皆さんはギレアデでの勉強を終えました。
よく頑張りました。
皆さんのことを誇りに思います。
学校のゴールに到達しました。
この式が終わると、皆さんは卒業生です。
皆さんはいわば、このゴールを目指して走ってきたのではないでしょうか?
でもその間ずっと、この経験がもっと大きな競走、命を目指す競走の一部であることを心に留めてきたと思います。
ランナーと同様、私たちは1つの目標地点に到達した後も、エホバに仕え続けます。
実際の競走にも、幾つかの目標地点があります。
私たちの目標地点やペースは、それぞれの状況によって異なります。
皆さんは、ギレアデ学校という1つの目標地点に到達しました。
でも、走り続けてください。
私たちは信仰の目で見える賞、最終的なゴールの向こうにある賞を得るまで走り続けます。
エホバに永遠に仕えるという賞です。
聖書の約束を思い巡らすと、その賞を目指して頑張りたいという気持ちになります。
使徒パウロは、天での命を得るために努力しました。
テモテ第二 4:7, 8にある通り、パウロは最後まで走り続けました。
間もなくその賞を得ることになっていました。
こう言いました。
「私は立派に戦いました。競走を最後まで走りました。クリスチャンの信条を守りました。今から後、私は正義の冠を授けられることになっています」
パウロは強い信仰を持っていたので、ゴールの向こうを見ることができました。
そして、その賞を得ることを楽しみにしていました。
イエスも手本を示しました。
息を引き取る前、こう叫びました。
「成し遂げられた!」
地上での宣教期間中、イエスはエホバの望むことを成し遂げるという目標を見失いませんでした。
どんな問題にぶつかり、どんな苦しい目に遭っても、イエスは忠誠を貫き、神の子にふさわしい生き方を最後まで全うしたのです。
イエスはこのゴールを見ていただけではありません。
前途にある永遠の喜びに目を向けていたのです。
ヘブライ 12:2は、イエスのこの素晴らしい手本をしっかり見つめるよう勧めています。
ご一緒にヘブライ 12:2を読んでみましょう。
こうあります。
「私たちの信仰を導き、完全にしてくださる方であるイエスを一心に見つめながら走るのです。イエスは、前途にある喜びのために、恥を物ともせず苦しみの杭に耐え、神の座の右に座りました」
誰を一心に見つめるべきですか?
「信仰を……完全にしてくださる方……イエス」です。
イエスは何に目を向けていましたか?
自分の前に置かれた喜びを信仰の目で見ていました。
地上で最後まで忠誠を貫き、私たちのための贖いとなり、天のお父さんエホバのもとに戻ることから得られる喜びに、しっかり目を向けていたのです。
イエスはゴールの向こうにある賞から決して目を離しませんでした。
良い手本です。
では、命を目指す競走をどうすれば最後まで走れるでしょうか?
2つの点を考えましょう。
1つ目に、ある目標を達成したらどうすべきですか?
そして、2つ目に、真のクリスチャンらしく走り、勝利を収めるために何が助けになりますか?
では、1つ目です。
ある目標を達成したら、どうすべきですか?
命を目指す競走には、忍耐が必要です。
その途中には、幾つかの目標地点があります。
最終的なゴール、つまり賞をしっかり見据え、一つ一つの目標地点までベストを尽くして走ります。
テモテ第一 6:19では、その賞が「真の命」と呼ばれています。
天または地で完全になり、永遠に生きることです。
皆さんは、ギレアデで学び、1つの目標地点に到達しました。
学んだことを謙遜に当てはめ、前途にある永遠の喜びに目を向け続けてください。
難しい問題にぶつかっても、めげずに前進し続けてください。
何かにつまずいて倒れても、立ち上がって走り続けてください。
力を振り絞ってそうしてください。
1968年にメキシコ市で開かれたオリンピックで走った、タンザニアのマラソンランナーのようになってください。
このランナーは、レース中他のランナーとぶつかり、転倒して膝を強く打ち、脱臼してしまいました。
また、肩も地面に打ち付けてしまいました。
手当てを受けた後、その選手は再び走り始めました。
棄権しなかったのです。
ペースはゆっくりでしたが、ゴールを目指して進みました。
走っていたのは、もうメダルのためではありませんでした。
自分の名誉のため、そして自分の国の名誉のために走り続けたのです。
最後まで完走しました。
命を目指す競走で、誰かの言動や何かの出来事が原因で、倒れそうになることがあるかもしれません。
どうしますか?
ガラテアのクリスチャンに生じたことから学びましょう。
1世紀に一部のクリスチャンは、他の人の言動のせいで走るのをやめてしまいました。
パウロがガラテア 5:7, 8で述べていることに注目しましょう。
パウロはとても信じらないといった様子で、こう言っています。
7節から読みます。
「皆さんはしっかり走っていました。誰に唆されて、真理に従い続けなくなったのですか。皆さんを招いている方は、そのように勧めることはありません」
何が問題でしたか?
ガラテアのクリスチャンの中には、間違った教えに欺かれ、真理に従わなくなった人たちがいました。
圧力に負けたのです。
13節を見ると、パウロは「罪深い欲望」に屈しないようにと述べています。
何が起きたにせよ、それらのクリスチャンは「唆されて」しまいました。
賞から目を離してしまったのです。
私たちはそうなりたいとは思いません。
命を目指す競走で、誰かの言動や何かの出来事のせいで走るのをやめてはなりません。
ゴールから決して目をそらさないようにしましょう。
あなたが賞に真っすぐ目を向けていれば、他の人もそうするよう励まされるでしょう。
奉仕する支部で、兄弟姉妹がしっかりした信仰を保てるよう助けてください。
では、1つ目の点として、ある目標を達成したらどうすべきですか?
最終的なゴールである真の命をしっかり見つめ、ベストを尽くして走り続けましょう。
では、2つ目の点です。
真のクリスチャンらしく走り、勝利を収めるために、何が助けになりますか?
真のクリスチャンは、キリストの手本に従って走ります。
イエスは苦しみを味わわなければなりませんでしたが、全てのことをエホバの栄光のために行いました。
ペテロ第一 2:21にある通り、「キリスト[は]皆さんのために苦しみ、その歩みに皆さんがしっかり付いてくるよう手本を示しました」。
イエスが豊かに示し、私たちが倣う必要がある、2つの性質を取り上げます。
信仰、そして勇気です。
賞を得るため、この2つが必要な理由を考えます。
まず、信仰です。
信仰が何かはすでにご存じでしょう。
皆さんは信仰を持っています。
信仰の手本についても学びました。
信仰はなぜ必要ですか?
信仰があれば、忍耐できます。
どんな試練も一時的なものと見ることができるのです。
将来に目を向け、今の問題の先を見ることができます。
何をするときにも、エホバに頼ります。
ここに到着してから、皆さんには信仰が必要でした。
授業が始まるまで、何カ月も辛抱強く待たなければなりませんでしたね。
こう思ったでしょう。
「いつから始まるんだろう。パンデミックの中、どうやって授業をするんだろう」
皆さんは待ち、やがて信仰は報われました。
エホバの導きを実感したのではないでしょうか?
教訓者たちをはじめ、大勢の兄弟姉妹は、授業が安全に行われるよう努力しました。
皆さんは学校で十分に学ぶことができました。
この経験を通して、将来新たな問題が生じるとき、どんな信仰が必要になるかがよく分かりました。
英語で正常な視力は20/20といいます。
走るためにはそのような視力が必要です。
2020年のことではありません。
真のクリスチャンは信仰の目で将来をしっかり見つめます。
それが大切です。
ゴールの先にある賞を見続けるのです。
信仰のない人には見えません。
見えないものを見ることができないのです。
でも信仰のある人には見ることができます。
信仰があるので、エホバの約束に目を向け続けることができるのです。
聖書は前を見続けるよう勧めています。
例えば、コリント第二 4:17, 18です。
コリント第二 4:17, 18
パウロは神の導きを受けて、どんな問題や迫害によっても前途にある輝かしい報いを決して見失うことがないよう、兄弟姉妹に勧めました。
ご一緒に17節から読んでみましょう。
「苦難はつかの間で軽いものですが、はるかに重みのある永遠の栄光を私たちにもたらします。私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠だからです」
いかがですか?
この聖句を読むと、試練の先を見て、前途にあるものに目を向け続けるよう励まされます。
天で生きる見込みを持つ人への言葉ですが、このメッセージの趣旨や励ましは、真の命つまり「永遠」のものを目指して走っている全ての人に当てはまります。
将来に目を向け続けるなら、毎日奉仕し続ける力が得られます。
格言 4:25は、 「真っすぐ前を見[て]前方を真っすぐ見つめる」よう勧めています。
そうし続けるには信仰が必要です。
パウロが述べた「見えない」ものを見るには信仰の目が必要です。
ギレアデのトレーニングの目的は、野外や支部の組織を強め安定させることであることを忘れないでください。
兄弟であれ、姉妹であれ、強い信仰を示すなら大いに貢献できます。
他の人は皆さんの信仰や手本に倣うことでしょう。
これからも割り当てられた場所で信仰を表し、神の望むことを行い続けてください。
自分の目標のほとんど、あるいは全てを達成したと感じ始めたら危険です。
どうなるでしょうか?
競走のゴールや賞を見失うと、お金や物など別のものに関心を向けるようになるかもしれません。
そのようなことがないようにしましょう。
気を散らされて、クリスチャンの生き方からそれることがないようにしてください。
特別な奉仕の機会を与えられて自己満足に陥ることのないようにしましょう。
真の命に心を向け、謙遜であってください。
与えられた奉仕の機会を大切にしましょう。
でも一番大切なことを忘れないでください。
エホバが喜ぶことを永遠に行うことです。
先ほど読んだヘブライ 12章によると、イエスは不当に扱われ苦しみを味わいましたが、「前途にある喜びのために」死に至るまで耐えました。
いつも前を見ていたのです。
報いをしっかり見つめていました。
それはイエスにとって現実のものでした。
イエスの手本を決して忘れず、前を見続けましょう。
聖書を毎日読んで、そのアドバイスをいつも当てはめることによって強い信仰を保ちましょう。
強い信仰があれば、勇気を持って走り続けられます。
2つ目に考えるのはこの点です。
勇気です。
勇気が必要なのはなぜですか?
真のクリスチャンの勇気は信仰から生じます。
私たちには希望と期待があります。
でも単なる期待ではありません。
保証された期待 つまり「確信」です。
救出されるという確信があれば、勇気が出るのではありませんか?
エレミヤはエベドメレクと30人の男たちが来て水ためから引き上げてくれた時、どう感じたでしょうか?
希望がないように思えましたが、彼らを見て希望に満たされ、勇気を奮い起こすことができました。
勇気があれば、私たちとゴールの間にある障害の向こうを見ることができます。
聖書にある神の約束は全て必ず実現します。
ですから勇気を出してください。
固い決意を抱いて神が望むことを行い続けるなら、賞を得ることできます。
エホバは偽ることができません。
これからの割り当てを果たす際、穏やかな気持ちを保ち、エホバの助けを確信してください。
皆さんがギレアデ学校に来て以来、世界では大きな変化が生じてきました。
世界の状況は変化していますが、しかも悪い方へ変化していますが、エホバの約束を忘れないでください。
今起きていることは一時的なものです。
パンデミックも驚くには当たりません。
イエスが予告していた通りです。
イエスは「流行病」が「あちらこちらで」あると言いました。
ですから動揺したりしません。
信仰と勇気を抱いて前進し続けます。
先ほど取り上げたタンザニアのランナーの話に戻りましょう。
このランナーは、負傷した後、包帯をして走り続けました。
痛みの中、勇気を出し、諦めずにゴールを目指しました。
ついにゴールに到着した時、スタジアムに残っていた観客は歓声を上げました。
想像してみてください。
足を引きずり、包帯が風になびいています。
それでもゴールを目指して進み続けます。
多くの人はスタジアムを後にしていました。
でも、このランナーはメダルよりも大切なもののために走っていました。
ゴールの向こうにもっと大切なものを見ていたのです。
何でしたか?
このランナーが後に語ったことから分かります。
なぜ走り続けたのか尋ねられた時、こう答えました。
「私の国が8000キロ離れたこの場所へ私を送ってくれたのは、レースを始めるためではありません。レースを終えるためです」
このような責任感があったので、痛みの中、勇気を出して走り続けたのです。
大切な目標を見失わず、誇りを持って帰国しました。
私たちには、もっと大きな責任があります。
はるかに重要なレースに参加しています。
エホバの前で、クリスチャンのコースを走り続ける責任があります。
エホバとイエスは、私たちが走り続けられるよう、全てのものを与えてくれました。
別の責任もあります。
他の人が諦めないよう良い手本を示す責任です。
自分自身のためでもあります。
真の命を得られるよう、与えられたものを活用して走り続けなければなりません。
皆さんは、心の目でイエスの手本と命の賞を一心に見つめながら走っています。
そのように走り続ける信仰と勇気を持っています。
まとめです。
ギレアデ卒業生の皆さん、そしてクリスチャンのランナー全ては何をしなければなりませんか?
命の賞を目指し、ベストを尽くして走ることです。
エホバが支えてくれます。
最終的なゴールをしっかり見て走ってください。
信仰と勇気を持って走り続けましょう。
ゴールに到着するのはいつですか?
地上で永遠に生きる人たちについて、『啓示の書の最高潮』の本の11章にはこうあります。
「それらの人たちはイエスの千年統治の期間中ずっと、またその後に行なわれる決定的な試みの際にも信仰を働かせることにより、地上のパラダイスにおける永遠の命の報いを受けるでしょう。その時、彼らの名は命の書に消えないように書き記されます」
神を愛する人は「決定的な試み」を恐れる必要はありません。
レースから脱落したりしません。
試みの日も他の日とそれほど変わりありません。
前途にある賞をしっかり見て走り続けます。
信仰や勇気など、神に倣った性質を身に付けるなら、真の命を得ることができます。
ギレアデのトレーニングを生かして走り続けてください。
他の人を力づけましょう。
命の賞を見つめ、イエスの歩みにしっかり付いていきましょう、
近づく大患難を走り抜け、その後も真のクリスチャンらしく走り続けてください。