多くの人は自慢したがります。
政治家はよく、自分の功績について自慢します。
自分の公約を誇らしげに語ります。
企業の経営者は、どれほど成功しているか、どれほどお金を稼いでいるかを自慢します。
多くのスポーツ選手は、自分の成績を誇ります。
自分が活躍したことやチームが勝ったことを誇ります。
英語ではこういう表現があります。
競争の激しいスポーツ界で優れた選手を指す言葉です。
その表現というのはゴート、GOATです。
「史上最高」を意味する表現の頭文字です。
自分のことを史上最高と考える人がいるなんて、どう思いますか?
私たちが「史上最高」と聞いて思い出すのは、1人しかいないのではありませんか?
これまでで最も偉大な人です。
史上最高の人、イエス・キリストです。
イエスはどんな点で史上最高だったのでしょうか?
政治やビジネスやスポーツではありません。
そのような分野ではなく、エホバを賛美し、エホバについて誇る点で史上最高だったのです。
イエスは、エレミヤ 9:23, 24に書かれているエホバの言葉を知っていました。
印象的な言葉が書かれています。
エレミヤ 9:23, 24。こうあります。
「エホバはこう言う、『賢い人は知恵を誇ってはならない。強い人は力を誇ってはならない。裕福な人は富を誇ってはならない。誇る人は、私について理解し、知っていることを誇りなさい。私はエホバであり、揺るぎない愛と公正と正義を地上で示す。それらのことを私は喜ぶのである』とエホバは宣言する」
素晴らしい聖句です。
私たちはエホバについて誇ることができます。
エホバの名で呼ばれることを誇りに思います。
エホバが良い評判を受けることを喜びます。
エホバの素晴らしさは、聖書を読んでも、組織の活動を見ても明らかです。
私たちがエホバについて誇る時、エホバは喜びます。
私たちはエホバの助け、公正、約束、揺るぎない愛を誇ります。
それで、ギレアデ第150期の生徒の皆さん、間もなく卒業生になる皆さんには、エホバ神について誇る理由がたくさんあります。
イエスは宣教期間中ずっとエホバについて誇りました。
聖書に書かれているイエスの言葉を注意深く調べると、イエスが何度もエホバについて誇っていることが分かります。
1つの例を考えましょう。
ある裕福な若い支配者がイエスの所に来て、「善い先生」と呼び掛けました。
イエスは何と言いましたか?
「なぜ私のことを善いと呼ぶのですか。神以外に善い者は誰もいません」
素晴らしい手本です。
エホバについて誇り、エホバを賛美しました。
皆さんはこれからさまざまな場所に行き、割り当てられた奉仕を行うことになります。
エホバに全く頼って奉仕するでしょう。
そのようなとき、エホバについて誇ることができます。
また、イエスがヨハネ 8:32で述べたことを経験してきたことで誇れます。
「真理を知り、真理によって自由になります」
よく知っていることです。
でも当たり前に思うのではなく、感謝しましょう。
今自由を得ているのは、真理を知っているおかげです。
世の中の人たちは、命と死に関する間違った信条に縛られています。
でも私たちは自由です。
世界の問題は人間が解決できる、という考えからも自由になっています。
人間にはそういう能力がありません。
完全な人間でさえ「自分で自分の歩みを導くことができない」からです。
またエホバは、私たちを救出してくださいます。
私たちが厳しい迫害を受けても、エホバはふさわしい時に行動し助けてくれます。
自分がエホバの奴隷であることを誇ることもできます。
普通奴隷は、主人を自分で選ぶことはできません。
でも皆さんはそうしました。
自分でエホバ神を主人とし、奴隷になることを選んだのです。
エホバが共にいることを知っているので幸せです。
エホバとイエス・キリストに喜んで仕えているので幸せです。
普通の奴隷とは全く違います。
私たちはエホバ神の奴隷になることで、ほかの誰も得られないような自由を楽しんでいるのです。
私たちは本当に自由です。
エホバへの奉仕でたくさんのことを行えます。
そして、充実した生活を送ることができます。
兄弟関係についても誇れます。
大会に集まって一緒にエホバ神を賛美できます。
イエスは、 「2人か3人が私の名によって集まっている所には、私もいる」と言いました。
ですから、何万人もの人が集まる大きな大会でも、2,3人がひそかに集まる所にも、イエス・キリストが共にいてくださるのです。
祈りという素晴らしい贈り物についても誇れます。
考えてみてください。
宇宙を造った全能の神に個人的に話せるのです。
驚くべきことではないでしょうか。
このような贈り物が与えられていることについて誇れます。
エホバの助け、聖なる力の導き、力、保護を求めることができるのです。
ほかにも誇れるとても栄誉なことがあります。
私たちは特別な名を頂いていることを誇ることができます。
エホバの証人という名前です。
エホバの名で呼ばれているのです。
私たちは1931年に、エホバの組織の地上の部分が「エホバの証人」という名称を採択したことを本当にうれしく思っています。
これは、単なる宗教組織の名前ではありません。
私たちが行っていることを表しています。
私たちは生き方によって、エホバを賛美しています。
創造者エホバの生きた証人です。
本当に光栄なことです。
他の宗教組織と全く異なっています。
ほかに誰も、この名前で呼ばれたいとは思っていません。
でも私たちはうれしく思っています。
私たちの喜んでいる様子を見て、ちょっとは後悔している人もいるかもしれませんね。
私たちは神の名で呼ばれる民です。
歴代第一 16:10にはこうあります。
「神の聖なる名を誇れ。エホバに導きを求める人は心から喜べ」
ここで使われている「喜ぶ」に当たる言葉は、「誇る」という意味で使われることもあります。
エホバにあって誇るのです。
ほかにも誇れるのは、エホバがあることをできるようにしてくださっていることです。
見えないものを見ることができるのです。
普通はできないことです。
世の中の多くの人たちは、実際に見えるものにしか目を留めません。
見えないものを理解しようとしないのです。
ある人はこう言いました。
「神が私に何をしてくれたんだ」
気の毒なことに、この人には全く見えていませんでした。
食べ物や飲み物など、地球上のさまざまな良い物を楽しみながら、それがどこから来たかを考えようとしませんでした。
そういう物全てを与えてくれた素晴らしい創造者を見ることができなかったのです。
でも私たちには、見えないものが見えます。
天の王イエス・キリストが見えます。
近づく新しい世界や、死者の復活が見えます。
エホバの聖なる力がエホバの民に働いていることを見ることができます。
今日取り上げたのは、私たちが誇れるほんの幾つかにすぎません。
皆さんは、これからもエホバについて誇りたいと思っているでしょう。
今、皆さんはとても幸せでしょう。
授業が終わりました。
頑張りました。
ギレアデ学校を卒業します。
活動に通じる扉が大きく開かれています。
では皆さん、これからどこでどんな割り当てを果たすとしても、次のことを行ってください。
謙遜さを保ち、いつも喜び、ベストを尽くしてください。
そして、私たちに与えられている大きな栄誉をいつも大切にしましょう。
「エホバについて誇る」ことです。