この喜ばしい日、エホバへの愛が火のように燃え盛っていることでしょう。
この日を、忘れないようにしましょう。
たった今自分がどう感じているかを心に刻み込んでください。
なぜなら、あなたの中で燃え盛るその愛が、きっと試されるからです。
試練にあって忠実だった聖書中の男女の記録は、わたしたちの信仰を強固にします。
その語った言葉が、思いの中で響きます。
しかし、語った言葉が聖書に記録されていない人に関してはどうでしょうか?
彼らの沈黙の手本は何を教えてくれるでしょうか?
そのような人物の手本を、一つ考えましょう。
あまり有名ではない、リツパという人です。
サウル王のそばめとして聖書に登場します。
王の気を引くほど美しい人だったに違いありません。
しかし、彼女の人生は厳しいものでした。
彼女と子どもたちを残して、サウルは戦死します。
彼女はサウルの別の子、イシ・ボセテのものとなりますが、彼も殺されます。
しかし、リツパにとって最も厳しい出来事はその後です。
サウルの死のずっと後、エホバはダビデ王に、ギベオン人撲滅の企てゆえにサウルの家に血の罪があると告げます。
古代の契約に逆らう企てでした。
そのため、イスラエル国家全体が、無実の者を殺した罪のうちにありました。
ダビデはどうしたでしょうか?
サムエル第二 21:3には、ダビデの行なったことが記されています。
サムエル第二 21:3。
ダビデは、「わたしはあなた方に何をしようか」と尋ねます。
6節でギベオン人は、「[サウル]の子らの七人がわたしたちに渡されるようにして頂きましょう……エホバのために彼らをさらし者にしなければなりません」と答えます。
さらに6節。
「わたしは、彼らを渡そう」とダビデは応じます。
渡される者たちの中には、8節にあるように「リツパの二人の息子」が含まれています。
リツパが最も愛する者たちです。
リツパにとっては胸の引き裂かれる思いだったに違いありませんが、打つ手はありません。
なされた決定はどうすることもできないのです。
後に、7人すべては処刑後、杭に付けられます。
モーセの律法では、杭に付けられた遺体は日没前に下ろされて葬られることになっていましたし、その埋葬は母親の悲嘆を和らげるはずでした。
何よりも、そうすることで、命の尊厳を重んじるエホバの要求を満たすことになり、適切な方法で遺体を処理するエホバの指示に従うことにもなるのです。
リツパはそのことを知っていたに違いありません。
しかし、そうなりませんでした。
夜が近づいているのに、遺体を下ろす者が来ません。
彼女の苦悩を想像できますか?
こう考えていたかもしれません。
「だれもモーセの律法に従わないのはなぜ? 間違っている」
しかし、あることが関係していました。
この場合、サウル王が犯したのは国家的な罪だったので、ギベオン人は通常とは異なる手順を踏むことが許されたようです。
リツパはそのことを知っていましたか?
分かりません。
しかし律法が適用されずに1日が過ぎていったことは確かです。
遺体は取り外されません。
2日が過ぎ、3日が過ぎていきます。
彼女はどうしますか?
10節によれば、容赦なく照りつける夏の太陽のもと、リツパは来る日も来る日もその場にとどまり続けました。
ここで、彼女が何をしていたかが述べられています。
「昼は天の鳥が、また夜は野の野獣が、彼らの上にとどまるのを許さなかった」とあります。
その場にいて、自分に注意を向けていたわけでも、息子たちのために公正な裁きを求めていたわけでもありません。
鳥を追い払っていたのです。
彼女は人間の命に対するエホバの見方を理解し、敬い、支持していました。
たとえ大きな犠牲を払っても、エホバの物の見方で自分の行動が形作られるようにしたのです。
立派な女性です。
おそらくリツパは、なぜこんなことが起きているのか、なぜこうなってしまったのかを正確には理解していなかったかもしれません。
自分の息子たちが埋葬されずに、違う手順が踏まれたことは、彼女の人生に大きな影響を与えました。
しかし、彼女の行動はエホバへの愛と取り決めに対する忠節を示していました。
愛と忠節が彼女のうちで明るく燃えていたのです。
ここに大切な教訓があります。
時に、自分にはどうすることもできない事態に遭遇するかもしれません。
エホバの規準と決定によって、自分が形作られるような試練を経験し、それには大きな犠牲が伴うでしょう。
例えば、あなたは神権的な手順や方針に通じておられることでしょう。
しかし、組織の指示や手順が、あなたがよく知らない何らかの理由により調整され、その決定で個人的に大きな影響をこうむるかもしれません。
どうされますか?
リツパのように、その状況でできることを続けてください。
鳥を追い払うように、消極的な考えを払いのけるのです。
愛と感謝の炎を強め、エホバ神への熱意が燃え尽きないようにしてください。
さて、9節、10節によれば、「収穫の始まりから水が……注ぎ下るまで」日は過ぎていきます。
これは、息子たちの遺体を守る寝ずの番が、5か月か6か月にわたったことを示唆しています。
半年にも及ぶこの期間、彼女は何を考えていたのでしょうか?
「わたしの息子たちが適切に埋葬されるように取り計らってくれないダビデは、なんて無情なのかしら。そして、エホバよ、何もなさらないのは一体どうしてですか?」
こんな考えが浮かんだとしてもうなずけます。
でも、それによって神への愛の火が消されたり、自分が苦々しい気持ちになったりすることを許しはしませんでした。
他の人たちはやめさせようとして、彼女に「家に帰りなさい、もうやめなさい」と言ったことでしょう。
しかし彼女はあきらめませんでした。
人々を自分の味方に引き入れて、反対運動を始めたりもしませんでした。
ダビデの下した決定は不公平だ、と批判して、ダビデの悪口を言ったという記録もありません。
あるいは、「誰もやらないのならわたしがやる」と言って、自分で遺体を取り外そうともしませんでした。
むしろ、困難を経験しつつも、リツパの中にはエホバ神への愛が消えない残り火のようにこうこうと輝いていました。
その燃えるような愛により、忠節であり続け、自分の持ち場にとどまり、ダビデが決断を下す時をじっと待つことができたのです。
彼女が忠実に忍耐した価値はありましたか?
その窮状に気づいた人はいましたか?
11節です。
「サウルのそばめ……リツパのしたことがダビデに伝えられた」
誰かがダビデのもとに行ってこう告げたのです。
「ダビデ、あれはリツパです。まだあの遺体のそばにいます。鳥を追い払っているのです」
それで、ダビデはどうしますか?
ようやく、リツパの息子たちがきちんと埋葬されるようにしますか?
それ以上のことをしました。
12節から14節は、ダビデがサウルとヨナタンの骨を、はるばるヤベシュ・ギレアデからおよそ160キロの道のりを運ばせ、それらの骨とリツパの息子たちの骨を一緒にして、ベニヤミンの地にあるサウル一族の区画に葬ったことが述べられています。
最終的に、リツパは期待以上のものを得ました。
自分の息子たちの骨と父祖たちの骨が一緒に埋葬されるのを見たのです。
思いもよらない結果でしたが、待った価値がありました。
では、覚えておくべき教訓は何ですか?
リツパの愛と忠節、忍耐は見倣うべき模範です。
皆さんが試練を経験する時、他の人たちは皆さんの行動をじっと見ていることを忘れないでください。
イライラしてこう感じるかもしれません。
「なぜ? なぜ、長老たちは何もしないんだ? 監督たちはなぜ、この件を扱わないんだ? エホバよ、なぜ何もなさらないのですか?」
しかしエホバはこう言っておられるのです。
「わたしはあなたの沈黙の手本により、忍耐は報われることを皆に示しているのだ。期待以上の報いをわたしが与えるとき、『待って本当に良かった』と感じるだろう。わたしエホバは、報いを与えることを好むのである」
エホバ神に用いられる何と高潔で素晴らしい方法なのでしょう。
ですからリツパは、自分の境遇の犠牲者などではありません。
むしろ、逆境を乗り越えた勝利者となりました。
厳しい試練での猛烈な暑さも、彼女が正しいことを行なうのをやめさせたり、エホバ神を喜ばせたいという願いを打ち砕いたりはできませんでした。
リツパについての記録はごくわずかですが、それでも多くのことを学ぶことができます。
聖書にはこの女性が語った言葉は一言も記録されていません。
それでもエホバはこの特筆すべき女性に感動されたに違いありません。
彼女の名前と模範は、聖なる書物の中にその場を与えられ、それはわたしたちが考慮すべきものです。
彼女が教えていること、それは、屈辱的な扱いに、どのように尊厳を保って対処するかということです。
忠実に忍耐するのに何が助けになりましたか?
おそらく、その名前が手がかりになっています。
その名前は文字通りには、「真っ赤におこっている炭」を意味します。
なぜこの名前が与えられたのかは分かりません。
しかし、炭があかあかと輝くように、リツパは、息子たちへの愛、エホバへの忠節、取り決めへの忠節に焦点を当て続け、救いがきっと来ると確信していたのです。
彼女は勤勉でした。
息子たちの体が野獣に食べられないように必死に守りました。
消極的な感情のために引きこもったり、愛が消えたりするままにはしませんでした。
むしろ、自分にとって不公正と思える状況でも、最善を尽くしたのです。
では、皆さんに覚えていていただきたいことは何ですか?
皆さんが割り当てに向かう上で考えていてほしいことは何ですか?
不公正だと思えることがあっても、働き続けてください。
自分の割り当てを果たし続けてください。
できることを行ない続けてください。
鳥を追い払ってください。
エホバ神と兄弟たちへの愛の火を絶やさないでください。
助けは今あるいは新しい世でもたらされることを確信して、エホバが問題を解決されるのを待ってください。
待つ価値はあります。
そして何より、リツパのようになってください。
どんな状況下でも、神へのあなたの愛が真っ赤に輝く炭のように、明るく燃え続けるようにしてください。