144期ギレアデ卒業式「常に祈願しなさい」 - アンソニー・モリス

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間もなく卒業される皆さんは、聖書に含まれている祈りに様々な型があることをよくご存じでしょう。

請願があります。何か必要になると請願をささげます。

感謝があります。感謝する理由は本当にたくさんあります。

そして、確かにエホバはいつも賛美を受けるにふさわしい方です。

賛美をささげる祈りもありますね。

しかし、これから卒業され、割り当てに向かわれる皆さんに、祈願のことを心に置いていただきたいと思います。

祈願は、特別で感情のこもっている真剣なものです。

皆さんもそのことをご存じでしょう。

皆さんが常に、そうです常に祈願をささげるべきなのはなぜですか?

この点でわたしたちに完全な模範を残した、イエス・キリストの例を考えましょう。

ヘブライ5章の記述から、その模範がいかに貴重であるかがお分かりになるでしょう。

その模範にできるだけ倣いたいものです。

間もなく卒業される皆さんだけでなく、わたしたち皆がこの助言から益を得られます。

では、ヘブライ 5:7に注目なさってください。

「キリストは、肉体でおられた間、自分を死から救い出すことのできる方に、強い叫びと涙をもって、祈願を、そして請願をささげ、その敬虔な恐れのゆえに聞き入れられました」

ここで、「祈願」という語が、英語では複数形になっていることに気づきましたか?

確かにイエスは3年半の宣教期間中、祈願をささげたでしょうね。

しかし、イエスが地上での最後の数週間、数日、数時間に涙をもってささげた祈願は、相当なものだったに違いありません。

これがわたしたちに対する模範です。

エホバは、わたしたちが終わりに近づく今、一層み子に見倣って祈願をすることを願っておられます。

祈願がいかに重要かをイエスははっきりと示しました。

皆さんもお分かりでしょう。

しかし、時々わたしたちは忙しさのあまり忘れてしまうことがあります。

ルカによる書でイエスは何をするよう命じていますか?

ルカ21章を開いてください。

すぐに思い出せる聖句でしょう。

ルカ21章です。

36節を読む前に少し、34節に注目しましょう。

「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのために……心が押しひしがれ」、その日が突然わなのように急に臨むことがないよう「注意を払」うよう言われています。

そして36節です。

「それで、起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ、かつ人の子の前に立つことができるよう、常に祈願をしつつ、いつも目ざめていなさい」

イエスが言われたのは、「常に祈願しなさい」ということです。

もちろんこれは車の運転中でも、停車して祈願をささげなければならない、という意味ではありません。

イエスが言わんとするところは、「わたしが成功したようにあなたも成功したいなら、常に祈願をしていなければならない」ということです。

ぜひともそうすべきです。

祈願をせずに一日が過ぎてしまう、ということがあってはなりません。

終わりに近づくにつれ、その重要性は増していきます。

終わりは、来るかもしれないのではなく、必ず来ます。

それが現実です。

だから祈願に注意を向ける必要があります。

それで、わたしたち自身や愛する人に何か危機的な状況が生じたら、祈願をささげるのは自然ですね。

あふれそうな感情を祈りの中で言い表して、時には涙も流す、もう熱心な祈りです。

一心に祈ります。

感情があなたをとらえているかのようです。

この先、命にかかわる病気にかかるかもしれません。

それを知らされた時、祈願をささげることでしょう。

愛する人がいてその人の命が危険にさらされる場合も、祈願をささげることでしょう。

しかし、それがふさわしいことで、エホバが期待しておられることであったとしても、わたしは、皆さんが割り当てに戻られるに当たって、祈願をささげるべき別の理由を覚えていてほしいと思います。

わたしも同じ諭しを当てはめなければなりません。

わたしたちがこの点を祈願するかどうかをエホバは気にかけておられます。

ごく基本的な事ですが、マタイ6章にそれが書かれています。

マタイ6章です。

ここでイエスは模範となる祈りを示していますが、確かに祈願にも当てはまります。

9節をご覧ください。

「そこで、あなた方はこのように祈らなければなりません。『天におられるわたしたちの父よ、あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように、地上においてもなされますように』」

ですから、祈願すべきなのは、エホバのお名前に関することです。

この邪悪な世界はますます悪くなる一方です。

聖書の中で、世は「いよいよ悪に進」むと予告されていて、神の聖なるお名前を汚しています。

皆、聖書の教えとは正反対の生き方をしています。

何と残念なことでしょう!

そのことで自分がどれほど心を痛ませているかを、エホバに祈願してください。

その祈願はエホバに喜ばれます。

そうすれば、自分の悩みについて考える時間も減りますし、(考えすぎると霊的に弱くなります)エホバのお名前のことに焦点を当てていられます。

神のお名前と王国こそがすべての問題を除き去る、最重要なことなのです。

それで、これが皆さんにぜひ覚えていてほしいことです。

エホバのお名前から非難が取り除かれ、神の王国が来ることを祈願してください。

その祈願を可能な限り、頻繁にささげてください。

結びとなる考えが、皆さんがよくご存じの詩編83編にあります。

詩編83編を開きましょう。

この詩編は、エホバのご意志がなされ、お名前から非難が除かれて立証されるように(今はそのようにも表現されますが)、という祈願とつながりがあります。

皆さんもわたしと同じように感じておられるでしょう。

世の中で行なわれている悪い事柄には、心底嫌けが差しています。

ニュースはある程度は知る必要があるものの、もううんざり、というのが本音です。

それでも出来事について少しは知る必要があります。

さらに、世界の各地にいる兄弟たちから心配な知らせが常に入ってきます。

祈願すべきことは本当に多くあります。

それらの問題すべてを終わらせるのは王国です。

詩編83編の最初の5節をご覧になってください。

興味深い点ですが、そこにはエホバを憎む者たちについて述べられています。

これらごうまんな敵たちは、エホバ神とその民を憎んでいます。

彼らはこうかつで卑劣です。

しかし5節の後半に述べられていることはとても興味をそそります。

「彼らはあなたに敵して契約をさえ結ぶようになりました」

ですから、これは、エホバのみ名の民に敵対した諸国家の連合体について述べているのです。

皆さんは何を思い起こしますか?

ですから、常に祈願をすることに焦点を当てているなら、皆さんは実際には大患難に向けて備えをしていることになるのです。

連合する諸国家とは、攻撃を仕掛けてくるゴグのことです。

それはここ5節の後半で述べられている過去の出来事とつながります。

次に素晴らしいことが述べられています。

詩編83編の17, 18節をご覧ください。

これはわたしたちが心から祈り求めることです。

わたしたちの父にこう祈願したいと思います。

「ああ、彼らがいつまでも恥を負い、かき乱され、恥じ入り、滅びうせますように。それは、人々が、その名をエホバというあなたが、ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」

何と心を奮い立たせる祈願でしょう!

ですから、間もなく卒業される皆さん、この先どんなことに直面するとしても、聖書からの次の助言を忘れないでいてください。

「常に祈願しなさい」

そうすれば、皆さんは必ず成功を収めるでしょう。

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