わたしが皆さんについて知っていること、そして皆さんもわたしについて知っていることが2つあります。
1つは、エホバに仕えたい、受け入れられる仕方で仕えたいと願っていることです。
2つ目は、幸福になりたいということです。
そうですよね?
1つ目については特に問題ないでしょう。
皆さんは5か月間、学んでこられました。
聖書をくまなく学びましたから、エホバが望まれることをよく理解していて、それを行なう用意もできています。
しかし2つ目は、一筋縄ではいきません。
なぜでしょうか?
幸福は思うように得られないことがあります。
いろんな点で恵まれていて、周りから見れば幸福なはずなのに、実際には幸福でない人たちがいます。
逆に、毎日多くの困難を経験しているのに、幸せいっぱいに見える人たちもいます。
すぐに気づくことですが、幸福は物や状況、人々にさえ依存していないのです。
なぜでしょうか?
真の幸福は、最終目標ではなく、副産物だからです。
何の副産物ですか?
この質問の答えは、以前から聖書の中に書かれています。
どうぞ聖書の申命記 16章をお開きください。
エホバがイスラエル人に毎年出席するよう求めた祭りが3つありました。
その1つについて、エホバはこう言われました。
15節です。
「七日の間、エホバの選ばれる場所で、あなたの神エホバに対して祭りを行なう。あなたの神エホバは、あなたのすべての産物、またあなたの手のすべての業を祝福されるからである。あなたはただ喜びに満ちるように」
エホバは、「あなたはただ喜びに満ちるように」とおっしゃいましたね。
エホバの民として、喜びはあってもなくてもよいようなものではありませんでした。
崇拝の行為として喜ぶよう求められていたのです。
なぜですか?
たとえエホバの愛ある気遣いを示す事柄であっても、それが日常生活の一部になると、不完全な人間は感謝の気持ちを失ってしまうことがあるからです。
では、当時祭りに参加した人々は、なぜ「ただ喜びに満ちる」ことができたのでしょうか?
それぞれの祭りの間、人々は普段の活動をやめました。
つまり、一時停止したのです。
そして、エルサレムに向かい、エホバからすでに受けた祝福や、そのとき受けていた祝福を思い巡らしたのです。
つまり、リセットしたのです。
この一時停止とリセットによって、イスラエル人はどんな影響を受けましたか?
一言でいうと、感謝です。
感謝の気持ちがあるとどうなりますか?
必ず、幸福になります。
そうです、エホバは、「あなたはただ喜びに満ちるように」とおっしゃいましたが、幸福が感謝の副産物であることをご存じなのです。
では、古代のこの例からどんな教訓が学べますか?
今の世の中は苦難に満ちています。
これから皆さんは、さまざまな困難や、「時と予見しえない出来事」に直面することでしょう。
これが現実ですね。
エホバもそれをよくご存じです。
それと同時に、感謝の気持ちがあるならば、困難に直面してもそれを乗り切ることができる、ということもご存じなのです。
感謝の気持ちがあれば、創造者がわたしたちを愛しておられ、気遣ってくださっていることに気づきます。
人生のどん底にいるときでさえ、神の善良さに気づきます。
感謝の心は、苦しみを解決しませんが、苦しみを和らげます。
感謝の心は、悩みの種をぬぐい去りませんが、希望を強めます。
感謝の心は、消極的な気持ちを打ち消すのです。
「エホバの喜び」がわたしたちの「とりで」になるのです。
でも、それは自分次第です。
感謝とは、単なる感情ではないからです。
それは、わたしたちの物の見方、また態度であり、自分の選択なのです。
なぜ自分の選択ですか?
自分の思いを意識的に、苦しみではなく、祝福に向けるようにするからです。
エホバは「幸福な神」と呼ばれています。
幸福になるためのレシピも教えてくださっています。
そのレシピの一部が詩編 143編にあります。
詩編 143:5をご覧ください。
詩編作者ダビデはこう述べました。
「わたしは昔の日々を思い出し、あなたのすべての働きを思い巡らしました。わたしは自ら進んであなたのみ手の業に思いを留めました」
ダビデはいわば、時折、一時停止ボタンを押すよう勧めているのです。
時間を取って周りを見回す必要があるのです。
わたしたちの周りには、エホバの善良さや力、とりわけわたしたちへの愛を日々実感できるものがあふれています。
ですから、それらを見るために時間を取るだけでよいのです。
どこを見てもエホバの善良さで満ちています。
ですから、時々、一時停止し、神が毎日くださるものを味わう時間を取りましょう。
多種多様な生き物について考えてみましょう。
エホバのみ手の業を、じっくり考え、思い巡らし、黙想するのです。
星空を見て、広大な宇宙に思いをはせましょう。
朝日や夕日も毎日違った表情を見せてくれます。
雲を見上げてみましょう。
絶えず変化しています。
これまで見たのと全く同じ雲はなく、これからもないでしょう。
こうしてわき上がる感情で心から元気づけられます。
これがリセットです。
目は光を感じ、耳は音を拾います。
でも、感謝に満ちた心はその意味を悟ります。
エホバが造られたものはすべて、わたしたちへの贈り物なのだ、と悟るのです。
そうです、一日一日が、全く違った特別な贈り物となるよう意図されたのです。
なぜでしょうか?
永遠に続く毎日が、ただ特別なのではなく、感動や驚嘆、喜びで満ちるようにされたのです。
エホバの創造物に心を留めると、不安な気持ちは薄れていきます。
安心できるもの、永続するもの、自分以外のものに思いが向くようになるのです。
そして、困難な状況にも順応しやすくなります。
わたしたちが、より大きいもの、永続するもの、はるかに重要なもの、つまり、神の目的の一部であることを改めて確信できるからです。
感謝の気持ちが重要なのは良い気分になるだけでなく、良いことを行なう原動力にもなるからです。
感謝の心があれば、愛が深まり、快く許し、思いやり深く、そして思慮深くなります。
感謝という土に、喜びという植物が育つのです。
ですから、身近にある祝福に心を向けましょう。
感謝の気持ちが内面からあふれ出て、他の人に伝わるようにしましょう。
「ただ喜びに満ちる」とき、その喜びは皆さんの笑顔、まなざし、手の触れ方、言葉に表われるでしょう。
なぜですか?
感謝があれば人生を試練の場と見るのではなく、贈り物として楽しめるからです。
感謝の心は、他の人々とのかかわり全体、つまり、家族、結婚生活、仕事、宣教にさえ影響を及ぼします。
他の人々の生活に、良い感化を与える存在になれるのです。
自分のことだけで頭がいっぱい、という状態から解放されます。
批判的な精神は、感謝の気持ちに取って代わられます。
ですから定期的に、一時停止し、エホバからの贈り物について熟考しましょう。
電子機器にも、休みをあげてください。
散歩しましょう。
その際、ただ見るのではなく、一時停止して、じっくり味わうのです。
毎日受けているすべての祝福を数え上げてください。
そうすれば、試練やストレスに対処しやすくなるでしょう。
どんな時でも、感謝できることを考えるようにすれば、思いと心の平安が深まるのです。
ぜひ、一時停止し、思い巡らしましょう。