それでは最後に、皆さんに別れの言葉を贈りたいと思います。
今日は話の中ですでにたくさん素晴らしい点が取り上げられました。
最初の話では、自分への称賛を求めず、いつもエホバを賛美する必要について聞きましたね。
まず、ほかの人から称賛される時、そのまま受け入れたくなる誘惑がありました。
次に、批判されたときに自分を正当化することによっても、知らず知らずのうちに自分を高めていることになるという点もありました。
実はさらに別の分野でも自分を称賛しないよう、気をつけるべき点があります。
使徒パウロの模範からその点を学べます。
いま手元に聖書がないと思うので、聞いていてくだされば結構です。
コリント第一 2:1, 2のパウロの模範から、大切な教訓を学びましょう。
ここでパウロは、自分がコリントに行った時の話をしています。
コリントでは学問が重要視されていました。
学問はギリシャ人の誇りでした。
1, 2節を読みます。
「兄弟たち、それでわたしは、あなた方のところに行った時、もったいぶった話し方や知恵を携えて行って、神の神聖な奥義を告げ知らせるようなことはしませんでした」
パウロは人に感銘を与えるために「もったいぶった話し方」をしませんでした。
そして2節では、あることを「決めた」と言っています。
「わたしは、あなた方の間では、イエス・キリスト……以外には何をも知るまいと決めたのです」
5節では「それは、あなた方の信仰が人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためでした」と言っています。
自分の知恵や能力に注目させないという点で素晴らしい模範です。
一部のコリントの人たちに大した話し手ではないと言われたとしてもです。
パウロが大小様々な群衆の前で行なった話を読めば、パウロがどれほど上手な演説者だったかがわかります。
しかし能力があっても、自分を高める話はしませんでした。
それはコリントの兄弟たちの弱点を考えてのことでした。
当時広く見られたその弱点とは何でしたか?
コリントのユダヤ人は、偉大なラビや学者の言葉を引用したがりましたし、ギリシャ人であれば、哲学者の言葉を引用したということです。
ではパウロから学べる点は何でしょうか?
今後、割り当てられた場所で奉仕するとき、こんなふうに言いたくなる時があるかもしれません。
「そういえば、教訓者が、または統治体の成員が、こう言ってました」
でもパウロの模範を思い出してください。
何か大事なことを兄弟姉妹に伝えないといけない時は、学校で教わったように、聖書から話しましょう。
Watchtower Libraryから調べてお伝えしましょう。
まるで「ラビ」や「教祖」の言葉のように、教訓者や統治体の成員の言葉を引っ張ってくると、聞いている人は、ギレアデに行った人にしかわからない特別な情報があると思ってしまうかもしれません。
そうではなく、神の言葉を権威として用いましょう。
そして神の組織が備えている出版物に頼りましょう。
そうして初めて、自分を称賛するのではなく、エホバを賛美することができるのです。