146期ギレアデ卒業式「正しい人は立ち上がる」 - マーク・サンダーソン

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それでは、これからギレアデ卒業式の主要な話に耳を傾けましょう。

「正しい人は立ち上がる」という主題で、統治体のマーク・サンダーソン兄弟が話してくださいます。

これから卒業する皆さんにとって、今日は人生の中でもとりわけ幸せな日であるに違いありません。

なぜそう言えるでしょうか。

今日は、これまでの長年にわたる忠実な奉仕の、大きな節目となる日だからです。

でも、現実的な見方も必要です。

皆さんの幸せな気分を台無しにしたくはありませんが、これからの毎日は、今日のような幸せな日の連続というわけではありません。

なぜですか。

サタンがこの世界を支配しているからです。

しかも、今は終わりの時代なので、不安や恐れを感じることもあります。

人生には「もしもこうなったらどうしよう」という不安が付きものです。

最悪の状況を想像してしまうのです。

生徒の皆さんは、こういう状況を考えるかもしれません。

「もしも新しい言語を話せるようにならなかったらどうしよう。環境になじめなかったらどうしよう。国に戻って、思ってもみなかった割り当てを受けたらどうしよう」

ここにいる私たちや、このプログラムをJW Broadcastingで視聴している皆さんも、もしかすると次のような不安を感じているかもしれません。

「もしも迫害に遭ったら、しかも暴力を振るわれたらどうしよう。自然災害に遭ったらどうしよう。重い病気にかかったらどうしよう。家族を亡くしたらどうしよう」

皆さんは実際にそうした問題にぶつかっていないかもしれません。

でも、世界中の多くの兄弟姉妹は今、そのような状況に置かれています。

もしもではなく、現実の話です。

私たちは「困難で危機的な時」である終わりの時代に住んでいます。

ですから、必ず災いに遭います。

でも、それと同じくらい、確かなことがあります。

「もしも」ではなく、確かなことです。

それは、エホバに仕える正しい人全てに当てはまる、基本的な原則です。

その原則について考えると、確信と勇気が強まります。

どんな原則でしょうか。

聖書を開きましょう。

格言 24章です。

ご存じのように、格言では、2つの節がセットになって役立つ考えが記されていることがよくあります。

今から読む格言は15節から始まります。

次の警告で始まっています。

「正しい人の家の近くで悪人のように待ち伏せをするな。その人が休む所を荒らしてはならない」

なぜ正しい人を攻撃すべきではないのでしょうか。

続く節はこう述べています。

これは基本的な真理です。

「正しい人は7回倒れてもまた立ち上がる。悪人たちは災いに遭ってつまずく」

この聖句の内容を一つ一つ考えましょう。

例えば、倒れるとはどういうことですか。

「ものみの塔」2013年3月15日号は格言 24:16について説明し、倒れるとは、「逆境や……挫折」を経験することだと述べています。

ある参考文献の説明によると、倒れるという言葉には、文字通り「倒れる」という意味だけではなく、「災難に遭う」とか、「苦難を経験する」という意味もあります。

ここで考えているのは、そのような意味です。

では、立ち上がるとはどういう意味でしょうか。

先ほどの参考文献にはこう述べられています。

「『立ち上がる』という言葉には、『倒れた後に立ち上がる』という意味があるが、『逆境を乗り越える、あるいは活力を取り戻す』という意味もある」

では、「7回」と言われているのはなぜでしょうか。

同じ参考文献にはこうあります。

「ほとんどの翻訳は『7回』を文字通りの意味に訳しているが、この文脈では、7回という表現には、ヘブライ語の象徴的な意味、つまり『全体性』という意味があると思われる。それで、次のように訳されることもある。『正しい人は何度も倒れるが、必ず立ち上がる』」

「現代英語訳」はこう訳しています。

「正しい人は7回倒れてもまた立ち上がる。しかし、悪人は問題にぶつかるとそこでおしまいになる」

では、格言 24:15, 16は、どんなことを教えているのでしょうか。

悪人は災いに遭うと絶望してしまいます。

立ち上がれません。

でも正しい人は違います。

正しい人は立ち上がります。

諦めません。

災いを乗り越え、活力を取り戻します。

15節は要するにこう言っています。

「正しい人をわなに掛けようとしてはならない。どんなに強く倒しても再び立ち上がるからだ」

正しい人が立ち上がれるのはなぜでしょうか。

もともと強くて立ち直りが早いからですか。

そうではありません。

格言 24:16の相互参照をご覧ください。

そこには、詩編 34:19が挙げられています。

詩編作者ダビデは、今読んだ格言と同じ考えを述べていますが、大切な点を加えています。

こうあります。

「正しい人は多くの苦難[脚注によると、「災難」]に遭う。しかし、エホバがその全てから助け出してくださる」

エホバが正しい人を立ち上がらせるのです。

先ほどの「ものみの塔」2013年3月15日号は、格言 24:16についてこう述べています。

「神は、ご自分に依り頼む人がつまずき、あるいは倒れて[つまり]逆境や崇拝における挫折から立ち直れなくなるようなことをお許しになりません」

どういう意味でしょうか。

エホバはご自分に仕える人が災いに遭うと、いつでも奇跡的に助けてくれる、という意味ですか。

そうではありません。

むしろエホバは、災いに遭う時に何を行う必要があるかを、ご自分に仕える人に教えてこられました。

マタイ 6:33にある通り、「王国と神から見て正しいこととをいつも第一にし」なければならない、ということです。

では、正しい人は災いに遭う時、どうしますか。

祈ることをやめません。

集会に出席することをやめません。

自分の信じていることを伝えるのをやめません。

災いに遭っても、エホバに喜ばれることを行い続けます。

正しいことを行うことで、立ち直ることができるのです。

たとえどんな災いに遭ってもです。

使徒パウロは、この原則の正しさを実証しました。

この点で素晴らしい手本です。

コリント第二 11章を見てみましょう。

パウロはどんな災いに遭ったでしょうか。

コリント第二 11章です。

23節から読みます。

パウロはこう言っています。

「彼らはキリストの奉仕者ですか。私は狂人のように言いますが、私の方がはるかに優れた奉仕者です。私の方がたくさん働き、多く拘禁されました。数え切れないほど殴打され、何度も死にかけました。ユダヤ人たちからむちで39回打たれたことが5度、棒で打ちたたかれたことが3度、石を投げ付けられたことが1度、難船したことが3度あり、一昼夜海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川での危険、強盗の危険、同胞からの危険、異国の人々からの危険、町での危険、荒野での危険、海での危険、偽兄弟からの危険に遭い、苦労して働き、眠れない夜を何度も過ごし、飢えと渇きを覚え、食べ物が何もないことがよくあり、寒さに震え、着る物がないこともありました」

多くの人は、こうした災いの1つに遭っただけでも、くじけてしまうのではないでしょうか。

でもパウロは違いました。

立ち上がって、奉仕を続けました。

パウロはどんな結論を述べているでしょうか。

コリント第二 4:8から読みます。

8節

「私たちは、あらゆる面で圧迫されながらも、身動きが取れないわけではありません。困惑させられながらも、逃げ道が全くないわけではありません。迫害されながらも、見捨てられているわけではありません」

さらにこうあります。

「倒されながらも、滅ぼされているわけではありません。私たちはこの体で、イエスが経験したひどい仕打ちを常に耐え忍んでいます。私たちの体によってイエスの生き方が明らかになるためです」

何と書かれていましたか。

「倒されながらも[倒されながらも]滅ぼされているわけではありません」

正しい人であるパウロは、逆境によって倒されても滅ぼされることはありませんでした。

災いに遭っても、伝道することをやめませんでした。

エホバに祈ることをやめませんでした。

兄弟たちに会うことをやめませんでした。

正しい人はそうしたことを決してやめません。

エホバのもとに行き、エホバに喜ばれることを行います。

パウロはそうしたので、エホバに助けられ、いつも立ち上がることができました。

しかし、パウロだけがそのような経験をしたわけではありません。

神に忠実に仕える世界中の正しい人たちも、エホバに助けられ、立ち上がることができました。

ではこれから、エホバに忠実に仕えた、3人の兄弟姉妹を紹介したいと思います。

皆、格言 24:16の正しさを実証した人たちです。

これはフィリピンのマイケル・レガスピ兄弟です。

2013年、台風ハイエンに襲われた時、マイケルは妻と息子を連れて王国会館に避難しました。

台風を経験するのは初めてではありませんでした。

フィリピンではよくあることです。

でも、その時の台風は特別でした。

これまでにないような威力の台風で、高さが15フィート、つまり4.5メートルもある高潮が王国会館に押し寄せたのです。

壁と屋根は破壊されました。

マイケルは妻や仲間の兄弟姉妹をがれきの中から助けるため、必死で頑張りました。

でも残念なことに、妻はすでに亡くなっていました。

その後、兄弟は、「パパ!パパ!」という息子の声を聞きました。

手を伸ばし、溺れかけた息子の手をつかみました。

しかし、水は冷たく、がれきの中から兄弟たちを助けていたマイケルの疲れは、ピークに達していました。

マイケルは意識を失ってしまいました。

目が覚めた時、息子の姿は見えませんでした。

嵐で命を失ったのです。

マイケルは自分を責めました。

家族を助けることができたはずだ、と考えたのです。

最初のうちは、だれが慰めても無駄でした。

長老たちはマイケルを牧羊し、できることは全部行った、あの嵐の中、人間の力ではどうしようもなかった、ということを話しました。

つらい状況の中、マイケルは集会に出席し、伝道に行きました。

長老の務めを果たし、正規開拓奉仕を続けました。

兄弟たちはマイケルに、災害救援センターで働くことを勧めました。

その地域は壊滅的な被害を受け、どの家も倒壊してしまったのです。

マイケルは地元の兄弟たちの家の再建を手伝いました。

それが終わった後には、建設ボランティアになり、兄弟たちと共に、その地域の王国会館の建設を行いました。

その仕事が終わると、かなり離れた場所にある会衆の援助に行くことにしました。

バイクで片道1時間半かかる所です。

その会衆は長老の助けを必要としていたからです。

これはマイケルの今の様子です。

今も一生懸命エホバに仕えています。

他の大勢の正しい人たちと同様、マイケルは大変な災いに遭ったにもかかわらず、エホバの望まれることを行い続けました。

マイケルは確かに立ち上がったと思いませんか。

これはカザフスタンのテイムル・アフメドフ兄弟です。

テイムルは2017年に、宗教的な憎しみをあおったというぬれぎぬを着せられ、逮捕されました。

公判前に3カ月勾留された後、5年の懲役刑を言い渡されました。

テイムルは逮捕された当時、がんの治療を受けていましたが、逮捕後、治療を受けられなくなり、がんが進行し始めました。

信仰を保ったために、投獄されただけではなく、命を脅かすがんとも闘わなければならなかったのです。

治療を受けるために別の町に行くことが許されたのは、1年1カ月後のことでした。

この写真にあるように、手術後、テイムルは病院のベッドで腕も脚も鎖につながれていました。

テイムルの釈放を求める訴えが何度も行われましたが、裁判所はその全てを退けました。

もう打つ手はないように思えました。

そんな時、係官はテイムルに、「自白文に署名すれば釈放する」と言いました。

自分の信仰について人々に伝えたのは間違いだったこと、その行いを悔いていることを認めさせようとしたのです。

テイムルはきっぱりと拒否しました。

係官に対し、「良心の痛みを感じながら釈放されるよりも、晴れ晴れとした良心を抱いて刑務所にいる方がいいです」と言いました。

テイムルは1年と2カ月半刑務所で過ごした後、カザフスタンの大統領の恩赦を受け、釈放されました。

罪を認める必要もありませんでした。

エホバの惜しみない親切のおかげです。

これはテイムルと妻の最近の写真です。

投獄されても、命を脅かす病気にかかっていても、立ち上がることができたのはなぜですか。

テイムルはこう述べています。

「私たち一人一人は、神の原則に従うか従わないかを選択できます。神の原則に従うなら、どんな試練に遭っても忠実を保てます」

テイムルは逆境を乗り越えました。

そうではありませんか。

確かに立ち上がりました。

これは、ローラ・フレンチ姉妹です。

姉妹は1926年5月1日にベテル奉仕を始めました。

カナダのこの小さなベテル家族の一員でした。

20人にも満たない奉仕者です。

1936年ごろ、カナダ支部の僕が背教者であることが明らかになりました。

その件に関する調査が行われました。

フレンチ姉妹は背教には関わっていませんでしたが、ルームメートの姉妹が支部の僕と密接に働いていたため、フレンチ姉妹も支持者の1人と見なされてしまいました。

1936年5月1日、支部の僕に加えて、7人のベテル奉仕者がベテルから出されましたが、フレンチ姉妹もその中に含まれていました。

姉妹はどうしましたか。

不平を言いませんでした。

もちろん傷つきましたが、不当な仕打ちだとは言いませんでした。

一番大切なのはエホバに仕え続けることだと考えました。

こう述べています。

「ベテルを出た後、4年間開拓奉仕を楽しみました。素晴らしい日々でした」

最初の2年間、フレンチ姉妹は、別の姉妹と一緒にテントで暮らし、会衆のない広大な地域で伝道しました。

その後、2人はキャンピングカーで生活しながら開拓奉仕を行いました。

エホバに一生懸命奉仕しました。

1940年、フレンチ姉妹は短い休暇を過ごすためにトロントに来ました。

その時、突然、政府によってエホバの証人の活動が禁止されました。

驚いたことに、姉妹はひそかに活動することになった支部事務所で奉仕するよう招かれました。

姉妹は喜びました。

ラザフォード兄弟の承認の下、姉妹は1940年にベテル奉仕を再開し、1990年12月23日に地上での歩みを終えるまで奉仕し続けました。

亡くなる前に姉妹は、「ベテルを出た後、開拓奉仕をすることにして本当によかった」と言っていました。

その時にベテルを出された人たちの中でエホバに忠実に仕え続けたのは、フレンチ姉妹だけでした。

姉妹は他の人たちから誤解されても、正しいことを行い続けました。

不当な仕打ちを受けても、諦めませんでした。

逆境を乗り越えました。

立ち上がったのです。

そう思いませんか。

兄弟たち、格言 24:16の原則からどんなことを学びましたか。

災いに遭う時、倒されたと感じるかもしれません。

これからどうなってしまうんだろうと、不安になることもあるでしょう。

でも、次に何をすべきかはいつも分かっているはずです。

祈ること、集会に行くこと、伝道に行くこと、いつもエホバに喜ばれる決定を下すことです。

そうすれば、エホバは行くべき道を教えてくださいます。

どんな災いに遭っても、立ち上がれるよう助けてくださいます。

パウロはそのことを経験しました。

マイケル・レガスピ兄弟も経験しました。

テイムル・アフメドフ兄弟も経験しました。

ローラ・フレンチ姉妹も経験しました。

皆さんも経験できるはずです。

このことを忘れないでください。

災いに倒されても、エホバのもとに行けば立ち直れます。

どんな原則を学びましたか。

「正しい人は7回倒れてもまた立ち上がる」

そのことを確信してください。

割り当てられた務めを果たしてください。

私たちは皆さんを愛しています。

素晴らしい神エホバの豊かな祝福がありますように。

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