145期ギレアデ卒業式「肩を並べて」 - ジム・コーソン

テキスト

1945年春までに、連合軍とソ連軍はドイツを包囲しました。

ナチスは敗北に向かっていました。

ドイツは不気味な命令を下しました。

強制収容所の全囚人を西に行進させ、収容所で起きていた全ての惨劇の証拠を抹消しようとしたのです。

4月21日、ザクセンハウゼンからの撤退が始まりました。

囚人をバルト海まで行進させ、船に乗せて、海に沈める計画だったのです。

残虐さはそれだけにとどまらず、付いて行くことのできない者はだれであれ射殺せよ、との命令が、親衛隊員に下っていました。

道中、既に弱まっていた何百もの人が射殺され、何千もの人が寒さや飢え、衰弱によって亡くなりました。

これが後に死の行進として知られるようになった出来事です。

興味深いことですが、ザクセンハウゼンから撤退した人の中に、230人の兄弟たちもいました。

他の囚人たちと同様、彼らも身体的には行進できる状態ではありませんでしたが、霊的にはその準備が整っていました。

どうしてそう言えるでしょうか?

どうぞ、聖書をお開きになり、エホバがなさった約束を読みましょう。

ゼパニヤ 3:9です。

ここでエホバはご自分の民に清い言語を与えると約束しておられます。

何のためですか?

後半には「肩を並べて神に仕えるためである」、また脚注には「一つの肩で」とあります。

これこそがかぎでした。

秘訣は肩を一つに並べて一致したことです。

一致していたので、弱くても強くなれたのです。

今日、わたしたちも命のための行進をしています。

1人で行進してはいないことを忘れないでください。

一緒に行進をしているのは、背景も年齢もみんな異なる兄弟姉妹たちです。

問題は、わたしたちは本当に肩を並べて行進しているかということです。

死の行進を生き延びた兄弟たちから何を学べますか?

1つ目にザクセンハウゼン収容所の囚人たちは、海岸に着くまでに250キロほど行進しました。

道中、証人たちはみんなと分け合うために、それぞれ配給された食物をひとつの小さい包みに集めました。

想像に難くないことですが、既に飢えて極度に衰弱している時に食べ物を分け合うのは、簡単ではありません。

でも兄弟たちは、箴言 11:25にあるように、「寛大な魂は自分も肥え、他の者に惜しみなく水を注ぐ者は、自分もまた惜しみなく水を注がれる」という聖書の原則を知っていました。

わたしたちへの教訓は何ですか?

厳しい試練に直面する時、わたしたちの真の一致が試されるということです。

真のクリスチャンは神に忠節でなければなりませんが、他のクリスチャンも忠節に支えなければなりません。

ですから、他の人に良くすることをためらわないでください。

忘れないでください。

分け与えることのできる最も大切なものは、あなたの時間です。

バランスを取ってください。

忙しさのあまり、助けが必要な人のために時間が取れないことのないようにしてください。

むしろ他の人を強めるために忙しくあってください。

2つ目の点です。

親衛隊員は荷車を証人たちに与えた時、ただでさえ苦しい行進にまた別の重労働が加わるだけなのに、と単純に思ったかもしれませんが。

兄弟たちは反対にそれを喜びました。

なぜですか?

彼らはそれをチャンス、とみなしたからです。

どんなチャンスですか?

道中、病気の人や老齢の人は、その荷車に座って休むことができ、その人の体力が回復したなら別の人と交代できたのです。

彼らは文字通り、互いを運んだのです。

教訓は何ですか?

一致のあるところには勝利があります。

試練の時はチャンスの時でもあります。

互いを励ますチャンスを探してください。

「励ます」とは文字どおりには「強めること、元気づけること」です。

強い信仰ゆえに希望を失うことはないとしても、特に極度の試練や深い悲しみを経験する時は、落胆することもあります。

しかし、自信を与える言葉や親切な行ないは、奇跡のように働きます。

落胆している人に新たな力を与え、困難な時にその人をいわば運びます。

それで、各自が背負うべき荷は各自が背負いますが、苦難のなか背負いきれない重荷を助ける責任はあります。

エホバは兄弟たちの助けになるどんなことも行なうよう、期待しておられます。

単に関心や目標が違うという理由で、不一致のままでいてはなりません。

もう1つあります。

最後の夜、囚人たちは、森の近くで野営しました。

親衛隊員は囚人に向かって、森の中を突っ切れば自由になれると言いました。

自分がそこにいる場面を想像してください。

とても誘惑になったはずです。

しかし兄弟たちはどうすべきか分からなかったので導きを祈り、だれ一人グループから離れずに共にいることを一致して決めました。

後に、親衛隊員の言うとおりにした人は射殺されたことが分かりました。

教訓は何ですか?

分裂を引き起こすことを決して許してはなりません。

サタンは分裂を引き起こす名人です。

分裂させ、支配してきました。

わたしたちは永遠に一致していなければなりません。

問題が起きる時、同じエネルギーを使って報復もできますし、あるいは問題解決もできます。

でも、両方を行なうことはできません。

「互いに対して熱烈な愛を抱きなさい」とあるように、違いゆえに距離を置いたり、過去の嫌な出来事から悪感情をつのらせたりすることはありません。

兄弟関係とは、過ちを根に持つ場所ではなく、過ちを許す場所なのです。

まとめましょう。

神に仕える1つの方法は、他の人に仕えることです。

あなたの資産、とりわけあなたの時間を喜んで他の人と分け合ってください。

極度の試練や深い悲しみ、疑いなどが生じる時は、互いを最も必要とします。

兄弟姉妹が困難を経験していることに気づいたなら、あなたの「荷車」に載せてください。

たとえ難しさや不便を感じても、必要なことを行なってください。

忘れないでください。

いやがうえにも行動は、心にあるものを明らかにします。

「互いに対して熱烈な愛を抱」きましょう。

心と思いを1つに保ち、エホバ神とイエス・キリストに対するのと同じように、互いに対して忠節であってください。

最後に、一致があるところに美しさと力が宿ります。

エホバが今造っておられるのは、1つの新しい世です。

1つの世界、1つの民、一致した崇拝者からなる新しい世です。

その事実に目を向け続けてください。

ザクセンハウゼンからの忌まわしい死の行進では1万700人以上が亡くなりましたが、230人の兄弟たちはだれ一人命を落としませんでした。

なぜですか?

彼ら自身の言葉で語っていただきましょう。

自由になる直前の森の中で兄弟たちによってなされた決議文を引用します。

「長く苦しい試練の時期は過去のものとなり、あたかも火の燃える炉からのごとく救い出された者たちの身には、火のにおいすらついていません。逆に、わたしたちはエホバから与えられた強さと力にあふれています。わたしたちはただ1つの願い、『ライオンの穴』から救い出された後、永遠にわたってエホバに仕えさせていただきたいとの願いを抱いています。それがわたしたちにとっての最大の報いです」

「エホバの聖なるみ名のためのあなた方の仲間のしもべたち」と結ばれています。

彼らは「兄弟」と呼び合うだけでなく、本当の兄弟のように行動しました。

厳しい試練の間、彼らは1つの家族として一致して行動し、勝利者となりました。

兄弟たち、この世がますます冷たくなっていく中で、肩を並べてわたしたちの神に仕えていくことを、これまで以上に決意していきましょう。

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