148期ギレアデ卒業式「予期しなかったことを受け入れる」 - ジェフリー・ジャクソン

テキスト

予期しない事を予期する。

実際に予期していなかった事が起きました。

卒業式がこのような形で行われることなど、誰も予期していませんでした。

何をしなければなりませんでしたか?

予期しなかった事を受け入れなければなりませんでした。

そうするしかありません。

私たちは、これからギレアデを卒業する皆さんを褒めたいと思います。

このような調整を進んで受け入れてくださったからです。

でも、こうしたことがあると予期しない事によってがっかりさせられることがある、ということがよく分かります。

皆さんは間もなく、元いた場所や新しく割り当てられた場所に向かいます。

きっと予期していなかった事に直面するでしょう。

この話では、まずその点を取り上げます。

ご一緒に聖書を開き、伝道 10章を読んでみましょう。

伝道 10:7です。

そこには予期できないような事が書かれています。

「私は、権力者が召し使いのように歩いているのに、召し使いが馬に乗っているのを見た」

予期できないような事ではないでしょうか?

では、実際にそのようなことがあるでしょうか?

「ものみの塔」はこの聖句についてとても興味深いコメントをしています。

「優れた才能を持つ人が認められるとは限りません。その一方で、特別優れているわけではなくても称賛を受ける人がいます」

皆さんはギレアデでの訓練を楽しんだ後、やる気満々で割り当てられた場所に行きます。

そして、こう考えます。

「自分は別人だ。すっかり変わったんだ」

だといいんですが。

皆さんは何かの特別な務めが与えられることを期待しているかもしれません。

でも、自分が予期していなかった人にその務めが与えられるかもしれません。

その人はあなたの所に来て「びっくりした!こんな務めが与えられるなんて!」と言います。

あなたは「そうなんだ」と言いますが内心こう思います。

「びっくりしたのはこっちだよ! 僕はギレアデで訓練を受けたんだよ。自分の方がふさわしいはずだ」

でも、私たちの活動を導いているのはエホバであることを忘れないようにしましょう。

エホバは私たちが予期していなかった事を行うことがあります。

別の人に特別な務めを与えるかもしれません。

ちょっと思い出してください。

ベテルに来た時、皆さんはどんな自己紹介をしていましたか?

何人もの人がこう言っていました。

「ギレアデの招待を受けた時びっくりしました。どうして自分が選ばれたんだろう、とぼうぜんとしてしまいました。今も信じられません」

会衆や支部の中にも「どうしてあの人が選ばれたんだろう」と思った人がいるかもしれません。

意外に思ったわけです。

でも、皆さんは今や卒業しようとしています。

とはいえ、私たちが特別な機会を与えられるとき驚く人がいる、ということを覚えておきましょう。

他の人が特別な務めを受けるとき、どんな見方を持てるでしょうか?

聖書の2つの原則を取り上げます。

1つ目は伝道 6:9です。

伝道 6:9

「目の前の物を楽しむ方が、自分の欲求を追い掛けるよりもよい。これもまたむなしく、風を追うようなものだ」

つまり、自分に与えられている務めに満足すべきだということです。

物足りないと言わんばかりに、他の務めを欲しがらないようにしましょう。

与えられているものを大切にしてください。

ギレアデに招待され、訓練されたこともその一つです。

では、2つ目の原則を考えましょう。

詩編 119:31, 32です。

「私はあなたの教えをしっかり守る。エホバ、私が失望することがないようにしてください。私は何があっても、あなたのおきてに従う。あなたがそのために、私の心を広げてくださるから」

何を学べますか?

失望してはならない、ということです。

エホバとエホバの行うことを信頼してください。

エホバはこう言っているのかもしれません。

「あなたには特別な機会が十分に与えられている。ギレアデにも行けたでしょ。今度は別の人にびっくりするような機会を与えたい。一緒に喜んで」

もちろん、簡単ではないでしょう。

このようなとき、聖書の記録を思い出すことも助けになります。

例えばゴリアテを倒したダビデについて考えてみましょう。

ちょっと想像してみてください。

あなたがイスラエルの兵士だったとします。

ダビデが名乗りを上げる前、あなたは誰が巨人ゴリアテを倒すことを期待したでしょうか?

おそらく、最初に頭に浮かんだのはサウル王でしょう。

何といっても、サウルは普通の人より頭1つ分背が高く、百戦錬磨の兵士でした。

それで、「サウル王ならゴリアテを倒してくれる」と期待したかもしれません。

サウル王でなければ、息子のヨナタンを思い浮かべたかもしれません。

ヨナタンはすでに国民のヒーローのような存在でした。

大胆で勇敢な人でした。

ある時には、ミクマシュで岩をよじ登ってフィリスティア人の前に出て行き、彼らのうち20人を殺しました。

それによって形勢が逆転しました。

それであなたは、ゴリアテを倒してくれるのはヨナタンだと考えたかもしれません。

次にあなたはこう考えます。

「ゴリアテを倒す一番の方法は石投げ器を使うことだ」

もしその方法を使うなら誰が適任だと思いますか?

サウルやヨナタンでしょう。

2人ともベニヤミン族だったからです。

ベニヤミン族といったら何を思い出しますか?

石投げ器の名手でした。

彼らは、石投げ器で髪の毛1本を狙っても外さなかったといわれています。

実際、歴代第一 12:2にはサウルの兄弟が石投げ器の名手だったと述べられています。

それで、エホバが何を行おうとしているかを知らなければ、そこにいた全ての人は、サウルかヨナタンが適任だと思ったことでしょう。

ほかに考えられません。

ダビデのダの字も出てこないでしょう。

第一に、ダビデは少年にすぎませんでした。

兵士でもありません。

戦いを経験したこともありません。

ライオンや熊を殺したことはありますが、人と戦ったことはありませんでした。

第二に、見た目も強そうではありませんでした。

実際、ゴリアテは少年が向かってくるのを見て驚きました。

第三に、ダビデはベニヤミン族ではありませんでした。

石投げ器を使うのが上手な部族の出身ではなかったのです。

「ものみの塔」によると、ダビデは近くに住んでいたベニヤミン族から石投げ器の使い方を学んだようです。

いずれにしても、少年にすぎないダビデがゴリアテを倒すことなど誰が想像したでしょう。

全く予想もしない展開でした。

ここで、他の人たちがどう感じたかを考えてみましょう。

サウル王はどうでしたか?

最初のうちは、ダビデがゴリアテを殺したことをとても喜んでいました。

でも、その後どうなりましたか?

ダビデをねたむようになりました。

殺そうとさえしました。

でも、ヨナタンはどうでしたか?

ねたんでもおかしくありませんでしたが、そうしませんでした。

それどころか、ダビデとの固い友情を築きました。

あなたならどうでしょうか?

誰かが特別な割り当てを与えられたらどう感じますか?

あなたがずっとひそかに狙っていた割り当てです。

口にはしませんでしたが、自分が適任だと思っていました。

サウルのように反応しますか?

ヨナタンのように反応しますか?

忘れないでください。

エホバは私たちが予期しなかった事を行います。

私たちが予期していなかった人に、特別な務めを与えることもあります。

エホバがご自分の名のために誰かを用いるとき、それを妨げないでください。

他の人が用いられるときそれを喜びましょう。

あなた自身も、予期しなかった方法で用いられているからです。

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