皆さんは、ギレアデという川のほとりに植えられた美しい木々のようです。
エレミヤ 17:8には、そのような美しい木が描かれています。
ご一緒に読んでみましょう。
エレミヤ 17:8です。
「彼は必ず、水のほとりに植えられて、水路のほとりに根を送り出す木のようになる。彼は暑さが来てもそれを見ることなく、その葉は実際に生い茂ることであろう。また、干ばつの年にも思い煩うことなく、実を産み出すことをやめもしない」
皆さんは、ギレアデで学び、霊的な水を吸収してこられました。
そして今日、卒業します。
これからの奉仕で、皆さんは比喩的な意味で葉は生い茂り、実を生み出すことでしょう。
しかし 8節によると、義なる木はどんな状況に対処しなければならない、とあるでしょうか?
「暑さが来ても」、そして「干ばつの年にも」とあります。
「もし暑さが来たら」ではなく、「暑さが来ても」です。
この「暑さ」や「干ばつの年」とは何でしょうか?
「暑さ」にはいろんな種類があります。
授業でもこの節について学びましたが、ここでは、ある特定の「暑さ」について考えたいと思います。
それは迫害です。
わたしたちの活動に対する制限や禁令のねらいは、わたしたちをおびえさせることです。
エホバの証人に関する否定的な報道のねらいは、疑いを抱かせることです。
宗教指導者や反対者たちは、わたしたちの中立の立場や、性と結婚に関する聖書の基準を支持していること、排斥措置による矯正などを攻撃します。
また、兄弟たちの中には、逮捕され投獄される人もいます。
サタンが「暑さ」を厳しくしていると言えるでしょう。
では、木はどうなるでしょうか?
干ばつの時に、恐れや疑念によってしなびて枯れてしまいますか?
いいえ。
8節にあるエホバの言葉によると、義なる人は「暑さ……を見ることなく」、「干ばつ……にも思い煩うこと」はありません。
エホバが、義なる木は暑さを見ることなく、干ばつで枯れることもない、と確信しておられるのはなぜでしょうか?
エレミヤ 17:7を見てみましょう。
こうあります。
「エホバに依り頼み、エホバがその確信のよりどころとなってくださった強健な者は祝福される」
では、干ばつの年にあなたはどうしますか?
エホバを信頼してください。
サタンは、エホバに対する信頼を失わせようとします。
人類史の最初から、エバに「神が言われたのは本当ですか」と言ったのです。
人々に恐れや疑念を抱かせること、それがサタンの体制の基本的な特性なのです。
迫害について考えるため、飛行機に乗っているときに乱気流が発生して、機体が揺れる場面を想像してみましょう。
以前、わたしが乗っていた飛行機の乗客に、怖くて悲鳴を上げる女性がいました。
その人は、少しでも揺れると声を上げるのです。
本当に怖かったようです。
その女性がかわいそうになりました。
一方、慣れた乗客は、食事や読書をしたり映画を見たりしていて、乱気流を気にも留めていない様子でした。
なぜでしょうか?
飛行機はその程度の乱気流をたやすく乗り切れる、と経験から分かっているので、心配しないのです。
機体はそのように設計されています。
わたしたちは、飛行機に乗り慣れている乗客のようです。
乱気流、つまり迫害によって恐れたり、疑いを持ったりしません。
エホバとイエスがパイロットなので安心できますね。
では、エレミヤ 17:7にある、エホバへの信頼を示す2つの方法を考慮しましょう。
1つ目に「忠実で思慮深い奴隷」を信頼すること、次に聖書の原則を信頼することです。
まず、忠実で思慮深い奴隷への信頼についてです。
忠実で思慮深い奴隷は、エホバが選んで任命されました。
彼らを信頼できることは経験を通して分かります。
信頼感というのは、良い経験を積み重ねることで生まれます。
忠実で思慮深い奴隷の指示に従って本当によかった、という経験をたくさんしてきましたね。
では、この考え方はどうですか?
「忠実な奴隷のこの指示は、アメリカでは役立つだろう。でも、この土地の状況も、ここでの割り当てのことも分かってくれてないなぁ。ここでは別のやり方が必要だ」
忠実な奴隷への信頼は、住んでいる場所に左右されません。
忠実な奴隷を通して与えられるエホバの指示は、世界中の神の民すべてに当てはまります。
エホバがしてくださったことを忘れると、恐れを感じるようになります。
サタンは、忠実な奴隷に従ってよかったという経験をすっかり忘れさせたいのです。
わたしたちが一瞬でも恐れを感じ、その結果「暑さ」でしなびてしまうことを願っています。
とりわけ、根拠のないうわさに対しては、テサロニケ第二 2:2にあるように「すぐに動揺して理性を失ったり興奮したり」しないでください。
今後、忠実で思慮深い奴隷に対する信頼が試みられるでしょう。
サタンがそう仕向けるのです。
例えば、「自分のほうが良く分かっている」と内心思ったり、ゆがめられた情報を見聞きしたりするかもしれません。
どちらも、わなとなります。
そうした考えを退けましょう。
忠実で思慮深い奴隷について学んできたことを信頼してください。
イザヤ 30:15にあるとおり、「あなた方の力強さは、ただかき乱されないでいることと、信頼していることにある」のです。
忘れないでください。
忠実な奴隷を選び、任命したのはエホバです。
彼らが信頼に値することは、経験から明らかです。
続いて、2つ目の点、聖書の原則への信頼について考えましょう。
聖書の原則は、どの時代にも通用する、エホバからの貴重な真理です。
しかし多くの人は、この現代に聖書の原則に従おうとするわたしたちを批判します。
「時代遅れだ」と言うのです。
しかし、わたしたちは聖書の原則を信頼します。
いつでも役立つことを経験してきたからです。
ある姉妹に、逆境でも動じない秘訣を聞くと、比喩的な水、「聖句をください」という聖書の原則に頼る態度でした。
イエスの母マリアも「聖句をください」の精神でした。
ルカ 2:51には、「こうしたことばをすべて心の中に……おさめ」ていたとあります。
マリアは、木が水を吸収するように、イエスの教えや目覚ましい奇跡について、心に収めました。
マリアが「暑さ」と言えるものにさらされたのは、パリサイ人やサドカイ人、自分の家族や隣人までもがイエスを攻撃したときです。
彼らはイエスの悪口を言い、中傷し、動機を疑いました。
マリアがこうした「暑さ」を乗り切るのに何が役立ちましたか?
彼女が心に大切に収めていた、比喩的な水です。
皆さんは、今後反対や迫害が生じたときに役立つよう、どんな聖書の原則や経験を心に収めていますか?
マリアのようになりましょう。
聖書の原則を当てはめて得られた良い経験を心に収めてください。
有益な聖書の原則にいつも従ってください。
常に役立つからです。
決して時代遅れにはなりません。
これ以上に優れた原則は、だれも考えつきません。
そうです、聖書の原則を信頼できるのは、それがエホバからのものだからです。
また自分の経験から、必ず役立つと知っているからです。
さて、忠実で思慮深い奴隷を信頼することと、聖書を信頼することは、エホバへの信頼を示す方法のうちのほんの2つにすぎません。
では、干ばつの年にあなたはどうしますか?
エホバを信頼してください。
鳥はどうでしょうか?
空を飛びながらこう思いますか?
「あぁ、下に落ちちゃうかも。どうしよう」
そうは思いませんね。
なぜですか?
エホバが与えた翼と本能に頼っているからです。
それで、飛べるのです。
わたしたちも、うそや禁令に面しても、また聖書に従う生き方を批判されても、心配しません。
エホバがいわば、飛ぶために必要なものを与えてくださるのです。
忠実で思慮深い奴隷、聖書の原則、祈り、聖霊などです。
この体制の終わりが近づき、迫害の「暑さ」がいっそう厳しくなっても、わたしたちは恐れや疑いに負けません。
決意しましょう。
信頼と勇気を示すのです。