150期ギレアデ卒業式「『私はあなたにしっかり付く。あなたは私を⋯⋯つかんで離さない』」 - マーク・ヌマール

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この話では、揺るぎない愛にどれほど大きな力があるかについて考えたいと思います。

この揺るぎない愛には大きな力があります。

この愛があればエホバに全く頼り、試練や問題に立ち向かうことができます。

皆さんは、ギレアデのテストに出てきた、揺るぎない愛の定義を覚えているでしょう。

揺るぎない愛とは、対象から離れることなく、変わらない深い愛情のことです。

ダビデ王は、自分とエホバとの間の揺るぎない愛について書いています。

詩編 63:8です。

「私はあなたにしっかり付く。あなたは私を右手でつかんで離さない」

これが揺るぎない愛です。

「私はあなたにしっかり付く。あなたは私を??つかんで離さない」

1世紀のある女性は、エホバにしっかり付く点で素晴らしい手本を示しました。

アンナです。

なぜそう言えますか?

考えましょう。

ご一緒にルカ 2章を開いてみましょう。

36, 37節を読みます。

私たちに関係するどんな点を学べるでしょうか?

「さて、アシェル族の人で、パヌエルの娘であるアンナという女預言者がいた。この女性はかなり年を取っていた。結婚して7年間夫と暮らしたが、今はやもめで84歳だった。いつも神殿に来て、昼も夜も神聖な奉仕をし、断食と祈願をしていた」

これが全てです。

アンナに関する聖書の記述はこれだけです。

ルカが書きました。

ルカの記録にある通り、アンナは84歳でした。

アンナはその後、長くは生きなかったでしょう。

イエスの弟子になることも、天に行くよう選ばれることも、王国の良い知らせを伝えることもなかったでしょう。

もしここで考えるのをやめたら、それしか分かりません。

もう少し調べてみましょう。

調べると宝が見つかります。

やってみましょう。

アンナは、紀元前86年ごろ生まれました。

アンナが23歳の頃、エルサレムのあちこちで紛争が生じていました。

ユダヤ人を支配していたマカベア家も戦っていました。

紛争を解決するため、ポンペイウスがローマ軍を率いてやって来ました。

約1万2000人のユダヤ人が死んだと言われています。

アンナの夫はその時に命を落としたのかもしれません。

アンナが47歳の時、ローマはヘロデをユダヤの王にしました。

ヘロデは、ダビデの子孫でもイスラエル人でもありません。

エドム人です。

エドム人は長年真の崇拝に敵対していました。

それだけではありません。

偽善的なユダヤ人の宗教指導者たちが、アンナのようなやもめを含め人々を苦しめていました。

アンナは自分が愛する場所であるエホバの「祈りの家」が「強盗のすみか」になっているのを見ます。

清い崇拝が途絶えようとしています。

アンナはどうしますか?

がっかりしてこう考えたでしょうか。

「これまでずっとエホバを崇拝してきた。メシアが来て預言が実現することを信じてきた。毎日神殿に行っている。正しいことをしているのに、状況はますます悪くなっていく。神は夫を守ってくれなかった。エドム人が神殿を建てている。どういうこと?エホバは私たちを見捨てたの?もう諦めようかしら」

アンナはエホバに仕えるのをやめてしまいましたか?

そうはしませんでした。

なぜですか?

どうしてですか?

エホバへの揺るぎない愛があったからです。

アンナはエホバへの変わらない深い愛を抱いていました。

このような状況でもエホバにしっかり付き、離れませんでした。

ベストを尽くしてエホバに仕える決意をしていたのです。

アンナはどうしたでしょうか?

37節です。

アンナは「いつも神殿に来て」いました。

行くべき場所に行きました。

「昼も夜も神聖な奉仕をし」ました。

すべきことをしました。

「断食と祈願をしてい」ました。

正しい心でそうしていました。

アンナは行くべき場所に行き、行うべきことを行い、正しい心を持っていました。

アンナはか弱そうに見えましたが、一番の友であるエホバにしっかり付き、離れようとしませんでした。

アンナはエホバにいわばこう言っていました。

「私はあなたにしっかり付く」

エホバはその愛に目を留めました。

2:38によると、アンナは赤ちゃんのイエスが神殿に連れてこられた時、そこにいました。

その子を見た時、何をしたでしょうか?

38節

「アンナは……近くに来て神に感謝し始め、エルサレムの救出を待つ人全てにその子のことを語りだした」

アンナの喜びが伝わってきます。

これからメシアになる子を見ることができたのです。

もしかしたら、腕に抱いたかもしれません。

うれしかったに違いありません。

こんなことがあるなんて、思いもしなかったでしょう。

目の前の子はエホバがご自分の民を見捨てていないことの証拠です。

紛れもないはっきりとした証拠です。

アンナも見捨てられていませんでした。

アンナはエホバにしっかり付き、エホバもアンナをつかんで離しませんでした。

それだけではなく、アンナを祝福しました。

これが揺るぎない愛です。

忠実なアンナのことは広く知られるようになりました。

約50年後、ルカが記録したからです。

アンナについて書かずにはいられませんでした。

ルカはアンナについて誰から聞いたのでしょうか?

マリアですか? それとも高齢の兄弟姉妹ですか?

「アンナという女性がいつも神殿にいたんです」と聞いたのでしょうか。

分かりません。

でもエホバは確かに、ルカを導いてアンナのことを聖書に書かせました。

私たちがその記録から学べるようにするためです。

約2000年たった今でも、生徒の皆さんはアンナの手本から学ぶことができます。

揺るぎない愛を貫く、という手本です。

では、具体的にどんなことを学べますか?

私たちは大切なものを失うことがあります。

誰かに嫌な思いをさせられるかもしれません。

深く傷つきます。

あるいは、思いも寄らない変化が生じて苦労するかもしれません。

もしかすると、組織内の誰かに不当に扱われたり、誤解されたりしていると感じるかもしれません。

どうしますか?

こうしましょう。

エホバにしっかり付くのです。

そうすればエホバはあなたをつかんで離しません。

しっかり付くあなたを決して離さないのです。

例えば、外国で奉仕していた1人の兄弟は、ある誤解がもとで長老の立場を失ってしまいました。

不当な決定だと感じ、深く傷つきました。

でも兄弟も妻もエホバにしっかり付きクリスチャンの活動を続けました。

その後の地区大会で兄弟は、「素晴らしい話をありがとうございました」と声を掛けられました。

でも大会の話などしていません。

掃除をしていただけです。

話し掛けた兄弟はこう言いました。

「兄弟が笑顔で前向きに奉仕しているのは。大会の話をしているのと同じです。揺るぎない愛とは何かがはっきりと伝わってきました」

長老だった兄弟はこう言っています。

「妻も私も学べたことがあります。どんなに難しい問題にぶつかっても、エホバに仕えるのをやめてはならないということです。私たちは誰でも、人に誤解されたり、傷つけられたり失敗したりすることがあるものです。でも私たちは諦めるのではなく、成長する機会にしました」

この夫婦は、問題のことばかり考えるのではなく、エホバにしっかり付きました。

アンナのように行動しました。

2人は「いつも[真の崇拝の場所]に来」ました。

行くべき場所です。

「昼も夜も神聖な奉仕をし」ました。

すべきことをしました。

「断食と祈願をしてい」ました。

時には涙を流しながら祈願することもありました。

でも正しい心でそうしました。

エホバは2人をつかみ、決して離しませんでした。

兄弟は今も外国で奉仕しています。

再び長老になり、素晴らしい話をしています。

まとめです。

この話から何を学べましたか?

次の点を忘れないでください。

皆さんはこれから、さまざまな試練に直面するでしょう。

問題にもぶつかるでしょう。

人生にはそういうことが付き物です。

では、行くべき場所に行きましょう。

すべきことをしてください。

正しい心でそうしましょう。

そうすれば、エホバにこう言っていることになります。

「私はあなたにしっかり付く。あなたは私を……つかんで離さない」

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