146期ギレアデ卒業式「エホバと“同期”しましょう」 - ドナルド・ゴードン

テキスト

次に、出版委員会の援助者である、ドナルド・ゴードン兄弟が話してくださいます。

主題は、「エホバと“同期”しましょう」

皆さんは5カ月にわたり、エホバについて素晴らしい情報を自分の中にダウンロードしてきました。

授業が終わった今、ダウンロードは完了しました。同期完了です。

そう思えるかもしれません。

でも、私たちは情報を記憶領域に蓄えるだけのコンピューターではありません。

エホバは私たちをご自分に「似た者として」創造されました。

エホバについての情報を取り入れるだけではなく、理解し、適用する能力があります。

エホバと同じように考え、感じることができるようになるのです。

やがてエホバと同じように行動できます。

エホバは聖書を与えてくださいました。

私たちは聖書から学んだことを当てはめ、エホバの素晴らしい性格を身に着けることができます。

いわばエホバと同期できるのです。

エホバと同期するなら、エホバを賛美し、エホバに喜んでいただくことができます。

エホバと同期した人の中で最高の手本はイエス・キリストです。

イエスは行動、言葉、考えの点で、父エホバと全く一致していました。

イエスは、「自分からは何一つ行えません」と言いました。

長年連れ添った夫婦も、相手をちらっと見ただけで相手が何を考えているのかが分かります。

同期しているのです。

ぴったり息の合ったフィギュアスケートのペアにも似ているかもしれません。

エホバとイエスが同期して、つまり一致協力して働いた例として、出血が続いていた女性が、イエスの外衣の裾に触れただけで癒やされた出来事があります。

多くの人が好きな奇跡です。

そのシーンを思い出してみましょう。

マルコ 5:29, 30の記録です。

その女性は群衆の中に入り、イエスの外衣に触れました。

どうなったでしょうか。

「出血はすぐに止まり、つらい病気が癒やされたことを体で感じた。イエスはすぐに、力が自分から出ていったことに気付き、群衆の中で振り返って、『外衣に触ったのは誰ですか』と言った」

女性が病気を癒やされたことを感じ取った時、エホバとイエスは一致協力して働いていました。

実際は、イエスはその時まで、エホバがその女性を癒やしたいと思って、ずっと見ていたことを知らなかったようです。

エホバはイエスには何も知らせることなく、自分だけで女性を癒やすこともできたでしょう。

でも、そうはせずに、信頼できるイエスと一緒に働くことにしました。

イエスは力が出ていくのを感じた時、癒やされたのが誰かを知りたいと思いました。

父エホバと一緒に働いていたので、エホバには見えていて自分には見えていないのが誰かを知りたかったのです。

そして、女性を見つけた時、その人が汚れていて、本来来るべきではない所に来ていたことを知りました。

それでも、女性に対してエホバと同じ見方をし、女性を癒やせることをうれしく思いました。

エホバと同期していたのです。

私たちは、この素晴らしい出来事を聖書で読むことができます。

どんなことを学べますか。

割り当てられた仕事を果たしている時も、会衆でも、伝道している時も、人々に対してエホバと同じ見方をすべきであるということです。

私たちは自分の観点で人を見てしまいがちです。

自分の意見、誤解、間違った情報などのせいで、ゆがんだ見方をしてしまいます。

厳しい見方をしてしまうこともあります。

自分の判断や見方が少しでもそのようなものによってゆがめられているなら、エホバと同期しているとは言えません。

イエスとエホバは女性の信仰に注目しました。

イエスは、「あなたが良くなったのは信仰があったからです。安心して暮らしなさい」と言いました。

では、どんな時でもエホバと同じ見方ができるよう努力しましょう。

そうすれば、エホバを賛美し、エホバに用いていただくことができます。

イエスが父エホバと同期するため、もっと多くの時間と努力が必要だった時もあります。

イエスは12使徒を選んだ時、エホバの考えに合わせたいと思いました。

でも、すぐにそうできたわけではありません。

もちろん、イエスはエホバの考えをとてもよく知っていました。

使徒として選ぼうとしていた人たちのこともよく知っていました。

それでも、12使徒を選ぶ際、何時間も祈る必要がありました。

皆さんも仕事をしたり、決定を下したりする時、聖書の知識をどれほど持っていたとしても、その知識だけに頼るべきではありません。

なかなか決定を下せない時、エホバに祈り、必要なら何度も祈り、エホバの助けを求め、深く考えましょう。

エホバの助けを真剣に求めてください。

神の言葉、聖書をいつも導きにし、父エホバに祈り、エホバが何を望むかを深く考えましょう。

皆さんがギレアデで学んだエホバについての知識は、多くのカット面を持つ宝石のようです。

エホバについての知識のある面に光を当てる、興味深い聖句があります。

エフェソス 3:19です。

こう述べられています。

「知識以上のものであるキリストの愛を知ることができますように」

知識以上に知るとは一体どういうことでしょうか。

「知る」と訳されているギリシャ語には、「経験を通して、実際的に」知るという意味があります。

福音書を読むと、キリストの愛について多くを学べます。

イエスが辛抱強く、謙遜で進んで許してくださる方であることが分かります。

そうしたことを学ぶのは楽しいことです。

でも、本当の意味で知るということは、実践して初めて技術が身に付くことに似ています。

例えば、医師になるためには、学校に行って学ばなければなりません。

何年もかけて、たくさんのことを学びます。

でも卒業後、研修を行う必要があります。

実際に病院で患者を診ます。

本で学んだことを実践し、活用します。

そのような経験を通して学ぶ知識は、本で学んだ知識以上のものです。

私たちもキリストについて学びました。

本を勉強しました。

ギレアデの生徒の皆さんは、過去5カ月間に、イエスの辛抱強さ、愛、許し、謙遜さ、思いやりなどについて、素晴らしい知識を得ることができました。

本当に充実した期間だったことでしょう。

でも、まだ同期しているとは言えません。

これから研修に行かなければなりません。

知識を現場で活用しなければならないのです。

会衆やベテルで兄弟姉妹と一緒に働き、野外宣教に出掛けます。

難しい問題にぶつかった時、キリストから学んだことを実践してください。

そうすれば、クリスチャンとして成長できます。

これまでイエスの考え方について読み、学んできましたが、これからはイエスがどう感じたかを知る必要があります。

人のために進んで自分を与えるとはどういうことか、イエスのように謙遜に行動するとはどういうことか、イエスのように心から許すとはどういうことかを知るのです。

そのような経験を通して、イエスがどう感じたかを知り、「知識以上のものであるキリストの愛を知ることができ」ます。

皆さんは神について学び、たくさんの貴重な知識を蓄え、その点では同期できました。

でもこれからは、行動や生き方や性格の点で、エホバと同期する必要があります。

ダビデ王が詩編 139編で述べたように、聖書に記されているエホバの考えは本当に貴いものです。

これからもエホバの考えを学び、心に留め、大切にし、実践しましょう。

そうすれば、エホバと同期できるのです。

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