147期ギレアデ卒業式「この幻を思い出してください」 - マーク・ヌマール

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エホバの王座の幻を見る。

これまでにそのような素晴らしい機会が与えられたのは、ごく少数の人だけです。

これから、そのごくまれな機会を与えられた人に注目します。

そして、その幻によって人生がどのように変わったかを考えます。

その時の状況はどんなものだったのでしょうか?

大切な点として、あなたにはどんな関係がありますか?

どんな教訓を心に刻むべきですか、どうぞ聖書をお開きください。

これからイザヤ 6:1を読みます。

注意深くお聞きください。

イザヤ 6:1です。

「ウジヤ王が死んだ年に、私はエホバを見た。その方は高い所にある王座に座っており、長い衣の裾が神殿いっぱいに広がっていた」

神殿いっぱいに広がるエホバの壮麗な衣の裾。

イザヤはそれを見ました。

それにはどんな意味があるのでしょうか?

エホバがいわば神殿にいて、そこで行われている全てのことをよく知っている、という意味です。

それにはウジヤ王の身に起きたことも含まれます。

ご存じの通り、ウジヤは王の立場に満足しませんでした。

何をしましたか?

無理やり聖所に入りました。

何のためですか?

祭司のように香をたくためです。

その結果、ウジヤは重い皮膚病になりました。

興味深いことに、エホバがこの幻について書かせたのは、ウジヤの息子ヨタムが王になった年ではありません。

そうではなく「ウジヤが死んだ年」に書かせました。

エホバがウジヤの死んだ年にこのことを書くよう、イザヤを導いたのはなぜでしょうか?

もしかすると、エホバはイザヤに、どんな性質を愛し、どんな性質を憎んでいるかを教えたかったのかもしれません。

この幻はイザヤの人生を変えることになりました。

皆さんの人生も変わるかもしれません。

では、続く部分に注目しましょう。

2節です。

エホバはイザヤにあるものを見せます。

恐らく、他の人には見せたことのないものです。

セラフです。

セラフについて述べている聖書筆者はイザヤだけです。

セラフたちは高い地位を与えられ、宇宙の主権者エホバのそばで奉仕しています。

そして、謙遜にも翼で顔を覆い、力強い声でエホバへの賛美を歌います。

神殿の土台を揺るがすほどの声です。

エホバはイザヤにどんなことを教えたかったのでしょうか?

考えてみてください。

ウジヤはわずか16歳で王になりました。

そして、素晴らしい可能性があることを示しました。

イザヤが預言者になったのも若い時でした。

恐らく20代だったでしょう。

その後、結婚しましたが、妻はイザヤをよく支え、女預言者とも呼ばれています。

エホバは、ウジヤが死んだ年に、謙遜なセラフの手本を見せることによって、こう言おうとしていたのかもしれません。

「イザヤ、あなたは立派な若者だ。前途有望だ、良い妻もいる。だが、ウジヤのように思い上がってはならない」

セラフとウジヤは全く対照的でした。

深く考えさせられたに違いありません。

1つ目の教訓です。

皆さんもイザヤのように前途有望です。

ギレアデに呼ばれた目的を忘れることがないようにしてください。

大切なのは、エホバ神を賛美し、エホバの組織をサポートすることです。

皆さんが訓練されたのはそのためです。

ですから、この幻を忘れないでください。

セラフに倣ってください。

顔を覆ってください。

自分に注意を向けるなら、謙遜さは台無しになります。

ちょっとでも自慢めいたことを言うなら、みんながあなたに注意を向け、「どんな人なんだろう、何をしている人なんだろう」と考えます。

自分ではなく、エホバに注意を向けてください。

自慢したくなったら、セラフたちの力強い歌を思い出してください。

自分にではなくエホバに賛美を歌ってください。

どんな割り当てを受けても、セラフに倣い、いっそう謙遜になってください。

ウジヤのように思い上がってはなりません。

謙遜であり続けるなら、エホバはあなたをいっそう用いるでしょう。

あなたがいつもエホバを賛美するからです。

セラフは王になりたいとか、祭司になりたいなどとは思いません。

エホバに仕える自分の立場に満足しています。

セラフに倣い、清い崇拝を推し進めるため、自分の役割を果たしてください。

イザヤはこの歌から他にもどんなことを学んだでしょうか?

6:3の後半にはこうあります。

「全世界にその方の栄光が満ちている」

興味深い表現です。

エホバがこの言葉を幻の中に含めたのはなぜでしょうか?

次の点を考えてください。

イザヤがメッセージを伝えた人たちは、耳を貸そうとしませんでした。

ユダの土地は偽りの崇拝で満ちていました。

サマリアの10部族王国の人々はエホバを退けました。

イザヤは、「誰もエホバに栄光をもたらしていない」と思ったことでしょう。

そうした状況ばかりに注意を向けていたら、がっかりして諦めたくなったかもしれません。

「努力しても無駄だ。もう耐えられない。誰も聞いてくれない」

イザヤはどうすれば諦めずに務めを果たし続けられるでしょうか?

幻を思い出し、全世界にエホバの栄光が満ちる時のことを想像することによってです。

また、エホバが目的を成し遂げるために行おうとしている事柄を、信仰の目で見ることによってです。

エホバは全世界が自分の栄光で満ちる時について預言し、イザヤの信仰を強めました。

メシアと真の崇拝の回復についての預言です。

イザヤは生きている間に預言が実現するのを見ることもできました。

10部族王国がアッシリアに滅ぼされた時です。

イザヤは40年以上、一生懸命に務めを果たした後、聖書の中でも特に際立った神の処罰の力について記録するという、素晴らしい機会も与えられました。

18万5000人の兵士を討ったという記録です。

一晩でです。

エホバはこう言っているかのようでした。

「イザヤ、私の栄光は必ず全世界に満ちる」

さらに、こう言っているかのようでした。

「イザヤ、聞きなさい。人々が悪いことは分かっているが、良い事柄に目を向けなさい。私が今行っている良い事柄、将来行う良い事柄に注意を向けなさい」

2つ目の教訓です。

私たちは難しい状況に置かれると力が奪われることがあります。

人の不完全さ、例えば一緒に働く人たちの不完全さにいらいらさせられます。

あるいは、仕事上のストレスを感じたり、望んでいた務めが与えられなかったりします。

こう考えます。

「頑張っても無駄だ。ギレアデで受けた良い訓練を当てはめようと努力しているのに、誰も気に留めてくれない」

そんなふうに思う時は、深呼吸してください。

幻のことを思い出してください。

自分にではなく全体像に目を向けてください。

全世界にエホバの栄光が満ちるということです。

世界中の850万人が、偉大な比喩的神殿でエホバ神を賛美していることに、注意を向けてください。

それぞれの人が果たす役割は小さなものですが、エホバの目的を成し遂げる上で重要なものです。

神の世界的な取り決めの中で与えられている務めを大切にしてください。

次に招待の言葉が出てきます。

招待の言葉です。

8節にあるエホバの招待の言葉は、とても生き生きとした心に迫るものだったので、イザヤはこう応じます。

「ここに私がおります!私を遣わしてください!」

何のためらいもありません。

報いは何ですか、などと尋ねません。

他の預言者のことも尋ねません。

「あの人は?この人は?ミカは何をするんですか、ホセアは?」

そんなことは尋ねず、ただ「ここに私がおります!私を遣わしてください!」と言います。

驚くべきことです。

割り当ての全てを知っているわけではなかったのに、それを受け入れたのです。

詳しいことは後になって分かりました。

17年ほど後です。

イザヤは幼い息子、シェアル・ヤシュブを連れて、アハズ王の所に行くよう告げられます。

邪悪な王アハズの所に行って助けを差し伸べるのです。

イザヤはどう思ったでしょう。

「エホバ、ちょっと待ってください。アハズは自分の子供たちを殺したんですよ。そんな王の所に息子を連れていけというんですか?私は『ここに私がおります!、私を遣わしてください!』とは言いましたが、『私たちを』とは言っていません」

妻はどうでしょう。

こう言ったかもしれません。

「イザヤ、息子は連れていかないで。シェアル・ヤシュブ、こっちに来なさい」

想像にすぎませんが、こういうやり取りがあったかもしれません。

イザヤも妻もあの幻について考え、エホバの裾つまり注意がユダ全体に行きわたっていることを思い出す必要がありました。

エホバは全てを知っていました。

2人はエホバに頼り、エホバの指示に従うべきでした。

イザヤはいわば、「私は行きます。王がエホバに従わなくても私は従います」と言いました。

周りに左右されず、エホバに忠実であり続けたのです。

3つ目の教訓です。

王国の活動をサポートする割り当ての中には大変なものもあります。

妻の皆さんもそう感じるかもしれません。

夫が誰も望まないような割り当てを受け、あなたも支えていかなければなりません。

夫からその割り当てについて告げられたら、「なぜあなたなの?別の人にお願いできないの?この前もやったじゃない」と言いますか?

あるいは、イザヤのように割り当てを受け入れた、もしかすると自分から申し出た夫を誇らしく思いますか?

妻の皆さんの支えは神から見てとても貴重です。

夫が割り当てを果たす上でも欠かせません。

イザヤは幻をどのように思い出したのでしょう。

幻の映像だけではなく、音も思い出したに違いありません。

エホバの裾が神殿に広がり、セラフの翼が力強く羽ばたき、セラフが美しい賛美を歌う映像と音です。

それらがイザヤの脳裏にしっかり刻み込まれました。

イザヤと妻はその幻を何度も思い返したことでしょう。

そうすることで、40年以上エホバにしっかり従い続け、忠実であり続けるための力を得たのでしょう。

私たちも力を得られます。

ここがポイントです。

この幻、この記述は、エホバにしっかり従い、忠実であり続ける助けになります。

特に、難しい状況の時に役立ちます。

信仰を保つために闘っている時も、問題にぶつかる時も、泥沼にはまっているように感じる時も、諦めないでください。

幻を思い出してください。

映像を見、音を聞き、イザヤのような畏敬の気持ちを抱いてください。

そして、学んだ教訓を当てはめてください。

この素晴らしい教訓を生活で実践するのです。

セラフに倣い、顔を覆い、謙遜であり続けてください。

神の栄光が全世界に満ちる様子を思い描いてください。

「ここに私がおります!私を遣わしてください!」

という態度を保ってください。

幻を思い出し、神の偉大な比喩的神殿で今与えられている務めを大切にし、エホバにいつまでも愛される人であってください。

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