145期ギレアデ卒業式「エホバから徐々に与えられる祝福を喜びましょう」 - ケニス・クック

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ご自分の経験、そしてギレアデで学んだことからご存じのように、エホバは行動される神です。

ですから、すばやく事を起こされることがあります。

必要な場合、またはそうすべき時は特にそうです。

ちょうどよいタイミングで生じさせるのです。

例えば、ペンテコステでは階上の間に、突然激しい風が吹き、そこにいた人々は聖霊に満たされました。

別の例として、この体制で「平和だ、安全だ」の宣言がなされた後、次に何が起こるかについて、テサロニケ第一 5:3はこう述べています。

「突然の滅びが……彼らに突如として臨みます」

とはいえ、エホバはすばやく事を起こされることもありますが、実は徐々にそうされることが多いのです。

2つの例を考え、そこから何を学べるかを見てみましょう。

まず、天使と創造の業について、次に、復活と完全性についてです。

そして、どのように適用できるか、そして徐々に注がれる祝福にどのように喜びを見いだせるかを見てみましょう。

まず、天使たちです。

エホバがすべてのものを創造された、まさにその場にいた天使たちは、何を目撃しましたか?

想像を絶するエネルギーが突然放出され、地球とその中の生命が形作られたのでしょうか?

エホバはそうできたかもしれませんが、むしろ徐々に創造の業を進めてゆかれました。

ヨブ 38:5, 6は、神が「度量衡」を定め、「その受け台」を埋め、「隅石」を据えたと述べています。

さらに創世記 1章と2章では、神が地球に徐々に生命をもたらし、ついに人間を置かれるまでの様子を読むことができます。

エホバが徐々に進めてゆくさまを見たみ使いたちが味わった、喜びを想像してみてください。

例えば、天の父が良い仕事をするたびにとても満足しているのを、天使たちは見ることができました。

彼らはエホバの素晴らしい特質の様々な面を学びました。

初めてクジラがブリーチングした時、ハチドリがきれいな花の上でホバリングする時、ライオンの子どもたちがじゃれ合う時など、様々な機会に学んだのです。

エホバの業の壮大さや素晴らしさを経験した天使たちは、ヨブ 38:7にあるように、このすべてと地が創造されていくある時点で、「称賛の叫びを上げはじめ」ました。

このように、徐々に注がれる祝福を味わった天使たちは、エホバがなさることから目が離せなくなりました。

ですから聖書によれば、彼らは今でも、エホバが地球や、特にわたしたちのために何をなさるかに注目しています。

ペテロ第一 1:12にある通り、天使たちは「実にこうした事柄を熟視したいと思っているのです」。

つまり、エホバが段階的に業を行なうたびに、天使たちは喜びを見いだし、それを祝福と感じているのです。

それにしても、天使たちがわたしたちのことも愛してくれているのは、素晴らしいですね。

それはともかく、エホバの業が漸進的に進展していく時の天使の反応から、何を学べますか?

エホバへの奉仕を行なうあらゆる瞬間、またエホバのことを知るあらゆる機会を大切にしましょう。

天の父について新しい点を学ぶたびに「称賛の叫びを上げ」た天使に倣いましょう。

エホバの業と真理について、そしてみ子を通して示された、言い尽くせないほどの憐れみについて、時間をかけて黙想しましょう。

次の例は、それほど遠くない将来のことです。

それは復活、特に復活と完全性です。

エホバがみ子を通して新しい世で復活させる何百万もの人たちは、いっぺんに現われるわけではありません。

完全な人として戻ってくるのでもありません。

エホバが復活させるそれらの人たちは、自分がだれであるかがはっきり分かっています。

深刻な病気は取り除かれてはいるものの、考えや感情は確かに以前の自分のものだということにすぐに気づき、自分が確かに自分だと認識します。

想像してみてください。

彼らは学んだことを当てはめ、エホバへの奉仕において日に日に遂げる進歩を実感し、喜びを感じるのです。

箴言 10:22が本当にその通りだと感じることでしょう。

22節を目で追ってください。

「エホバの祝福、それが人を富ませるのであり、神はそれに痛みを加えられない」

そのように漸進的に注がれる祝福によって、何が可能になるでしょうか?

それは最も大切なこと、つまりエホバに徐々に近づいていけるということです。

人が支配し、サタンの影響力があるこの古い世では克服しがたいものも、克服できるようになります。

彼らがエホバを愛し、エホバが彼らを助けるからです。

それだけでなく、新しい世では何百万もの人々が、今では想像もできないほどの身体的な強さと健康を取り戻すことになります。

エホバは祝福を徐々に与え続け、感謝の念を抱く人たちは日ごとに喜びを感じます。

それらの人々が完全性に向けて進歩していくことは重要なことです。

復活してくる新たな人々に共感しながら教え助けていくことができるようになるからです。

このような将来の祝福を熟考することはわたしたち、また皆さんにとってどんな助けになるでしょうか?

辛抱強くエホバに、またエホバが漸進的に約束を果たしてゆく様子に、目を留めることができるようになり、それゆえに現実的な見方ができるよう助けられます。

最善を尽くしますが、完璧さは期待する必要がないことも理解できます。

完全さはまだまだ先です。

でも、強い信仰を培うなら、うまくいかないときでも喜びを見いだすことができます。

時が来ればエホバの約束は必ず実現する、ということを確信しているからです。

では、皆さんと特に関係のある点に移りましょう。

ギレアデ学校の卒業生として、これまでの5か月間を振り返り、すべてを完璧にこなせたわけではないことが気になるかもしれません。

気持ちは分かりますが、それについて考えすぎないでください。

むしろ、学んだことを忍耐強く当てはめ、払った努力を、エホバが少しずつ祝福なさるのを見る時の喜びを思い描いてください。

覚えておきたいことですが、エホバが祝福されるのは、頭一杯につまった知識ではありません。

重要なのは、得た知識と関連づけて何を行なうかということです。

ソロモン王の例を考えましょう。

列王第一 4:32によれば、ソロモンは「三千の箴言を語ることができ、その歌は一千五首も」ありました。

それなのに、彼は持っている正しい知識を動機づけとして行動しませんでした。

結局、ソロモンはエホバから離れてしまいましたね。

聖書によれば、異国の妻たちが彼の心を次第にエホバから離れさせてゆきました。

ひとつの事からはじまり、次から次へと徐々に妥協し、その引き換えに、エホバが徐々に与える祝福から喜びを得る機会を失いました。

わたしたちは、忠実な天使たちのような願いを心に抱きましょう。

彼らは三千の箴言や歌よりはるかに多くのことを知っていますが、それでも偉大な天の父について新たな発見があるたびに、喜びを味わっているのです。

ぜひ、将来の真の命に目を向けつつ、皆さんが受けた素晴らしい教育課程で学んだ事柄を当てはめ、他の人の益のために謙遜に働きましょう。

エホバはその努力を今でも漸進的に祝福してくださいます。

しかもそれは、神の新しい世で待っている事柄の前触れとなるでしょう。

忘れないでください。

今、漸進的に注がれる祝福を楽しむ人は、これから来ようとしている漸進的な祝福を、忍耐強く待つことができるでしょう。

むしろそれを喜ぶことができるのです。

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