心の準備はできましたか?
ギレアデの生徒の皆さんは、今週何度もそう尋ねられたことでしょう。
ボーイスカウトのモットーにも「備えよ常に」というのがあります。
何の備えでしょうか?
1日に少なくとも1つの善いことを行うための備えです。
真のクリスチャンも常に備えをしておかなければなりません。
何の備えですか?
善いことを行うための備えをするだけではなく、主イエスが強力な天の王として来る大患難に備えておかなければなりません。
イエスはいつ会衆を治め始めましたか?
ご存じの通り、西暦33年のペンテコステの時です。
「洞察」の本にはこうあります。
「聖書の示すところによれば、西暦33年のペンテコステ以降、イエスの弟子たちの上に霊的な王国が立てられています」
パウロはコロサイのクリスチャンに、「神は私たちを闇から救い出し、ご自分の愛する子の王国に入れてくださいました」と述べました。
コロサイ 1:13です。
イエスは西暦33年のペンテコステ以降、王として弟子たちを治めてきました。
また、会衆の頭として、体のようなクリスチャン会衆を導いてきました。
ですから、イエスは中世にも王として治めていました。
しかし、1914年に状況が変化しました。
どんな変化でしょうか?
その時以降、敵の中で天と地を治めているのです。
詩編 110編の預言が実現しました。
そこにはこう述べられています。
詩編 110編です。
「エホバは私の主に告げた、『私の右に座っていなさい。私があなたの敵たちをあなたの足台として置くまで』。エホバは、権威ある王笏を持つあなたをシオンから送り出して言う、『あなたの敵の中に入っていき、敵を征服しなさい』」
イエスは1914年に天の王になりました。
それ以来、イエスが確かに「敵の中」で治めている証拠が数多く見られます。
会衆を治めているだけではないのです。
サタンとその手先は、「忠実で思慮深い奴隷」の任命を妨げることはできませんでした。
イエスが人々を裁くために来るのを妨げることもできません。
では、それはいつのことですか?
正確な時は分かりませんが、イエスは裁きの時が近いことを示す、幾つかの出来事を予告しました。
正確な日付や時間を事前に知ることはできないと述べましたが、その時が近いことを示す出来事を預言したのです。
これまで、多くの人がイエスの来る時を特定しようとしました。
そうした予告は人々の好奇心をかき立てましたが、たいてい実現しませんでした。
1世紀にも、間違った期待をするクリスチャンがいました。
例えば、テサロニケのクリスチャンです。
パウロは彼らに手紙を書き、バランスの取れた見方を持てるよう助けました。
テサロニケ第二 2:1から読んでみましょう。
「ところで、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの臨在と、私たちがイエスのもとに集められることに関連して、皆さんにお願いします。神からのものに思える言葉や口伝えの知らせ、また私たちから送られたかのような手紙により、エホバの日が来ているという趣旨のことを聞いたとしても、すぐに動揺して分別を失ったり、慌てたりしないでください。誰にも……惑わされないようにしてください」
その後も間違った期待を持つ人が、大勢いました。
フランスの司教であるトゥールのマルティヌスは、世界が西暦400年までに終わると述べました。
ヒッポリュトスと他の2人は、イエスが西暦500年に再来すると予告しました。
セクストゥス・ユリウス・アフリカヌスは、西暦800年と予告しました。
西暦1000年と予告する人もいました。
幾つかの資料によると、教皇シルウェステルはその1人です。
教皇インノケンティウス3世は、世界の終わりが、イスラム教が興ってから666年後とされる、1284年に来ると予告しました。
有名な画家サンドロ・ボッティチェッリは1504年と予告しました。
ロンドンの占星術師たちは1524年2月1日と予告しました。
そのためロンドンに住む2万人が、家を出て高い所に避難しました。
1533年、メルキオール・ホフマンは、イエスがストラスブールに再来すると予告しました。
そして、14万4000人が救われ、残りの人たちは火で焼き尽くされる、と述べました。
ドイツの聖職者であり、神学教授でもあったルターは、世界の終わりが1600年までに来ると予告しました。
クリストファー・コロンブス。
有名なので皆さんご存じと思いますが、コロンブスは1501年に著書「預言の書」の中で、世界の終わりが1656年に来ると述べました。
聖職者のジョン・ネーピアは、1700年に世界が終わると予告しました。
長老派の聖職者クリストファー・ラブは、1805年と予告しました。
ルター派の聖職者、ヨーハン・アルブレヒト・ベンゲルは、1836年と予告しました。
メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーも、1836年と予告しました。
バプテスト派の説教師ミラーは1844年3月21日にキリストが再来すると予告しましたが、後にその日付を10月22日に変更しました。
アドベンティスト派の説教師ウェンデルは、1873年と予告しました。
でも、イエスが来なかったため、イエスは再来したがそれは目に見えないものだったのだと述べました。
私たちの兄弟たちは、1874年にキリストが再来することを期待していました。
後に1914年を待つようになりました。
当初、キリストの再来は目に見えると思っていましたが、後に目に見えないものであることを理解しました。
また、1918年春に「小さな群れ」が栄光を受けることも期待していました。
ラッセル兄弟が亡くなった1916年、兄弟たちは重大な試みの時期に入りました。
真理から離れた人たちもいました。
しかし、エホバに仕え続けた人たちは、1919年に再び結束を固めました。
それから100年たった2019年、特別な預言が実現するのでしょうか?
これは単なる質問です。
答えはありません。
1925年にも重大な試練が生じました。
兄弟たちはその年に大きな期待を抱いていました。
私たちの出版物にはこう記されています。
「『現存する万民は決して死することなし』という小冊子は、『1925年には、アブラハム、イサク、ヤコブや昔の忠実な預言者たちが、[死者の中から]……人間としての完全な状態に戻って来ることを確信をもって期待できる』と述べていました」
ある人たちは、1925年に昔の忠実な人たちが復活することだけではなく、選ばれたクリスチャンが天の報いを受けることも期待していました。
「1987 年鑑」にはこう書かれています。
「[スイスの]ベルンに新しいベテル・ホームと工場が備えられ、1925年の滑り出しはたいへん好調でした……しかし中には、1925年に関して、自分なりの確信を抱いている人たちがいました。その人たちは『ものみの塔』誌1925年1月1日号の訓戒を受け入れるでしょうか。同誌はこう警告していました。『1925年になりました。クリスチャンは大きな期待を抱いてこの年を待ち望んできました。キリストの体の一部となっている人々は全員この年の間に天の栄光ある様に変えられるということを、確信を持って期待してきた人は少なくありません。それは成就するかもしれませんし、成就しないかもしれません。時が来れば、神はご自分の民に関するお目的を成就されるでしょう。クリスチャンは、今年生じるかもしれない事柄に拘泥するあまり、主が自分たちに行なわせようとしておられることを、喜んで行なうことができないようであってはなりません』」
「中でも、[スイスの]ベテルの[野外]奉仕担当係の責任者だったヤーコプ・ウェーバーは……油そそがれた人々は皆その年[1925年]の終わりまでに天で栄光を授けられるとあまりにも強く確信していたため、“解散手続き”を取ろうとしました。注文を受けてもいないのに大量の文書を諸会衆に送り、1925年が終わるまでに区域でそれらを無料で配布するよう指示したのです。ベテルの兄弟たちは、ヤーコプ・ウェーバーを説得しようとあらゆる努力を払いましたが無駄でした。その者はついにベテルを去ったばかりか、真理からも離れ、国中の兄弟たちに大きな悲嘆をもたらしました。自分と一緒に大勢の人を連れていってしまったからです。成員の数がそれまでの半分以下になってしまった会衆も幾つかありました」
50年後の1975年を期待する人たちもいました。
「ものみの塔」1980年6月15日号はこう述べています。
「現代においても、それを切望する気持ち―それ自体は称賛に値するものですが―は、全世界の人々の宿命である苦しみと悩みから解放される待望の日を決めようとする傾向を生み出しました。『神の自由の子となってうける永遠の生命』という本が発行され、その中に、キリストの千年統治が人類生存の第七千年期に当たると見るのは、極めて妥当であるという注解があったことから、1975年という年に関するかなり大きな期待が生じました。そのときにも、またそれから後にも、これは単なる可能性に過ぎないということが強調されました」
さらにこう述べられています。。
「しかし不幸にして、そのような警告的情報と共に、その年[1975年]までの希望の実現が、単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表されました。後者の陳述が警告的情報を覆い隠して、すでに芽生えていた期待を一層高める原因になったらしいのは残念なことでした」
「『ものみの塔』誌は、1976年10月15日号の中で、特定の日だけに目を留めるのが賢明でないことに触れ、次のように述べました。『こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら、そういう人はみな、自分の期待に背いて、あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく、自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り、自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません』。『ものみの塔』誌が『みな』と言っているのは、落胆したエホバの証人全部ということです。したがって、その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々もこれに含まれます」
「ものみの塔」1976年10月15日号はこうした点を認めています。
本当に謙遜な見方です。
「それにしても、わたしたちがエホバの約束に対する信仰を弱める理由はありません。結果としてわたしたちは皆、この裁きの日の問題に関し、聖書を一層綿密に調べる気持ちになっています。そうするなら、重要なのは日時ではないことがわかります。重要なのは、そういう日があるということ―しかもその日は近づいており、わたしたちはその日に一人残らず申し開きをしなければならないということを、常に思いに留めていることです。クリスチャンは正しく『エホバの日の臨在を待ち、それをしっかりと思いに留める』べきである、とペテロは言いました」
ですから、私たちは待ち続けるべきです。
イエスもそうするよう勧めました。
エホバの組織は良い手本を示しています。
出版物の中で間違った期待を高めてしまうこともありましたが、「エホバの日が来るのを待ち望み、それについていつも考え[る]」こと、神が約束している新しい世界にしっかり目を向けることをいつも勧めてきました。
昔のクリスチャンにとって、待ち続けるのは大切なことでした。
今日、待ち続けることはもっと重要です。
なぜでしょうか?
今はキリストの臨在期間中だからです。
キリストの臨在のしるしは、1914年以降、明らかになっています。
世界の状態の悪化や地球規模の伝道活動を含め、しるしの幾つもの特色が見られることは、今が「体制の終結」の時であることを示しています。
その時がどれほど続いてから終わりが来るかをイエスは述べませんでした。
ですから私たちは、決して注意を怠らず見張っている必要があります。
世界の状態は確かに悪化しています。
では、「大患難」が来るまでに、世界の状態はどれほど悪くなるのでしょうか?
イエスは、大半の人がイエスの臨在に「注意[せず]」、手遅れになるまで日常生活にかまけている、と言いました。
ですから聖書に基づいて考えれば、終わりの日における世界の状態は、終わりが近いことを人々が認めざるを得なくなるほど、極端に悪くはならないでしょう。
とはいえ、しるしの成就は、「ずっと見張っていなさい」という、命令に従ってきた人たちにとってはっきり識別できるものでなければなりません。
そのことは1914年以降の状況に当てはまります。
その年以後、しるしを構成するさまざまな特色は、明確な成就を見てきました。
今が「体制の終結」の時であることは明らかです。
では、今日のクリスチャンが待ち続けるべきなのはなぜですか?
イエスの言葉に従い、イエスを愛し、イエスの約束に信仰を持ち、イエスの臨在のしるしの、成就を認めるからです。
何でも信じてしまうからではなく、聖書に基づく確かな証拠があるからです。
その証拠からすれば、私たちは、この邪悪な体制の終わりを待ち、注意を怠らず、目を覚まし、見張っていなければならないのです。
私たちの多くは、何十年も目覚めた状態を保ってきました。
しかし、時たつうちに、待ち続ける気持ちが薄らいでいくことはあります。
そうならないようにしましょう。
イエスはこの体制を終わらせるため、刑執行者として来ます。
私たちはその時に備えている必要があります。
イエスが追随者たちに述べた、次の言葉を忘れてはなりません。
マルコ 13:33からです。
「ずっと見ていて目を覚ましていなさい。あなたたちは、定められた時がいつかを知らないからです。それは、家を離れて外国へ旅行に行く人が、奴隷たちに権威を与え、それぞれに仕事を委ね戸口番にはずっと見張っているようにと命令するのに似ています。それで、家の主人がいつ帰って来るか、夜の初めか、夜遅くか、夜明け前か、あるいは早朝かを知らないのですから、ずっと見張っていなさい。主人が突然に来てあなたたちが眠っているところを見つけるということのないためです。私があなたたちに言っていることは、全ての人に言っているのです。ずっと見張っていなさい」
キリストの臨在が1914年に始まったことを認識した追随者たちは、終わりが早く来る可能性を考慮に入れて準備を行いました。
王国の知らせを伝える活動を強化したのです。
イエスは、「夜明け前か、あるいは早朝」に、つまり比較的遅く来る可能性も示唆しました。
もしそうだとしても、追随者たちはどうすべきでしたか?
イエスは、「ずっと見張っていなさい」、と言いました。
ですから、待つ時間が長くなったとしても、終わりはまだ先だとか、自分が生きている間には来ないと考えるのは、正しいことではありません。
エルサレムの滅びを予告するよう命じられた、預言者ハバククについて考えましょう。
エホバはハバククに、予告された滅びが「遅くなることはない」、という保証を与えて、「待ち続けよ」と命じました。
ハバクク 1章と2:3です。
ですから、何十年もの長い間伝道してきたとしても、がっかりしないでください。
新しい世にいる自分を想像してみてください。
終わりの時代に関するエホバの預言は、全てその通りになりました。
物事が実際どのように進展していったかを思い巡らす時、エホバと、その後に成就するエホバの約束に対する確信が強まることでしょう。。
私たちは神への感謝にあふれるに違いありません。
神は「時や時期」をご自分の「権限で定め」、「全てのものの終わりが近づいてい[る]」ことを意識して生活するよう、諭してくださったのです。
聖書では、政治勢力が偽りの宗教を攻撃することが予告されています。
啓示 17:16に記されています。
政治勢力が偽りの宗教の世界帝国に襲い掛かるのは、遠い先の話だ、と考えるべきではありません。
啓示 17:16はこう述べています。
「そして、あなたが見た10本の角と野獣は、娼婦[つまり、偽りの宗教]を憎み、破滅させて裸にし、彼女の肉を食い尽くし、彼女を火で焼き尽くします」
偽りの宗教を攻撃するという考えを「彼らの心に入れ[る]」のは神であり、それが速やかに、いつでも生じ得ることを忘れないようにしましょう。
この体制全体の終わりは、すぐそこまで来ています。
イエスの次の警告に留意すべきです。
「食べ過ぎや飲み過ぎや、生活上の心配事で心が圧迫されないよう注意していなさい。そうでないと、その日が全く突然に訪れます。わなのようにです」
神が「待ち続ける者のために行動してくださる」ことを確信し、ぜひとも緊急感を抱いて、エホバに仕えましょう。
この邪悪な体制の終わりを待つ間、弟子ユダの次の言葉を思いに留めましょう。
ユダ 20,、21です。
「愛する皆さんは、極めて聖なる信仰によって自分を力づけ、神の聖なる力に導かれつつ祈ってください。私たちの主イエス・キリストの憐れみによる永遠の命を待ちながら、神に愛され続けるためです」
そのようにすれば、ギレアデの生徒の皆さんも、私たち1人1人も、備えができます。
キリストがこれから行う善いことのために、また私たちが毎日行おうと努める全ての善いことのために、常に備えができた状態を保てるのです。