145期ギレアデ卒業式「生きる指針とすべき一言」 - マーク・ヌマール

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生き方全体を導くことができる一言などあるのでしょうか?

もしあるなら、それはどんな言葉でしょうか?

イエス・キリストの模範から答えを得ましょう。

亡くなる前の晩のことです。

彼の肩には、全人類の将来がかかっていました。

その重要な晩のイエスの言葉や行動、考えは、その後何千年にもわたって人々の記憶に留められるものとなります。

何を覚えてほしいと思ったのでしょうか?

イエスははっきりと述べています。

1つの節、たった1つの節でイエスは、自分の行動や決定の基盤となったものを述べています。

彼は一言、その一言を自分の生き方としました。

皆さんもそうするよう勧めます。

その言葉をしっかりと心に留めておきましょう。

それはヨハネ 14:31のこの言葉です。

ヨハネ 14:31。

イエスの地上での最後の晩のことです。

「しかし、わたしが父を愛していることを世が知るために」

「わたし[は]父を愛している」

この一言から、宇宙で最も強いきずな、イエスと父との破られることのない、愛のきずなが読み取れます。

この断ち切ることのできない愛のきずながあったので、イエスは自分を捨てて、息絶えるまで父の評判を擁護しました。

エホバが自分を保護し復活させると確信していたからです。

「わたし[は]父を愛している」

では、この決して破られることのない強い愛のきずなを、どのようにして培ったのでしょうか?

確かに神の独り子は完全な者として創造されました。

しかし、初めからそのような強い愛を兼ね備えていたのでしょうか?

いいえ。

自由意志を持つ者として創造されました。

サタンもです。

愛を広げ深める自由意志をもって創造されました。

神の子は創造された時に、神への利他的で自己犠牲的な愛を自動的に持っていたわけではないのです。

では何をする必要がありましたか?

父への愛着、父への深い愛を磨かなければなりませんでした。

どのようにそうしましたか?

父のご性格を観察することによってです。

地上に来る前、子がどのようにそうしたか想像してみてください。

父がどのように力や権威を行使されたか、どのように「霊の打ちひしがれたへりくだった者」のために強さをお用いになったか、観察したことでしょう。

「霊の打ちひしがれた」者たちのためにどのように力をお用いになったか見てきました。

父がどのようにルツを扱ったかも見ていました。

あの異教のモアブ人の女性です。

こう考えたかもしれません。

「モアブの女性だって? モアブの女性と言えば、約束の地に入る直前にイスラエルの男子を不道徳にいざなった人たちじゃないか?」

その通りです。

でも父は、ルツは違っている、とご覧になりました。

神の子は貴重な教訓を学びました!

父は人々を分類するようなことはせず、「モアブの女性か、助けるのはやめておこう」などと型にはめることもしませんでした。

いいえ、エホバ神はルツを1人の人間としてご覧になりました。

父が聖書の書名に、ナオミでもボアズでもなく、モアブの女性ルツの名を記させた時、父に対する子の愛はさらに強くなったに違いありません。

まさにそうです。

さらに、ルツをメシアの先祖にさせたことを観察し、父への愛はますます大きくなっていきました。

しかし、父を観察し称賛するだけでは不十分でした。

さらに行なったことがありました。

子が父のご性格に対する認識を深め続けるにつれ、父への愛は彼の中で単なる感情以上のものになりました。

その愛はイエスの決定と行動を形作るようになり、地上にいた時その愛を実証しました。

ただ単に「わたしは父を愛している」と言ったのではありません。

「父はあったかく、心地がいいから大好き」というような、素朴な感情でもありませんでした。

子はその言葉通りに生きたのです。

だからこそ、ヨハネ 14:31の後半で、次のように言うことができました。

「わたしは父がおきてを与えてくださったとおりに行なっているのです」

「行なっている」

そうです、生き方全体によって、父への愛を表わしたのです。

たとえば、スロフェニキア人の女性がイエスに悪霊にとりつかれた娘を癒してほしいと懇願した時、最初イエスは、「わたしは異邦人ではなく、ユダヤ人のもとへ遣わされた」と言いました。

しかし女性はあきらめず、信仰を示してお願いし続けました。

このような例外的な状況で、イエスは画一的になったり規則にこだわったりするのではなく、柔軟さを示すべきだと判断しました。

「いや、あなたは異邦人だから助けられません」とは言いませんでした。

ここはより高い原則に目を向ける時だと判断したのです。

父がルツを扱った時のことを覚えていたのでしょう。

そして恐らく、「父はルツに柔軟さを示された。今、同じような状況だ。父はわたしがどうするようお望みだろうか」と考えたかもしれません。

イエスはそのスロフェニキア人の女性を助け、父の愛に倣って行動しました。

イエスが父から学んだ別の点、許すことについて考えましょう。

父が多くの人をお許しになるのを見てきました。

ダビデが犯した姦淫や、ウリヤに対する殺人の罪をお許しになったのも見ました。

ほかにも多くの人を父がお許しになるのを子は見てきたのです。

ヘブライ語聖書には、エホバが人々を許してこられた記述がたくさんあります。

大きな心で許す神です。

いつでも許し、許す機会を探しています。

これらすべてを子は見て学んでいました。

だからこそ彼は、使徒たちや他の人がしょっちゅう間違いをしても、許し続けることができたのです。

イエスは人を許すとき、それを父に倣う機会、「この親にして、この子あり」と言われるような行動をする機会とみなしたのです。

単に「わたしは父を愛している」というだけではなく、その言葉を自分の生き方としたのです。

では、ここまで学んだことをどのように皆さんの実生活に当てはめられるでしょうか?

イエスは「わたしは父を愛している」と言ったすぐ後こう述べました。

「立ちなさい。ここから行きましょう」

間もなく皆さんも立ち上がり、ここから出かけていきます。

信仰がどのように試されるか分かりません。

わたしたちは信仰の試みとなる全てのことを、前もって知ることはできません。

しかし、「父を愛している」なら、忠実を保てます。

この一言をしっかりと思いと心に刻み込んでください。

「わたしは父を愛している」

この一言があなたの決定と行動、すべてを導くようにしてください。

たとえば、あなたが監督の立場ならどのように人を扱いますか?

どのように接しますか?

イエスが最後の晩に語ったことから学んでください。

彼はこんなふうに自分のことばかり述べることもできました。

「わたしが神の子であり、『全創造物の初子』であり、宇宙で2番目に偉大な存在であることを世が知るために」

あるいは「わたしが自分の命をあなたのために贖いとして差し出そうとしている者だ」、「わたしが全ての預言を成就するまさにその者だ」と言うこともできました。

しかし、イエスは自分自身や自分の権威、成し遂げたことについて、まったく気にしていませんでした。

それでイエスのように自分の立場を重視しないでください。

他の人を扱う際、皆さんの心の願いは、天の父を喜ばせることだということが分かるようにしてください。

では、ここから出かけていく皆さんにとっての「ルツ」とはだれですか?

人をカテゴリー分けしていないことを示してください。

あの部門、あの国、あの言語、あの姉妹たちという具合です。

皆さんにとっての「スロフェニキア人の女性」とはだれですか?

常にもっと柔軟になれる機会を探してください。

より高い原則を優先させるべき時を見極めてください。

規則にばかり目を向けてはなりません。

考える力を身に着けてください。

それにより、皆さんはより高い原則に従って行動できるように助けられるでしょう。

考える力を伸ばすのは簡単ではありません。

皆さんが人に抱いている感情は、その人への接し方に表われるからです。

理性で評価する前に、感情に耳を傾けると、その人が好きかどうか、尊敬しているかどうか、信頼しているかどうかで判断していることになります。

もし論理的に考えているつもりでも、実際には感情に従っているなら、間違った決定をしてしまうでしょう。

ではどうぞ、今から言うことをよく聞いてください。

こう自問してください。

「わたしの決定や反応は、高い原則に基づいているだろうか、それとも好き嫌いに左右されているだろうか?」

聖書の高い原則に基づいているなら、あなたは組織を強め安定させられます。

皆さんにとっての、不完全で落胆させられる「使徒たち」とはだれですか?

他の人の欠点をもっと許し、もっと辛抱を示せる機会を探してください。

あなたが監督なら、不完全で落胆させられる「使徒たち」は、あなたのもとで働く人たちかもしれません。

他の人にとっては、仲間の翻訳者や、あなたの部門の仕事仲間かもしれません。

そんな時、この話のキーワードに従って考えますか?

ある姉妹の言葉を紹介しましょう。

こう言っています。

「わたしの部門であることが起き、そのことにとても傷つき、心が乱されました。それ以降、いつも自分はふさわしくないという思いと闘っていました。すっかり落胆し、やる気を失いました。しかし、わたしはあきらめません。エホバに固くつき、離れたくありません。エホバを他の何よりも愛しており、消極的な考えに打ち勝って、エホバとの関係を強め続けられると確信しています」

この姉妹はただ「わたしは父を愛している」と述べただけではなく、それを自分の生き方としました。

その言葉によって、本当に大切なことを理解できたのです。

では教訓は何でしょうか?

皆さんがエホバの是認を得ようと努力し、エホバへの断ち切ることのできない愛と、エホバとの関係を何よりも大切なものとするなら、どんなことが起きても忍耐できるでしょう。

どうすればそうできますか?

エホバの物事の扱い方を深く考え、それを高く評価し、天の父に倣うことによってです。

ヨハネ 13:15でイエスは言いました、

「わたしはあなた方のために模範を示しました」

わたしたちは皆さんがその模範に従っていくことを確信しています。

イエスのように、あなたの行く手に立ちはだかるどんな困難、試みにも立ち向かえることを世に示してください。

皆さんも同じようにできるとわたしたちは確信しています。

なぜそう言えますか?

なぜなら皆さんには、宇宙で最も強力なきずながありますし、最も信頼できる次のことばによって生きるので、力を注がれるのです。

「わたしは父を愛している」

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