146期ギレアデ卒業式「探してください そうすれば見つかります」 - デービッド・スプレーン

テキスト

まず、統治体の一員である、デービッド・スプレーン兄弟の話を聞きましょう。

主題は、「探してください そうすれば見つかります」

探してください。

そうすれば見つかります。

何を探すのでしょうか。

兄弟たちの良い点です。

良い点を見つけたなら、ためらわずに認めてください。

そうすべきなのは分かっていても、他の人を批判的な目で見てしまうことがあるかもしれません。

動機を疑うこともあります。

ちょっとねたんでいるのかもしれません。

皆さんの会衆に講演がとても上手な兄弟がいるとしましょう。

その兄弟が講演をするときには、大勢の人が出席します。

みんな兄弟の話を褒めちぎります。

あなたの奥さんも。

でも、あなたの話はそんなに褒めてもらえません。

「みんなの注目を浴びたいのかな。大したことないのに」

こんな場合はどうでしょう。

同じ部門に、仕事がばりばりできる兄弟がいて、少し煙たく感じています。

その兄弟は仕事を休んだことがありませんし、遅刻をしたこともありません。

1日ですごい量の仕事をこなします。

ミスもほとんどありません。

「別にどうってことないけど。完璧兄弟は、みんなより仕事ができることを見せつけたいんだろう」

こんなふうに動機を疑ってしまいます。

気持ちを切り替えて、完璧兄弟の良い点を探すのはどうですか。

兄弟は良い動機で奉仕しているんだ、と考えましょう。

ベストを尽くしてエホバに仕えるよう、親に教えられたのかもしれません。

もっと頑張れるなら頑張りなさいと教えられたのです。

兄弟は、できる限り良いものをエホバに差し出したいだけなのです。

それに、よく考えてみると、兄弟はあなたの奉仕を決して批判したりしません。

ただ、自分のベストを尽くしてエホバに仕えたいだけなのです。

そうやって開拓奉仕をしてきました。

ベテル奉仕もそうです。

では、完璧兄弟にどう接しますか。

「僕たちが怠けているみたいに見えるから、そんなに頑張らないで」

と勧めますか。

でも兄弟がもし手を緩めたら、エホバに一番良いものを差し出すことはできません。

エホバは私たちがベストを尽くすことを望んでいます。

では、どうしますか。

兄弟の長所を認めてこう言うのです。

「1日でこんなにできるなんてすごいね。僕も兄弟みたいに働けたらいいな」

講演の上手な目立ちたがり兄弟についてはどうですか。

「エホバからもらった素晴らしい能力をよく発揮してるね」

こう言うのは難しいですか。

長老たちは、兄弟たちの資格を検討することがあります。

兄弟たちの弱点を知らないわけではありませんが、全体的に前向きな話し合いになるよう努力します。

ある兄弟の弱点について話し合うこともありますが、それが1度だけの間違いなのか、しょっちゅうあることなのかを考える必要があります。

良い点を見ようとしているのに欠点が見えると、がっかりさせられるかもしれません。

でも、時々がっかりさせられる方が、兄弟を疑いの目で見たり、苦々しい気持ちを募らせたりするよりよいのではありませんか。

聖書中の例を考えましょう。

兄弟の動機を疑うと、悪い結果になる場合があることが分かります。

サムエル第一 17章です。

まず、状況を少し考えましょう。

エッサイは、一番下の息子ダビデを、戦場にいる3人の兄たちの所に行かせます。

イスラエル人はフィリスティア人と戦っています。

その場所に着いたダビデは、ゴリアテがイスラエル人に一緒に勝負しようと言っているのを聞きます。

しかし、誰もゴリアテと戦おうとしません。

エホバを信頼していたダビデは、この状況を見て怒りを感じ、こう言います。

「生きている神の戦列に挑むとは、この割礼を受けていないフィリスティア人はいったい何者なのですか」

長男のエリアブはそれを聞きます。

どうなったでしょうか。

サムエル第一 17:28を見てみましょう。

こうあります。

「一番上の兄エリアブは、ダビデが話しているのを聞き、怒ってこう言った、『どうして来たのか。荒野のわずかな羊は誰に預けてきたのか。おまえはいつも出しゃばる。魂胆はよく分かっている。ただ戦いを見に来たんだろう』」

この節からエリアブの性格についてどんなことが分かりますか。

あまり分かりません。

想像していた答えと違いましたか。

エリアブについてはそれほど多くのことは分かりません。

ですから、この1回の出来事だけで、エリアブがどんな人だったかを決めつけることはできません。

こういうことは1回だけだったのでしょうか、それともいつもこんな調子だったのでしょうか。

その点を考える必要があります。

あなたに弟がいるなら、こう自問してみてください。

「弟にいらいらしてひどいことを言ってしまい、後で謝ったことがあるだろうか」

では、そういうことがあったからといって、ひどい人だと判断されたいですか。

問題は、それが1回だけだったのか、しょっちゅうあることなのか、ということです。

兄弟姉妹との間で問題が生じた時、1度の出来事だけで判断しないようにしましょう。

とはいえ、エリアブがその時に述べたことは間違っていました。

ダビデの動機を疑ったのは良くありませんでした。

エリアブがダビデにいわば、「あんまり頑張り過ぎるな。僕たちが怠けているみたいだろ」と言った時、ダビデが従っていたらどうなっていたでしょうか。

ダビデが「お兄さんの言う通りです。出しゃばってごめんなさい。あんなに強い戦士と戦うことなんかできません」と言って、戦うのをやめていたら、イスラエルは一時的とはいえ大変な状況になったでしょう。

何を学べますか。

エホバのためにベストを尽くそうとしている人の足を、引っ張るべきではありません。

自分がその人と同じようにできないとしてもです。

では、エリアブについて、もう一つの出来事を考えてみましょう。

この出来事からエリアブの良い点を探してください。

サムエル第一 22:1です。

サムエル第一 22:1

「ダビデはそこから出ていって、アドラムの洞窟に逃れた。[ダビデはサウルから逃げていたのです]彼の兄弟たちと父の家族全体がそのことを聞き、彼の所にやって来た」

兄弟たちの中にはエリアブもいました。

何が分かりますか。

エリアブはダビデのためにそこに来たのです。

頼りになる人でした。

また、後にダビデの息子は、エリアブの娘と結婚しました。

でも、ちょっと待ってください。

ダビデはゴリアテからは逃げませんでした。

それなのに、サウルからは逃げました。

どうしてでしょうか。

エホバは、ダビデが戦う時と逃げる時を判断できるよう助けたに違いありません。

それはまたの機会に取り上げましょう。

ネガティブな状況でも、ポジティブな見方をすれば、血圧が上がらないで済むかもしれません。

次の状況を考えてください。

あなたはある兄弟に続いて建物に入ろうとしています。

でもその兄弟は自分が中に入ると、ドアをバタンと閉めてしまいます。

不親切なのでしょうか。

それともあなたに気付かなかっただけでしょうか。

どっちだと思いますか。

さっき話題になった講演者は、目立ちたがりなのではなく、その時ちょっと熱意を込め過ぎただけかもしれません。

細か過ぎるように見える人は、物事をきちんと行おうとしているだけかもしれません。

無愛想で高慢に見える人は、内気なだけかもしれません。

皆さんの中には、兄弟たちを評価する責任を与えられる人がいるかもしれません。

そのような時、このことを思い出してください。

人のあら探しばかりしていると、幸せにはなれません。

でも、人の良い点を見るなら、「絶えず宴」を楽しめます。

エホバが皆さんを豊かに祝福してくださいますように。

皆さんを愛しています。

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