145期ギレアデ卒業式「別人のようになりましたか」 - ウィリアム・ターナー・ジュニア

テキスト

皆さんは、受けた訓練と教えによって、最初にパタソンに到着したときとは別人になっていると言って間違いないでしょう。

しかし具体的にどう変わったのでしょうか。

今後も変わり続けることが重要なのはなぜでしょうか。

こうした点を考えるために、皆さんと同じように特別な割り当てを受けたある人物に注目しましょう。

その人は、イスラエルの最初の王として神から選ばれました。

それはサウルです。

預言者サムエルは、サウルに3つの預言的なしるしについて話し、エホバから王として選ばれたことを確証しました。

一緒に聖書を見てみましょう。

サムエル第一 10章です。

6節を読んで、最後のしるしの後に何が起きることになっていたかに注目しましょう。

10章6節にはこうあります。

「エホバの霊が必ずあなたの上に働き、あなたは必ず彼らと共に預言者として話し、ほかの人に変えられるでしょう」

これはどういう意味でしょうか?

サウルの外見が突然別人のようになったのでしょうか?

あるいは、人格が劇的に変化したのでしょうか?

では、1つ前の9章を見てみましょう。

21節で、王として指名される前のサウルの人格特性を垣間見ることができます。

「サウルは……言った、『わたしはイスラエルの部族のうちの最も小さい部族のベニヤミン人で、わたしの氏族はベニヤミンの部族のすべての氏族のうちの、最も取るに足らないものではありませんか……どうしてこのような事をわたしに話されるのですか』」

このように、サウルは非常に謙遜で慎み深いことを示しました。

王となった後はどうでしょうか?

10章に戻りましょう。

22節を見ると、サウルが人々に王として紹介されています。

22節 「彼らは……エホバに『その人はもう既にここに来ているのですか』と伺った……エホバは、『見よ、彼は荷物の間に隠れている』と言われた」

明らかにサウルはこのときも慎み深く謙遜でした。

興味深いことに、「洞察」には、王に任命された約1か月後に、サウルはアンモン人とフィリスティア人に対する戦いで、相次いで勝利を収めたことが説明されています。

それで皆さんは、サウルが急に変化したのはなぜだろうと思われることでしょう。

荷物の間に隠れるほど恥ずかしがり屋だったサウルが、国民を勝利に導くまでになったのです。

これは、神の霊の力が働いた証拠です。

そして、神の霊がわたしたちに働くようにするときに受ける影響について明らかにしてい ます。

では、教訓は何でしょうか?

皆さんはエホバに喜ばれる、優れた特質を示してきました。

それによって、これまで良い奉仕をすることができ、ギレアデでの訓練を受けることも可能になりました。

しかし、新しい割り当てを受ける皆さんは、エホバの霊がこれからも自分に働くようにする必要があります。

サウルの例で見たように、人格特性がいつも劇的に変わるというわけではありません。

恐らくわたしたちは、別人のようになったという表現を聞くと、サタンの世にいた人がエホバの組織に入り、新しい人格を身に着ける状況を思い浮かべるでしょう。

しかし実際には、円熟したクリスチャンを含め、すべてのクリスチャンも時折調整が必要であり、そうした調整が大きな影響を及ぼす場合があります。

もしかすると、皆さんはもともと、シャイで控えめな性格かもしれません。

いわば荷物の間のほうが居心地が良いことでしょう。

しかし、神の霊とギレアデの教育への感謝とに動かされ、その心地よい場所から出て、学んだことを積極的に伝えようとするでしょう。

そういうタイプではなかったとしてもです。

また、以前から優れた指導力を発揮してきた方もいるかもしれません。

責任感が強く、多くの仕事をこなしてきたでしょう。

しかし、調整する必要に気づくかもしれません。

速度を落としたり、待ったり、ある場合は他の人からの意見を求めたりすることが、知恵の道だと認めています。

神の霊の助けにより、より親切な監督、より良い牧者、より寛容で思いやり深い人になれます。

神の霊に導かれるようにするなら、必ずすばらしい結果になります。

しかし、どれくらい変われるかは、皆さんがエホバの霊にどれほど頼るかにかかっています。

さて、ご存じのようにサウルは、悪いほうへと変わっていきました。

エホバに頼るのではなく、自分自身に頼るようになっていきました。

神との絆よりも、自分の王としての立場を重視するようになってしまったのです。

興味深い点ですが、先ほど開いた同じ10章の、今度は27節をご覧ください。

神の霊をまだ持っていたときのサウルが、難しい状況にどう反応したかが書かれています。

「サウルは王にふさわしくない」と主張する人たちがいましたが、自己弁護したり、それを論破したりしませんでした。

沈黙を保って割り当てに集中しました。

ところが、神の霊を失い、陰鬱な気持ちでいっぱいだったとき、サウルは他の人の消極的な発言を聞き流せませんでした。

「サウルは千を......ダビデは万を」という言葉に非常に気を乱されました。

不快に思いました。

神の霊を失っていたために、判断力が鈍り、感情をコントロールできず、間違った決定を下しました。

サウルのような失敗を避け、エホバに目を向け続けるために何ができますか?

サウル王と同じ名前を持っていたサウロ、つまり使徒パウロになった人物について考えましょう。

パウロの人格特性はちょっと調整すればよいというレベルではなく、全面的な見直しが必要でした。

でも、神の聖霊の助けで、別人のようになりました。

「諸国民への使徒」として奉仕する機会を与えられました。

コリント第一 15章を開いてください。

パウロが示している態度に注目しましょう。

コリント第一 15:9からです。

「わたしは使徒のうち最も小さな者で、使徒と呼ばれるに値しないのです。わたしは神の会衆を迫害したからです。しかし、わたしが今あるのは神の過分のご親切によります」

すばらしい見方ですね。

どうしてパウロは謙遜な態度を生涯にわたって保てたのでしょうか?

サウル王は保てませんでした。

2人はどちらも、自分が特別な奉仕を楽しめるのは、エホバの寛大さと親切のおかげだと知っていました。

しかし、パウロはその特別な奉仕を、エホバとの絆以上に大事なものとは決して考えませんでした。

パウロは研究し、黙想し、自分に対する神の意志を見分け、神の霊の導きに注意深く従いました。

パウロにも最初の3年間、パウロの権威を認めない人たちがいるという難しい状況がありました。

でも、権威を行使して正そうとしたり、兄弟たちと距離を置いたりは決してしませんでした。

彼らを深く愛しました。

別人のようになったことを、生き方全体で示しました。

皆さんも同じようにできます。

愛が兄弟たちに伝わるようにしましょう。

エホバと仲間とに対する愛がはっきり伝わるようにするのです。

まとめです。

謙遜さや慎み深さなどのすばらしい特質を、ギレアデ卒業生として示し続けてください。

研究し、黙想し、神の霊の導きに従い続けてください。

割り当てのためであれ、仲間との平和のためであれ、変化の必要なことがはっきりしたなら、進んで変化してください。

そのようにするとき、別人のようになったこと、良い変化を遂げたことが、他の人の目に明らかになります。

エホバにとって、有用で愛すべき存在になれます。

皆さんと皆さんがエホバの名のために行なう努力の上に、エホバからの祝福がありますように。

動画リンク

JW BROADCASTING で見る(別ウィンドウ)