突然、大切な決定を迫られたことがありますか?
こうするのが良いと決定します。
でもその後すぐに、別の考えが浮かび、後悔します。
こう考えてしまいます。
「本当に良かったんだろうか」
私たちはこのように、くよくよ考えてしまうことがあるかもしれません。
くよくよ考えて心配するのは、体にも良くありません。
生徒の皆さんもここに来るまでに、難しい決定をしなければならなかったかもしれません。
最近、私たちは毎日難しい決定をしています。
ではどうすれば自分の決定についてくよくよ考えずに済むでしょうか?
ご一緒に聖書を開いて、詩編 37:5のアドバイスを読んでみましょう。
「あなたの道をエホバに委ね、神に頼れ。神があなたのために行動してくださる」
「委ね[る]」と訳される語は、直訳すると「転が[す]」とか、「取り除く」という意味です。
ですから脚注にある通り、私たちは自分の不安や心配をエホバ「の上に転が[す]」必要があります。
くよくよ考えて心配しているときは、自分で問題を抱え込んでいます。
でも聖書は私たちがエホバに祈り、問題という荷を下ろしてエホバに委ねるよう勧めています。
ですから、いつまでも問題を抱えている必要はありません。
むしろ、エホバに委ねるべきです。
でもこれは言うほど簡単なことではありません。
では問題が頭から離れないとき、何が助けになりますか?
今日お勧めしたいのは、エホバに畏敬の気持ちを抱くということです。
私たちは感動すると何かをしたいという気持ちになり、実際に行動するものです。
エホバが私たちに畏敬の気持ちを抱かせるのは、そのためかもしれません。
でも畏敬の気持ちがどのように役立つのでしょうか?
ではもう一度聖書を開き、今度は創世記 28章を見てみましょう。
1つの例から、畏敬の気持ちがどのように役立つかを考えます。
10節には族長ヤコブのことが述べられています。
旅をしています。こうあります。
「ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランに向かって進んでいった」
なぜでしょうか?
主な理由は兄のエサウから逃げるためです。
なぜですか?
ヤコブは難しい決定をしたばかりでした。
エサウはそのことで激怒しました。
ご存じと思います。
エサウはずっと長男の権利を軽く見てきました。
ヤコブは心を乱されました。
それでエサウから長男の権利を買い取りました。
何年かが過ぎ、ある日父親のイサクが長男のエサウを祝福しようとします。
状況が目に浮かびますか?
ヤコブはこれからどうするでしょうか?
私たちはその時のイサク、リベカ、ヤコブの状況を全て知ることはできません。
でもヤコブの決定は家族全体に大きな影響を与えました。
エサウはヤコブを殺そうとしました。
ヤコブが逃げたのはそのためです。
ヤコブは自分のしたことについてくよくよ考えたでしょうか?
やり方を間違えたと思ったでしょうか?
こう考えましたか?
本当に良かったんだろうか?
父親をだまして良かったんだろうか?
エホバはどう思っているだろう?
そう考えたとしても不思議ではありません。
もちろん確かなことは分かりません。
でももし後悔していたとしたら、その後起きたことはくよくよ考えるのをやめる助けになったでしょう。
28:11, 12を読んでみましょう。
「やがてある場所に来た時、日が沈んだので、そこで夜を過ごすことにした。
そこにあった石の1つを取って頭の下に置き、横になった。
ヤコブは夢を見た。
地面から上方に階段が伸びていて、天にまで達していた。
そこを神の天使たちが上り下りしていた」
ここに出てくる天のはしごは、この絵にあるように、石の上り段のように見えたかもしれません。
ヤコブは自分が独りではないことを知りました。
壮大な組織の中にいるのです。
そしてその組織の天の部分と地上の部分の間では、コミュニケーションが行われています。
天使たちはエホバとエホバに愛されている人たちとの間で重要な奉仕をしています。
それだけではありません。
13節をご覧ください。
こうあります。
「上にエホバがいて、こう言った。
『私は、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神エホバである。
あなたが今横になっている土地をあなたとあなたの子孫に与える』」
ヤコブはこの言葉を聞いてとても安心したことでしょう。
エホバに嫌われていたわけではありませんでした。
その逆でした。
エホバはヤコブに素晴らしい祝福を与えると約束しました。
エホバがヤコブにこの壮大な夢を見させたのは、ヤコブが不安を払拭できるよう助けるためだったのでしょう。
ヤコブはこれからもベストを尽くせば、後はエホバが助けてくれると確信できました。
本当に安心しました。
17節でヤコブはこう言っています。
「ヤコブは畏れを抱き、さらに言った。『ここは何と厳粛な場所なのだろう。まさに神の家だ。天の門がここにあるのだ』」
ヤコブは本当に安心しました。
もう悩んではいません。
幻に感動し、エホバにいつまでも忠誠を尽くすと誓約します。
この章の最後にはヤコブが何をしたかが書かれています。
17節では、同じヘブライ語が2回使われています。
1回目は「畏れ」と訳されています。
2回目は「厳粛な」と訳されています。
ヤコブは驚嘆してこのような気持ちになりました。
2つの感情が入り混じっていました。
感動と畏れです。
私たちは自分よりも偉大な存在を前にすると、自分がいかに小さな存在かを感じます。
謙虚な気持ちになり、考え方が変わります。
物事を自分の尺度ではなく、ありのままに見られるようになります。
格言 1:7にある通り、「知識」あるいは知恵はこのような「畏れ……から始ま」ります。
エホバが私たちに畏れを抱かせることがあるのは、そのためかもしれません。
ヤコブのように多くの人は感動し畏れを抱くと、自分より偉大な存在について考えます。
畏れを抱くと、自分ではなく神に目が向き、神との絆が深まります。
もっと重要なことに目を向けることができるようになります。
エホバの主権、創造物、エホバの民です。
ヤコブはエサウから逃げましたが、問題がなくなったわけではありません。
その後も大きな不安を抱えたり、恐れを感じたりすることがありました。
でもエホバは約束通りいつもヤコブと共にいました。
忠実を保ったヤコブをエホバは支え、祝福しました。
20年後、ヤコブが家族と共にカナンに戻った時、エホバは天使たちを送ってヤコブに会わせました。
ヤコブは驚嘆したことでしょう。
では、私たちとどんな関係がありますか?
詩編 89:7には、「周りにいる全ての者は偉大な神に畏敬の気持ちを抱く」とあります。
皆さんがバンフ国立公園でハイキングをしたり、ミューア・ウッズ国定公園を散策したり、息をのむほど美しい夜空を見たりしたことがあるなら、深い感動を覚えたことでしょう。
エホバに畏敬の気持ちを抱いたのです。
では今後、心配事に悩まされるなら、畏敬の気持ちを湧き上がらせましょう。
森の中を歩いたり、王国の歌を歌ったりしてください。
意外に思えるかもしれませんが、畏敬の気持ちを抱くことは、くよくよ考えるのをやめ、自分の道をエホバに委ねるとても優れた方法です。
問題に押しつぶされないようにしてください。
聖書を調べ、エホバに祈り、一番良い決定を下してください。
そして、エホバに畏敬の気持ちを抱きましょう。