなりません。

羊飼いはイエスです。

羊たちを見捨てることは決してありません。

忘れないでください。

天に行くよう選ばれた人たちは会衆の頭ではありません。

頭はイエスです。

親の皆さん、お子さんにこのことをしっかり教えるようにしてください。

エホバの子イエスが導いているので、地上にいるクリスチャンは何も恐れる必要はありません。

イエスがその時、ご自分の民をどのように導くのか、詳しいことは分かりません。

でも、聖書にある幾つかの例を調べると安心できます。

例えばモーセの死後、約束の地に入る前、イスラエル人はどうなりましたか?

頼りにしていたモーセがいなくなり、途方に暮れてしまいましたか?

そんなことはありません。

エホバは、イスラエル人がご自分の民である間、ずっと必要なものを与えました。

豊かに与えました。

あふれるほどにです。

モーセが亡くなる前、エホバは民を導く役割をヨシュアに与えました。

モーセはヨシュアを何十年も訓練しました。

ほかにも有能な「千人長、百人長、五十人長、十人長」が民を導きました。

神の民は十分に世話されていました。

神はモーセやヨシュアを通して導いたのです。

もう1つの例はエリヤです。

エリヤは長年、イスラエルで清い崇拝を推し進めていました。

でもある時、エホバから別の割り当てを受けました。

南のユダ王国に行くことになったのです。

北のイスラエル王国の人たちは途方に暮れてしまいましたか?

いいえ。

エリヤは何年もの間、エリシャを訓練してきました。

さらに「預言者の子たち」もいました。

もしかすると、預言者の学校のようなものがあったのかもしれません。

ですから、神の民を導く人は大勢いたようです。

エホバは引き続き民を世話し、必要な導きを与えました。

2つの例を考えました。

では、選ばれた人たちが天に行った後、どうなると思いますか?

心配する必要はありません。

ご一緒に、ヘブライ 13:5の後半を読んでみましょう。

「神はこう言っています。『私は決してあなたを離れず、決してあなたを見捨てない』」

シンプルで、安心感を与える約束です。

エホバは忠実な人たちを「決して……見捨てない」のです。

天に行くよう選ばれた人たちは、モーセやエリヤと同様、他の人たちを訓練することの大切さを理解しています。

ほかの羊の兄弟たちが責任を担えるよう、統治体は何十年もの間訓練してきました。

さまざまな学校を通して、長老や宣教者や旅行する監督や支部の兄弟たちを訓練しています。

それに加え、統治体のさまざまな委員会で奉仕する援助者たちを訓練しています。

訓練を受けた兄弟たちは今、非常に重い責任を担っています。

確信を込めて言うことができますが、統治体は神からの贈り物である援助者を必要としています。

統治体の全員がそう感じています。

援助者のために祈っています。

これらの兄弟たちには、備えができています。

会衆の頭イエスの導きを受けて、引き続き羊たちを世話することができます。

簡単に言うと、こういうことです。

選ばれた人たちは、大患難の終わりごろハルマゲドンの前に天に行きますが、地上での清い崇拝が途絶えることはありません。

清い崇拝はいつまでも続くのです。

エホバに感謝しましょう。

エホバはイエス・キリストというリーダーを与えてくれました。

神の崇拝者は、天でも地でもイエスの世話を受け続けることができます。

間もなく、マゴグのゴグの攻撃があります。

でもそれは決して成功しません。

大群衆は攻撃されてもエホバを崇拝し続け、エホバの救出を待ちます。

エホバは驚くような方法で救出してくれるでしょう。

3つ目の点を考えましょう。

ここまでで、選ばれた人たちが天に行った後、大群衆がどうなるか分かりました。

でも、次の点が気になるかもしれません。

選ばれた人たちは、地上での歩みを終えて天に行ってから何をするのでしょうか?

うわー、早く知りたい。

聖書にはっきりと書かれています。

啓示 17:14を見てみましょう。

この聖句によると、政治勢力は愚かにも子羊と戦います。

でも勝てるはずはありません。

「子羊は……彼らを征服します」

誰が協力しますか?

「子羊と共にいる者たち、招かれ、選ばれた忠実な者たちも、征服します」

「招かれ、選ばれた忠実な者たち」とは誰ですか?

天に復活した、選ばれた者たちです。

ですから、天に行くよう招かれた者たちが最初に行う仕事の1つは、戦うことです。

やったー!

楽しみです。

ボクサーだった人もいます。

クリスチャンになる前ですが、軍隊に入っていた人たちもいます。

ですよね?モリス兄弟

特殊部隊にいた人もいます。

あー、モリス兄弟は違いますね。

でも、その後クリスチャンになりました。

「平和の道」について学び、戦いをやめました。

いわば、最後の手りゅう弾のピンを抜き、人が誰もいない方向に向かって放り投げたようなものです。

人も物も傷つけませんでした。

ドカーンという音を立てただけです。

でも天では、キリストや天使たちと一緒に、神の敵たちに対して最後の戦いをします。

ですから、選ばれた人たちが天に行った後、どうしたらいいんだろうと思っていた人は、次のことを思い出してください。

今、私たちは戦うことを許されていません。

たとえ許されても、選ばれた人たちの多くは戦えません。

もう年ですから。

でも天では、強力な力を与えられます。

戦士である王イエス・キリストと共に戦います。

約束します。

私たちは皆さんのために、ベストを尽くして頑張ります。

天では、地上で不完全な人間でいる間にできなかったことを精一杯、行うつもりでいます。

まだ終わっていません。

もう時間は超過していますが。

その戦いの時、ほかの羊は何をする必要がありますか?

これだけです。

隠れてください。

イザヤ 26:20にはこうあります。

「奥の部屋に入り、扉を閉めなさい。少しの間、隠れていなさい。憤りが過ぎ去るまで」

かくれんぼのようなものです。

隠れた皆さんを敵たちは捜しに来ますが、捕まえることはできません。

ですから心配は要りません。

不安に思う理由はありません。

全くありません。

エホバは皆さんを決して見捨てないからです、

将来のことを心配すべき理由は全くないのです。

ですから、兄弟姉妹、エホバから離れないでください。

エホバは皆さんを愛し、皆さんを決して見捨てたりしません。

忠実であれば、必ず報いを受けるでしょう。

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