「Oh happy day.」
ゴスペル・ソングの歌い出しです。
「イエスがわたしの罪を洗い去った時」と続きます。
この歌は18世紀に作られました。
罪が許されることは嬉しいことではないでしょうか?
でも多くの人にとってのハッピーデイは、月末の給料日です。
生徒の皆さんにとってのハッピーデイとはいつですか?
卒業式です。
学校が終わるから幸福なのではなく、学校に行けたから幸福なのです。
世の多くの人は、お金がたくさんあれば、もっと幸福になれると信じています。
しかし、富を蓄えることが人生の中心になっている人は、失望感に襲われています。
ある人は仕事を失い、賃金を払えずに家を手放さざるを得ない人もいます。
富は幸福をもたらさないのです。
一方、永続する幸福はエホバのご意志を行なうことから来ます。
幸福とは何ですか?
幸福とは良い状態であること、満足していること、深くて強い喜びを感じていることです。
世では多くの人は幸福ではありません。
アメリカでは2015年に自殺した人の数は4万4193人であり、殺人で亡くなった人の数の2倍以上です。
毎日120人ほどが自殺している計算になります。
なんと悲しいことでしょう。
まれなこととして、真のクリスチャンの中にもうつ病で自ら命を絶つ人がいますが、わたしたちの多くは幸福です。
幸福でいられる12の理由があります。
1番目に、幸福な神にお仕えしているゆえに幸福です。
詩編 33:12にあるように、「エホバをその神とする国民……は幸い」です。
2番目に、わたしたちの罪が許されているゆえに幸福です。
ローマ 4:7にあるように、「不法な行ないを赦され、罪を覆われた者は幸い」なのです。
3番目に、エホバとイエスから愛されているゆえに幸福です。
4番目、世界的な兄弟関係のゆえに幸福です。
5番目、霊的パラダイスに住み、エホバや兄弟たちとの平和な関係を楽しみ、あふれるほどの霊的食物ゆえに幸福です。
6番目、山上の垂訓でイエスが述べたように、「霊的な必要を自覚している」ゆえに幸いです。
この話の中でイエスは幸福であるための9つの項目を挙げました。
何がありましたか?
もう一度読んで確認してください。
7番目、人生の意義ある目的ゆえに幸福です。
エフェソス 1:12にあるように、「その栄光の賛美に仕える」という目的です。
8番目、啓示 1:3にあるように、神の言葉を読むゆえに幸福です。
「この預言の言葉を朗読する者、またそれを聞[く]者たちは幸い」とあります。
毎日幸福でいたいですか?
毎日聖書を読んでください。
啓示の書の中で、イエスは7つの幸福について述べています。
何がありましたか?
もう一度読んで確認してください。
9番目、霊的神殿で奉仕するゆえに幸福です。
啓示 7章で油そそがれた者も大群衆も、神殿の近くや前ではなく、中で奉仕しています。
ダビデはレビ人を幸福な者と呼びました。
詩編 65:4で「あなたに選ばれ、近づくことを許され、その中庭に住むようになる者は幸いです」と歌っています。
ダビデはレビ人が年に2度、1週間ずつ神殿で奉仕するよう取り決めました。
対照的に、今日エホバの民は霊的神殿の中で、ずっと毎日奉仕しています。
なんと幸福なのでしょう。
10番目、詩編 40:4にあるように、「エホバを自分の頼み」とするゆえに幸福です。
信頼は幸福に不可欠です。
割り当てに戻ったなら、エホバが支えてくださることを信頼してください。
ギレアデでの訓練や自分の能力よりも、エホバの力に頼ってください。
お金が底をついたなら、エホバを信頼してください。
顧みてくださるでしょう。
新たな言語を学ぶなら、信頼してください。
間違って非難されるようなことがあるなら、ふさわしい時に解決されることを信頼してください。
落胆することがあるなら、信頼してください。
どんなに悪い状況も一時的にすぎないのです。
11番目、わたしたちは寛大であるゆえに幸福です。
使徒 20:35でイエスが言われたように、「受けるより与えるほうが幸福」なのです。
12番目、ある人は天での希望、その他大勢の人は地上の楽園での希望ゆえに幸福です。
永遠の命が約束されているゆえに幸福です。
幸福はどのように表われますか?
感謝の気持ちを抱いたり、感謝を表わしたりすることによってです。
不満を抱くことのないようにしましょう。
エホバがイスラエル人を解放された時、彼らは幸福でした。
しかしたった数週間後には彼らは不満を抱き、エジプトに戻りたいとまで言いだしました。
幸福であるために積極的な態度を持ちましょう。
バラのとげではなく、花を見て喜びましょう。
そして割り当てに戻ったなら、幸福であることを表現してください。
目や顔、笑顔でそれを表わしてください。
セールスマンのような笑顔でなく、心からの笑顔です。
幸福は歌うことによっても表われます。
幸福な人はよく歌います。
では時々歌いますか?
「雨にも負けず、風にも負けず」、どこででも歌いますか?
どのように幸福を増し加えられますか?
他の人の行ないが自分の幸福に関係し、自分の行ないは他の人の幸福に関係します。
幸福は身の回りにいる人たち、家族や友人やその他の人と切っても切れない関係にあります。
幸福はよくささいなことの中に見いだすことができ、そのささいなことを気にかけないと、幸福でなくなります。
幸福は試練がない状態ではなく、それを乗り越える能力です。
幸福は外面的な状況によるのではなく、自分の内なる考えや、幸福な神との関係に依存しています。
幸福は喜びと関係しており、喜びは聖霊の実の1つです。
ですから聖霊が流れるように努力するなら、幸福でいられます。
飢えていても幸福。
以前の特別講演のテーマでした。
もちろん、飢えていなくても幸福です。
レストランに入って値引きされている時、得した気になるでしょう。
独身であっても幸福です。
結婚しているので、時には結婚しているにも関わらず幸福です。
子どもがいなくても、時には子どもがいるにも関わらず幸福です。
15歳であったとしても幸福です。
85歳であったとしても幸福です。
病気であっても幸福です。
もちろん健康であればもっと幸福です。
愛する人を亡くしても、なお幸福です。
もう一度会えるからです。
キリストのゆえに迫害されても幸福です。
イエスはルカ 6:22, 23で、「人々があなた方を憎むとき……幸いです。その日には歓び躍りなさい」と言われました。
仕事を失っても幸福です。
財布をなくしても幸福です。
昔、有名だった歌ですが、サンフランシスコが思い出になっても、どこででも幸福です。
でも意識を失うと、幸福でなくなります。
でも周りで起きていることがまったく分からなくなるのなら、幸福なのかもしれません。
皆さんが幸福なら他の人も幸福にできますし、皆さんが幸福でないなら、他の人も幸福でなくなります。
皆さんが他の人と幸福な関係でないなら、他の人も皆さんと幸福でいられないでしょう。
ユーモアの精神は幸福に役立ちます。
ユーモアによって痛みや問題も我慢しやすくなります。
ささいなことの中に幸福を見いだしてください。
サンセット、空の雲、鳥のさえずり、花にとまっている蝶々、犬のかけっこ、楽園について考えることで、幸福を保ってください。
それを待ち続けてください。
ダニエル 12:12にあるように、「ずっと待ち望[む]者は幸い」です。
楽園ではもはや涙はなく、感情的な痛みも不幸もありません。
すべての人が毎日、どんな時でも幸福です。
それで試練のもとでも幸福な神エホバを賛美し、自分と他の人を幸福にすることによって、これからも幸福を増し加えてゆきましょう。