143期ギレアデ卒業式「エホバに忘れられないようにし続けましょう」 - ゲーリー・ブロー

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エホバは忘れることはされないと思われるでしょう

もちろんエホバはすべてをご存じであり、何もお忘れになりません

でも人間は忘れることがあります

申命記の聖句を思い出してください

モーセは約束の地を前にしたイスラエル人にある警告を与えました

申命記 6:12です

「あなたは自分に気を付けて、あなたをエジプトの地から……携え出してくださったエホバを忘れることのないようにしなさい」

ですから神の奉仕者でもエホバを忘れることがあり、その逆もまたしかりです

使徒パウロは、エホバもお忘れになることがある、ということを述べました

ヘブライ 6:10にそのことが書かれています

ヘブライ 6:10

忘れることに関するエホバの力に注目しましょう

「神は不義な方ではないので、あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え、今なお仕え続けているその働きと、こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです」

ここで、2つの事についてはエホバは決して忘れないとあります

何ですか?

働きと愛です

では、この話のテーマを思い出してください

「エホバに忘れられないように」ではありません

皆さんはエホバに忘れられないよう努力しています

でも、テーマは、「エホバに忘れられないようにし続ける」です

それで、わたしたちがエホバを忘れないようにするため、パウロの言葉をより深く調べるのはよいことです

わたしたちがエホバを忘れないなら、エホバもわたしたちを忘れないでしょう

では最初に働きについて考え、その後、愛について考えましょう

パウロが、神はわたしたちの割り当てをお忘れにはならないと書いていないのは興味深いことです

パウロはエホバが、「ああ、あなたは支部委員ですね、決して忘れませんよ。開拓者ですね、特別開拓者ですね、長老ですね、奉仕部門のサービスデスクで働いているんですね。決して忘れませんよ」と言っておられる、と述べているのではありません

パウロは何と述べましたか?

神は働きをお忘れにはならないと述べました

確かに支部委員も長老も開拓者も大切ですが、エホバが決してお忘れにならないのは、わたしたちの行なう働きであり、様々な割り当てやエホバ神への様々な奉仕を、魂をこめて行なうことです

ヘブライ 6:10を本当に理解していた、ある兄弟の話をしましょう

数年前、大会ホール委員が5人いて、3人に減らすという決定がなされたため、2人にその奉仕を終えていただくことになりました

支部委員委員会はその件を検討し、一番年長の兄弟に委員としての奉仕を終えていただくことになりました

その兄弟に決定を伝えなければなりませんでしたが、手紙ではなく直接お会いして伝えることになりました

それでわたしがその役目を与えられました

大会ホール委員とテーブルについて、どきどきしながら聖句を読み、兄弟たちの心を落ち着かせようとしました

そして、「お2人は委員の立場から離れることになりました」と伝えました

すぐに年長の兄弟が手を挙げて、「聖句を1つ兄弟に読んでもいいですか?」と言いました

「もちろん、どうぞ」

兄弟はヘブライ 6:10を読み、「兄弟たち、わたしは立場のためにここにいるのではなく、働くためにいるのです。ぜひわたしに仕事をください」と言いました

それ以降、この話を事あるごとにしています

兄弟は、エホバは「働き……を忘れたりはされない」というパウロの言葉の意味を、よく理解していたからです

では、ヘブライ 6:10に戻って、2番目の点を考えましょう

エホバは「愛」を「忘れたりはされない」

どんな種類の愛ですか?

「エホバ、愛しています」

エホバも見下ろして「ありがとう、あなたの愛を忘れませんよ」

パウロが述べたのは、そういうことではありません

もう一度読みましょう

10節で働きについて述べた後、こう言っています

「あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え、今なお仕え続け[ることで]み名に示した愛とを忘れたりはされない」

大切な点が2つ述べられています

「み名に示した」と「仕える」です

言い換えるなら、「あなたの兄弟たちへの愛」を見て、エホバは「その愛を決して忘れないよ」と言っておられるのです

知的な愛ではありません

皆さんはおよそ5か月間授業を受けました

たくさんの聖句を読んで、あらゆる種類の愛の模範について聞き、愛を示すあらゆる理由を学んだことでしょう

では、今後是非それを行なってください

学んだことを実行してください

パウロが述べたことを忘れないでください

愛がなければ、やかましいシンバルのようです

愛は口先ではなく、行動に表われるのです

この点で努力を要したある兄弟の話をご紹介しましょう

わたしが若い時に巡回監督をしていた頃、怖い地域監督がいました

わたしもほかのみんなも怖がっていました

ある巡回大会で、兄弟の奥さんが出席しておらず、兄弟はその理由をだれにも言いませんでしたし、だれも聞けませんでした

それで日曜日の話の中で、わたしは兄弟の許可なしに事実をみんなに知らせることにしました

わたしは「ご存じのとおり、兄弟の奥さんがいらっしゃいませんが、姉妹は明日大きな手術を受けられる予定です。そのことを祈りに含めましょう」と言いました

その後兄弟を紹介しましたが、兄弟は現われません

ステージ裏に長いこといたのです

わたしはどうしたらよいか分かりませんでした

それから兄弟はゆっくりゆっくり現われ、マイクをつかんで声を詰まらせました

少しずつ話し始め、低いトーンで話し切りました

プログラムの終わりに心温まる歌を歌い、兄弟が祈りをささげる時になりましたが、できませんでした

泣き始めたのです

長い時間の終わりに、「イエスの名によってお祈りします、アーメン」と言いました

どうなったと思いますか?

みんなに囲まれたのです

みんなが兄弟を抱いて、泣いていました

兄弟は後にこう言いました

「ゲーリー、わたしは兄弟たちを愛しています。その表わし方が分からないんです」

この兄弟の気持ちが分かるなら、愛を示す方法を学んでください

何ができますか?

顔を変えられるかもしれません

といっても顔は交換できませんので、温かい表情にするのです

声を温かいものにしましょう

魅力的な人格をもっと深めましょう

人のためになることを行ない、会衆にいる年長の兄弟姉妹の助けになりましょう

多少ぎこちなくなるとしても、とにかく行なうのです

そうすればいずれ、人格の一部となるでしょう

王国会館の入口やベテルの入口を歩く時、兄弟たちは皆さんのところに近づいてくるでしょう

皆さんの立場ゆえでなく、皆さんが一生懸命示す愛ゆえにです

割り当てに戻っても、エホバは皆さんの示す働きと愛を決して忘れたりはされないということを、いつも思いに留めてください

動画リンク

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