149期ギレアデ卒業式「『何をしてほしいのですか』」 - セス・ハイアット

テキスト

こう思いませんか?

「これまでギレアデで受けたトレーニングは、エホバとイエス・キリスト、『忠実で思慮深い奴隷』からの素晴らしいプレゼントだった」

皆さんはこれから割り当てられた場所に戻ってから、このプレゼントを他の人たちとどのように分け合うつもりですか?

考えておくとよいでしょう。

毎日の忙しい生活に戻り、責任も増えて、ストレスや不安を感じるようになると、他の人とプレゼントを分け合うことが後回しになってしまいます。

ですから、今のうちに考えておきましょう。

皆さんが監督する人たち、部門の仲間、会衆の兄弟姉妹を力づけ、励まし、心を動かし、教える上で、どんなことが助けになるでしょうか?

人に対するイエスの接し方から多くを学べます。

皆さんと同様、イエスは素晴らしいプレゼントを与えられました。

でも皆さんや私とは異なり、イエスは特別な能力を与えられていました。

例えばイエスは、人の心を読めました。

聖書にはイエスが人の言葉ではなく、心の中の考えに注目したことが記録されています。

人々が何を考えているか、どう感じているかを知る能力は、イエスがプレゼントを分け合う上で役立ったと思いますか?

もちろんです。

でも興味深いことに聖書によると、イエスは人と話すとき、相手に敬意を示しました。

イエスはよく意味深い質問をし、相手の答えに注意深く耳を傾けました。

その人にプレゼントを与える前にです。

この話では、イエスがそのようにした2つの例を取り上げます。

イエスの手本に注目し、ギレアデで受けたトレーニングという素晴らしいプレゼントを、どうすれば上手に分け合うことができるかを考えましょう。

1つ目に考える記録は、マルコ 10章です。

ご一緒に見てみましょう。

マルコ 10:35からです。

「ゼベダイの息子であるヤコブとヨハネが近づいてきて、言った、『先生、ぜひともお願いしたいことがあるのですが』。
イエスは言った、『何をしてほしいのですか』
2人は言った、『栄光をお受けになる時、私たちの1人をあなたの右に1人を左に座らせてください』」

マタイの並行記述を読むと、ヤコブとヨハネは2人だけでイエスに近づいたわけではないことが分かります。

母親と一緒に行って、お願いしてもらいました。

イエスには近づいてくる母親の願いが分かっていたのでしょうか?

多分、分かっていたでしょう。

イエスはどうしましたか?

話を遮ったり、叱ったりしましたか?

いいえ、代わりに質問しました。

「何をしてほしいのですか」という質問です。

2つ目の記録はその少し先にあります。

マルコ 10:46からです。

目が見えない物乞い、バルテマイに関する記述です。

道路の脇に座っていたバルテマイは、イエスが通っていくと聞くと、「ダビデの子イエス、憐れみをお掛けください!」と叫びました。

人々は黙っているようにと言いましたが、バルテマイはもっと大きな声で叫びました。

「イエスは立ち止まり、『あの人を呼んでください』と言」いました。

バルテマイは神の子イエスと話す機会を与えられます。

イエスはバルテマイに何と言いましたか?

51節です。

「イエスは『何をしてほしいのですか』と言った。その人は、『ラボニ、目が見えるようにしてください』と言った。イエスは言った、『行きなさい。あなたが良くなったのは信仰があったからです』。すると、バルテマイはすぐに目が見えるようになり、イエスの後に従うようになった」

「何をしてほしいのですか」と尋ねました。

状況は全く違いますが、同じ質問をしました。

イエスはなぜそう尋ねたのでしょうか?

少なくとも4つのことが関係しています。

何でしょうか?

1つ目に、イエスは相手に気持ちを話すよう勧めることによって敬意を示しました。

2つ目に、イエスはそう尋ねることで、相手が心の内を明かすよう助けました。

本音で話すよう促したのです。

ヤコブとヨハネにこの質問をしたことは、イエスにとっても役立ちました。

この質問をすることで、2人に慎みについて大切なことを教えることができたからです。

「王国で誰が右や左に座るかは私が決めることではない」と教えました。

最後に、バルテマイの場合、イエスがこの質問をすることで、バルテマイは信仰を強める機会が与えられ、必要な助けを得ることができました。

何をしてほしいか尋ねられたので、自分の願いをはっきり伝えられたのです。

その後すぐに目が見えるようになったバルテマイは、イエスが願いをかなえてくれたということを知りました。

バルテマイはどうしましたか?

聖句によると、「イエスの後に従うようにな[りました]」。

この例から学べるのは、質問をすることが、プレゼントを分け合う上で助けになるということです。

私が巡回監督になったばかりの頃、訪問した会衆の長老たちから、集会を休みがちな姉妹について相談されました。

一緒に牧羊訪問をしてほしいと頼まれました。

喜んで引き受けました。

もう一人の長老と一緒に訪問することになりました。

私は集会に出席するよう勧める聖句をたくさん読みました。

姉妹は聞いてくれましたが、私たちが家を出る時、私の目を見て、こう言いました。

「何にも分かってくれないんですね」

その時私は、ちょっと失礼だなと思いました。

でも後で振り返って、姉妹に、集会に出席するよう勧める聖句をいろいろ開くよりも、いろいろな質問をして、気持ちを聞けばよかったと思いました。

「どうすればあなたの助けになれますか」

「できることがありますか」

「最近変わったことはないですか」

このような質問をすれば、本当に必要な助けを与えられるかもしれません。

私は経験からそれを学びました。

皆さんも私の失敗から学んでください。

相手が望んでいることや必要としていることは分かっている、という思い違いをしないでください。

イエスは分かっていても相手に尋ねました。

質問することによって、相手に敬意を示し、相手の心の中にあるものを明らかにすることができます。

あなたにも役立ちます。

相手が必要とする助けを与えることができます。

「何をしてほしいのですか」と尋ねたイエスに倣いましょう。

兄弟姉妹にそのように接してください。

そうすれば、プレゼントを上手に分け合えるだけでなく、あなた自身がプレゼントになれるのです。

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